#22 跡部、忍足に贈り物をする。
イシスでは大した情報が聞けたわけでもなく、一行は一度アッサラームまで 戻る事にした。 またイシスに用があったとしても、今度は移動呪文のお世話になれるから、 もうあの過酷な砂漠を渡る必要は無い。 明日の朝に出発という結論になり、それまで宿屋で休息を取ることにした。 アッサラームとは違い、この場所は夜になると皆寝静まり静寂が訪れる。 街外れにモンスター同士を闘わせて金を賭ける賭け事の場はあるが、残念ながら そういったものに興味のある人間が仲間内には居なかったので、ピラミッドでの 疲れもあり、出歩くことは控えた次第だ。 けれど、まだ寝るには少し早い。 「…こんなところに居たのかよ、捜したぜ」 屋上のテラスで静かに星でも眺めながら酒を嗜んでいたら、跡部が現われて 忍足は小さく笑みを浮かべた。 「や、跡部。どないしたん?」 「部屋に一人で居ても仕方無ぇだろうがよ。 ……なんだ、一人酒か?寂しいヤツ…」 「うっさいなぁ、放っといてぇや。 こう、センチメンタルに星を眺めたい時に、跡部は余計なんですー」 「センチメンタルとか言ってんじゃねぇよ」 からかうように忍足が言えば、眉を顰めて跡部が吐き捨てる。 相変わらずそういった類の言葉には妙に鳥肌が立つ。 それが特に忍足の口から発せられるものであれば尚更だ。 「大体、星を眺めながらなんて、何考える必要あんだよ」 忍足とは小さな丸テーブルを挟んで向かいに座り、跡部が同じように視線を 夜空へと向けた。 夜の闇に、幾多もの星が瞬いているのがわかる。 空気が澄んでいるからだろうか、普段見るよりもずっと数が多い。 「……まぁ、色々や」 「忍足、」 苦笑を見せつつ向かいの彼がそう答えるのに、跡部の視線がほんの少しだけ 探るような色を見せた。 「どないしたん?」 「……お前は、いつもそうやってはぐらかすんだな」 「…どういう意味や」 「よく考えたら、俺はお前の事を何ひとつ知らねぇ」 自分は特に隠すような生き方はしていないし、アリアハンで忍足と出会った段階で、 彼は人づてだったとしても自分の話はそれなりに聞いているのだろう。 それに比べて自分はどうだ? 自分は、忍足侑士という人間をどれだけ知っている? 「……そうやっけ?」 「誤魔化すな。 お前がどこの人間なのかも、どういった理由で今まで旅してたのかも、 何も知らないんだよ。 俺も……宍戸や滝もな」 「………。」 「まぁ、アイツらはそんな詮索したがるタイプでも気にするタイプでもねぇから、 今のままでも良いんだがな」 視線をテーブルに向けたままで黙ってしまった忍足に、口元に笑みを乗せたままで そう言うと、気がついたか忍足がふと顔を上げて上目遣いに見上げてきた。 「……お前は違う言うんか」 「無理強いはしたくねぇが……知りたいとは、思う」 はっきりと答えてやれば、また忍足が黙り込んだ。 言えない風にも言いたくない風にも見えない。 意味付けをするのであれば、どう言えば良いのかわからない…そんな具合に。 「……ええと、あんな、誤解のないように先ず言うときたいんやけど、俺は別に お前らに隠し事をしたいわけと違う」 「ああ」 「ただ…何をどう説明すればええのんかも、正直わからん。 跡部は俺の何が知りたいんや?」 困ったように問い返してくる忍足の手元のグラスに酒を注いでやりながら、 跡部が少し悩むような素振りを見せた。 旅の目的自体は聞いていたし、恐らくそれは今でも変わっていないだろうと そのぐらいは判断がつく。 それに、知りたいのはそういう事じゃない。 「旅に出る前のお前を知りたい。 何処で何をしていたのか」 「旅に出る前………?」 故郷の事を聞いているのだろうか。 何処にあるのかもわからない故郷の事を。 「勘違いすんなよ。 住んでた街にゃ興味ねぇ、お前が何をしていたのかを知りたいんだ」 「そう?」 訊ねる前に釘を刺されて、忍足がグラスを傾けながらうーんと唸りを上げた。 どう説明したものか、と暫し逡巡を見せて。 「俺……兵隊なんよ」 ぽつりと呟いた言葉は、跡部を驚かせるのに充分なものだった。 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 忍足の住んでいた国には兵役義務があった。 12歳になったら、その時点で国の兵として登録され、訓練を積むようになるのだ。 剣士や武闘家のように直接的なものもあれば、忍足のように魔法を操るものまで 様々な種類がある中で、自分に合ったものを選ぶ事を許される。 結局、忍足が12歳になった時点で選んだのは「魔法」だった。 「適正検査っちゅうのんもやってんけどな、これが一番性に合うとったん」 「ああ、何となく今のお前見てりゃあ納得いくぜ」 「ホンマは剣を選ぶ奴らのが多いねんで? やっぱ魔法使いは身体動かすより知識身に付けなならん事の方が多いし、 右から左に覚えるだけで使えるモンでもないし。 それが嫌やったから最初はお前も魔法覚えたくはなかったんやろ?」 「……それは、あるかもな」 兵役義務そのものは全員が通る道でもあり、特に苦と思っていたわけでもない。 共に育った幼馴染や友達と競い合うように強さを求めたのは、幼い頃の跡部や宍戸と 同じようなものだ。 そうやって平和に暮らしていた日々は、3年後に突然終わりを告げた。 「モンスターがな、襲ってきよって……それも、あっちはあっちで群れを成して きよったから、裏で大物が一枚噛んどったんやないかと、今では…そんな風に 思えるわ」 「大物?」 「例えば………魔物を統べる王、とかな?」 「そういう事か…」 それでも街の中に入れてなるものかと、兵士として訓練する者達は皆戦いに 狩り出された。 もちろん忍足も例外で無いし、友人や家族もまた。 記憶に残るのは、魔物の咆哮、人間達の悲鳴、叫び。 いつ途切れるか計り知れない剣の打ち合う音。 あちこちで聞こえる爆音は、魔法使い達の力だったろう。 その中で、父と母と、そして姉が命を落とした。 そして自分は。 「気がついたら……知らんところに一人で居った。 多分……飛ばされたんやと、思う」 「飛ばされた?」 「あるねん、相手を吹っ飛ばす魔法がな。 話でしか聞いた事あらへんから、俺は使えへんけど」 「………。」 「それで、気がつけば森の中や。 前にルーラを練習しとった時に飛んでった、あそこ」 何処を向いても深い森がずっと続いていて、今いる場所がどの辺りかもわからない。 適当に歩いて辿り着いた村は、聞いたことも見たこともない名前だった。 まだ15歳だった忍足にはどうして良いのかも判断がつかなかった。 戻ろうにも、街の位置さえ掴めない。 不安に思う前に途方に暮れた。 「まぁ…その辺りはもう細かすぎてややこしいから端折るけどな、俺は今の俺に できる事をしようと思て、とりあえずあちこちを転々としとった」 「どうするつもりだったんだ?」 「……俺一人やと何ともならへんからな、仲間が欲しい思て。 俺らの街をめちゃめちゃにしたヤツらに仕返ししたかったっていう思いもあったし、 その為にあちこちを回るなら、俺の故郷にも戻れる時があるかもしれんて思えたし。 ほんで…アリアハンの話を聞いたんよ」 どこだったか立ち寄った街で、過去に魔王を追い詰めた男が居たと聞いた。 男は野望叶わず命を落としてしまったのだが、その息子が存在するらしい。 その場所は……アリアハン。 「ホンマの話言うと、顔だけチラっと拝んで出発しようて思うててんよ。 別に、昔に勇者と謳われた男の息子や言うたかて、勇者は勇者、息子は息子。 同じなわけあらへんし、ソイツに期待するぐらいやったら自分が動くわて 思ってたしな。 正直………仲間になるつもりは、ほんのちょっとも無かってん」 だけど結局、こうやってズルズルと一緒に来てしまった。 跡部の事を勇者とはまだ思えないけれど、そうじゃなくて。 『仲間』だと、今ではそう思っている。 「話せと言われても、こんぐらいしか言われへんわ。 他にはあんまり思いつかへん」 「………お前…」 「うん?」 こくりと首を傾げる忍足に、跡部は言おうとしていた言葉を思わず呑み込む。 知らなかった、過去にそんな事があったなんて。 きっと、忍足の中で『魔王を倒す』という目的は、親兄弟の仇を取るのと同義だ。 解っている、自分の『魔王を倒して勇者になる』という目的と大差なく、 それは一個人の勝手な願望であり、結局のところ世界平和なんて誰一人 目指してなどいないのだ。 だが、逆に考えると人一人が動く理由なんて大体がそのようなものであり、 それだけ当人にとってその理由は切実なのだ。 だから、あの時軽々しく世界を救うと口にした自分達に対して忍足は憤ったのだろう。 真実味も信憑性も感じられないのは当たり前だ。 平和な街の中でぬくぬくと暮らしていた人間が、軽々しく口にして良い言葉じゃ 無いのだ。 「どないしたん、跡部?」 「いや……」 不思議そうに視線を向ける忍足に、跡部が力無く首を横に振った。 こんなことで自己嫌悪に陥ってしまっても仕方が無い。 自分は自分の目標を掲げて、突き進んで行くしかできないのだ。 「気ぃ済んだ?」 「まぁ……それなりにな」 「なんやねんそれ」 頬を膨らませて見せる忍足に苦笑を零し、跡部が忍足の手元にあったグラスを奪って 一気に喉に流し込んだ。 「ちょ、お前、それ結構度がキツイねんけど!!」 「この程度の酒で俺様がどうにかなると思うか?」 「いや思わへんけどな?」 「じゃあ言うなよ」 アルコールの助けが無いと言えないなんて、そんな情けない自分を見るのは正直 恥ずかしい以外の何物でもないのだが、恐らくそうしないと一生彼には 訊けなかっただろう。 「忍足……お前、」 「うん?」 本当は恐くて答えなんか聞きたくないのだけれど。 全てをはぐらかせて、今のままで歩んで行きたかったけれど。 過去を知ってしまったら……訊ねずにはいられない。 「お前、俺達と一緒に来た事………後悔してるか?」 少し驚いたような目で見られて、跡部はばつの悪そうに視線を僅かに逸らせる。 暫く考える素振りを見せた後に、忍足がゆっくりと口を開いた。 「……なんで、そう思うん?」 「もしかして……お前は、」 「あ、ストップ、なんか解ってもうたから言わんでええ」 パタパタと手を横に振りながら忍足が明るくそう告げた。 きっと跡部は少し勘違いしてしまっているのだろう。 そんな風に考えたことは、本当に一度も無いのだから。 「お前は、いつも本当にやる事がムチャクチャやしな。 それに付き合うんは正直大変やなぁって思う事もあったけど…、せやけど、 俺は一緒に行きたくない奴に付き合うほどお人好しと違うし、後悔する ぐらいやったら、とうの昔に抜けてるわ」 そうだ、確かあれはロマリアだった。 跡部が戻って来ないかもしれないと思って……自分は。 あの時に感じた思いは、一体どう表せば良い? 「せやから、後悔なんてするわけあらへんのやで?」 悪いけど後悔する前に抜けるしな、俺。 そう言いながら笑う忍足は、嘘を吐いているようには見えない。 「忍足…」 「お前さえ立ち止まらへんのやったら、俺はどこまででも付き合うたる。 そのぐらいの覚悟は、もうできとるんやで」 心配せんでもええよ、と言う忍足の柔らかい視線を受け止めて、唐突に理解した。 こんなに、手離す事を恐れていたなんて。 「これからも一緒に頑張ろうな、跡部」 そう言ってくれる彼を目にして、こんなに安堵するなんて。 その忍足に返す言葉が見つからなくて口を噤んだままで居ると、照れたように 笑いながら忍足は席を立った。 「ほな、俺、そろそろ休むわ」 「……あ?ああ…そうか」 「跡部もあんまり夜更かしせんと、早めに休みや?」 「……ああ」 頷く事しかできない跡部に困ったように頭を掻くと、忍足はテラスから 宿屋の中へ戻ろうと歩き出す。 その背に跡部の声がかかった。 「忍足!」 「……なん?」 くるりと振り返った彼に向けて、跡部は懐から取り出したものを視線だけで 確認すると、戸口に立つ忍足に向かって放り投げた。 小さな小さなそれは、月の光を反射してキラリと輝く。 「うわッ!!ビックリするやんか!! ……何やの?」 「それ、やるよ」 「…?」 手で握りこんだ感触では、かなり小さいもののようだ。 戸口近くは明かりも月の光も届かず、確かめようにも暗がりで見ることができない。 後で確かめるかと、忍足は「おおきに」と告げて部屋へと戻っていった。 彼が残していったのは、酒瓶とグラスだけ。 それを手酌で注ぎながら、跡部が空いている方の手を口元にやった。 「やべぇ……」 自覚した。 思っているよりもずっとずっと、自分は彼に惚れているようだ。 こんな事で理解してしまうのもどうかとは思うが、事実そうなのだから仕方が無い。 「俺様とした事が……」 グラスの中の酒をちびりと口に含みながら、思わず自嘲の笑みが浮かんだ。 もう、どうしようもないのだ。 忍足がの事が、好きで好きでたまらない。 真っ暗な部屋に戻って、掌の中にあったものを指で摘んだ。 えらく小さいそれに眉を顰めながら、テーブルの上にあるランプに 呪文で火を点す。 ほのかに明るくなったその場所で、もう一度手元に視線を送った。 「………これ…?」 それは、精巧な細工の魔法石が埋め込まれた、指輪だった。 確か本で見たことがある、祈りの指輪と呼ばれるものだ。 魔法を扱う者にとっては精神的な疲れを癒してくれるという意味で、かなり 重宝される貴重なものだ。 どこで手に入れたのかはさておき、有り難いとは思う。 だが、唐突に気がついた。 「ちょお待てや、指輪なんて貰うてどないすんねん俺……」 深い意味があるのだか無いのだか。 アイテムがアイテムなだけに、意味合いはどうとでも取れてしまう。 そして、受け取ってしまった自分も。 「どないせぇ言うねん、コレ……」 必要な時に使えと言っているのか? それとも常に指に嵌めていろとでも言われているのか? 何も言わなかった跡部も何も訊かなかった自分も、恨めしく思う。 もしも、この贈り物に意味が込められているのだとしたら? 「…………うわ。」 達した結論にどうコメントする事もできず、忍足は真っ赤な顔のままでその場に 蹲ったのだった。 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 屋上でのんびり月を眺めながら酒を飲んでいると、宿屋の入り口が開閉する 物音が耳に入ってきた。 騒がしくしないように注意を払ってはいるようだったが、外に居た跡部には 丸聞こえだ。 実際此処に自分が居る事を知っているわけでも無さそうだが。 こんな時間に出歩く人間が居るのは珍しい、そう思って何気なく跡部が手摺から 下を覗き込んで、その瞳に怪訝そうな色が宿る。 あの後姿は間違える筈も無い。 「滝…?」 どこに行くと言うのだろうか、格闘場に賭け事でもしに行くのか? 滝の趣味だとは思えない。 宍戸は寝てしまっているのだろうか、滝は一人で通りを歩んでいく。 「何しようってんだ、アイツ……」 訝しげに眉を顰めたままで、跡部は急ぎ足でテラスを出て行った。 <NEXT> |