※この話は、当サイトの50のお題、
「一騎打ち」→「敗北」の続きとなっております。
まだ読まれていない方は、先にお読み下さいね。
…まぁ、読んでなくても大丈夫だけど…。(汗)
<司馬仲達の受難>
透き通るような空気の中、星が小さな瞬きを見せる。
そして氷のように冷たい冷たい風。
それを正面から受け止めて、司馬懿が肩を竦めた。
「……寒い」
「仕方ねぇだろ?そういう季節なんだからさ」
司馬懿がぶつぶつ言葉を漏らすのに、前に立って歩く
夏侯淵が思わず笑い声を上げた。
そのまま城門を潜り、城下へと続く階段を降っていく。
「大体、こんな季節があるのが解せぬ。
ただただ寒いだけで、作物も実らぬし、兵の士気だって下がるだろう」
「そんな事言ってお前、だったら夏はどうなんだよ」
「嫌いに決まっているだろう!
あんなただただ暑いだけの季節!!
しかも虫も多いし、あの夜の寝苦しさは耐えられん!!!」
「好きな季節は無いのかお前……」
他愛の無い会話を続けて、二人はまだ活気の残る街の中へと足を向ける。
昼間、司馬懿が甘寧と手合わせをした。
その時に夏侯淵が約束したのだ。
甘寧に勝てば、夕食を奢ると。
その言葉もあってか、見事司馬懿は甘寧との勝負に勝利したのだ。
そういった理由もあって、今日は外で食事をと街へと出た。
奢ってもらうという事もあって、場所は夏侯淵に任せている。
「妙才殿、一体どこまで連れて行くのだ?」
「まぁまぁ、もう少しだっての。
美味い店知ってんだよ」
街の中心を走る大きな通りを歩いていると、あちこちから
夏侯淵を呼ぶ声が聞こえてくる。
気さくに挨拶をしてくる、この街の住人達。
それらひとつひとつに言葉を返していきながら、夏侯淵は
司馬懿の歩調に合わせて進む。
周囲に目を向けながら、司馬懿はただ黙ってその後に続いていた。
酒場の娼婦が。
「あら将軍様、今日は寄って下さらないの?」
「ああ悪ぃ、人連れでな。またその内な!」
片付けをしている武具製造の親父が。
「あ、夏侯淵将軍!!
つい先日、とても見事な弦が手に入ったんですよ!!」
「マジで!?
明日行くから失くさず持っといてくれよ!!」
店先で麻雀勝負をしていた男達が。
「淵の兄貴!!
こないだの雪辱戦させて下さいよ!!」
「おう、今日は駄目だ。また今度な!」
「勝ち逃げはずりィっすよ!!」
「はっはっは!!勝ったモンの特権だ!!」
相手が将軍であるという事を気にもかけていないのだろうか、
そこには、あくまでも対等な立場が存在していた。
それが…恐らくは、夏侯妙才という男ならでは、なのだろうが。
「……随分、人気者なのだな」
「ンなこと無ぇさ。昔から孟徳兄とこの辺ウロついてたからな、
引っ張ってんだろ、その頃をさ」
「……おや、淵将軍に司馬懿殿じゃありませんか」
急に背後からかかった声に、二人が驚いて後ろを振り向く。
しかし、そこに居たのは。
「吃驚させんな!!張コウかと思ったじゃねぇか!!」
「似てた??なぁ、似てたか??」
上機嫌で目の前でそう言うのは甘寧で、隣には申し訳なさそうに
している孫権が居る。
「ホラ、似てたってよ、孫権」
「辺りが騒々しいから、声で判断がつかなかっただけだろう…?」
「……随分、酔っているようだな」
甘寧に視線を向けた司馬懿が、あからさまに眉を顰める。
頬を赤く染めてヘラヘラと笑みを浮かべている甘寧は、どこから見ても
立派な酔っ払いだった。
「ええ……ちょっと、飲みに付き合わされまして……」
「珍しいな」
「その……止めきれなくて……」
「ヤケ酒か?」
夏侯淵の悪気の無い一言に、孫権が益々困ったような表情で俯く。
「……みたいなものです」
「はは……ま、昼間のアレじゃしゃあねぇか。
今日はみっちり付き合ってやんな」
努めて軽くそう言うと、夏侯淵が労うようにポンポンと肩を叩く。
途方に暮れたような表情で助けて欲しそうに孫権が視線を送ってくるが、
敢えてそれには気付かないフリをした。
「おォら孫権!!もう一軒行くぜー!!」
「もう嫌だこの酔っ払いーーー!!!
誰か助けてーーーーーーーー!!!」
ずるずると甘寧に引き摺られようにして連れて行かれる孫権の叫びに、
夏侯淵と司馬懿は黙って己の耳を手で塞いでいた。
ついでに目まで閉じて半泣き状態の孫権を見殺しにする始末。
酷い、酷い過ぎるぞ司馬懿殿夏侯淵殿、
この仕打ちはいつか呉に戻っても忘れないからなーー!!
…と、孫権が胸の中で思っていたかどうかは定かではない。
随分歩いたような気がする。
もう、街のどの辺りなのかすらさっぱり見当がつかない。
通りを歩く人の数は更に増し、司馬懿が不愉快そうに眉を顰めた。
「全く…何処まで歩かせれば気が済むのだ……」
先へ歩く夏侯淵の後を追いながら、やや疲れたような声音で漏らす。
ふいに、視線を空へ向けた。
藍色の空に、星が瞬く。
月や星で飾られても空は閑散としているのに、地上のこの雑踏は何だ。
辟易しきったため息を吐いて、視線を元へと戻す。
だが。
「………妙才殿………?」
目を離した一瞬の隙に、つい夏侯淵の姿を見失ってしまったのだ。
どっちを向いても見知らぬ人間が歩くばかりで、見慣れた姿は何処にも無い。
「どうしろというのだ……全く、あの男は…っ!!」
見失ってしまったのは自分のせいなのだが、それは全て棚に上げて
今目の前に居ない男を司馬懿は心底呪っていた。
とはいえ、こんな場所で呆然と立ち尽くしている訳にもいかず、何より
司馬懿自身がこの人込みに嫌気が差していたため、仕方無しになるべく
人の居ない方へと向かって歩き始めた。
街の細い裏路地を抜けると、繁華街からは外れた所に出たらしく、
急に人が少なくなった。
辺りを見回し、漸く司馬懿が肩の力を抜く。
まばらに歩く人の間を擦り抜けるようにして、何処を目指すでもなく
ゆっくりと歩いていると、急に肩を叩かれた。
「……っ!?」
驚いて勢い良く振り返ると、それに驚いたのか目を丸くしている張遼が居た。
「全く……驚かせるな、張遼殿」
「それはこちらの台詞だ。
こんな所で一人で如何された?」
「…張遼殿こそ」
「私は…」
手にした酒瓶を軽く振ると、張遼がやんわりと笑みを浮かべる。
「丁度今しがたまで其処の店で飲んでいてな。
程好いところで切り上げて、今から戻るところだ」
その割には、いつも一緒に居る男の姿が見えない。
首を捻ると司馬懿がその事を問うた。
「夏侯惇殿は?一緒じゃなかったのか?」
「いや、それが……」
張遼が答えるよりも前に。
「はははは、今日も大勝じゃ!!
見事なもんだろ、元譲よ!!」
「お前なぁ……少しは手加減してやろうという気に
ならんのか?あれではアイツらが余りにも……」
「何を言う!!
儂はいつでも真剣勝負だ!!」
「別に金に困ってるわけでも無いだろうに、そんなに
巻き上げてやらんでも……」
言葉を交わしながら、夏侯惇が曹操と共にやってきた。
曹操は賭け事でもして巻き上げたのか、金を勘定しながら歩いている。
一国を担う主にしては余りにも情けない姿に、司馬懿が軽く
こめかみを押さえた。
「実は先刻まで殿が……」
「いや、いい。言わなくていい」
むしろ聞きたくも無いと、司馬懿が張遼の言葉を手で制した。
張遼と共に立つ存在に気付いたのか、曹操が笑みを浮かべてやってくる。
「おお、司馬懿よ。こんな所で奇遇だな」
「殿……昼間では飽き足らず、まだ賭け事でございますか」
「もちろんだ。
たまにはこんな娯楽もないとな」
「………」
しれっと言ってのける曹操に絶句して、司馬懿が眉を顰めて張遼に
視線を送る。
それに何も答えず、ただ張遼は肩を竦めただけだった。
次に漸く追い付いてきた夏侯惇が、驚いたように司馬懿を見遣る。
「おい司馬懿、こんな所で何をしてるんだ」
「何をって……別に」
「そういえば、司馬懿殿がこのような所にいらっしゃる理由をまだ
お聞きしてませんでしたな」
ぽんと手を打ち頷く張遼に、しかめっ面をして司馬懿が答えた。
「別に……人と、はぐれてしまっただけだ」
「人って……ああ、ひょっとして淵の奴!」
夏侯惇が声を上げた。
彼も大通りから人込みを避けて裏路地を抜けたのだが、その時に
夏侯淵の姿を見たと言う。
「何か慌ててるようだったから、声はかけなかったんだがな。
そうか、お前を捜してたのか」
「まぁ、心配しなくてもその内合流できるだろう。
あんまりうろうろするんじゃないぞ、お前も」
笑い声を上げると、曹操が司馬懿に背を向けて歩き出した。
それに仕方なさそうにため息をついて、夏侯惇と張遼がついて行く。
「よし、次は賽だ、賽!!」
「孟徳!お前いい加減にしろよ!!」
「これで三軒目か……」
「何を言う、まだまだ夜は長いぞ!!」
一国の主は当分城に戻る気は無さそうだ。
細い路地を来た通りに戻っていく。
これを抜ければまた人込みだ。
夏侯淵が自分を捜しているならば、ここから出てさ迷い歩けばじきに
出会えるだろう。
だが、この道を再び一人で歩く気にはなれず、そのまま薄汚れた壁に
凭れ掛かるようにして座り込んだ。
そこから大通りを見遣る。
人と人が擦れ違うには少し狭いこの路地から通りを眺めると、
さまざまな人が、それぞれの歩調で行き交っている。
足元だけ眺めていても、それは千差万別で。
「これだから、人の多い所は苦手だ……」
億劫そうに呟いて、司馬懿が抱えた膝の上で頬杖をつく。
ついつい考えてしまうのだ。
この無数の人の中で、己は一体どれほどのものなのだろうかと。
例えば、先刻の酒場の女。
武器屋の親父。
雀卓を囲んでいた男たち。
彼らは自分などより余程、活気に満ちている。
例えば、先刻の孫権と甘寧。
彼らの方が余程、生き生きと今を渡っている。
自分は、彼らのように実感しているだろうか?
彼らのように、今在るこの生を楽しんでいるか?
いや、彼らのようになりたいとは思っているのだ。
思っているが、どこか冷めた目で見る自分が在るのだ。
随分長く一人で居たせいか、それに慣れてしまって誰かとの
楽しみ方を、忘れてしまった。
「………ふん、つまらん人間だな……」
司馬仲達という、男は。
自嘲気味の笑みを漏らすが、それはすぐに吐息に変わる。
もう、帰ってしまおうか。
今居る場所は何処か分からないが、城はとてもよく目立つ。
その方向へ足を向ければ戻れるだろう。
そう決めて立ち上がりかけた、その時だった。
「こんな所に居たのか!!」
急に視界が陰って、傍に人が立った事に気付く。
それに呆れたように息をひとつ零して、視線だけ上に向けた。
「……待ちくたびれたぞ」
「悪ぃ、気がついたらお前が居なくて、随分捜したんだぞ」
「もう少しで帰る所だった」
「お前、そういやこの辺は初めてなんだったな。
……ひょっとして、心細かったか?」
「馬鹿な事を言うな!」
声を荒げて言う司馬懿に、図星だったかと含み笑いを漏らして。
「もうすぐそこだから、ほら、行くぜ」
差し伸べられた夏侯淵の手に、司馬懿がしぶしぶと掴まった。
「ここだここだ!!
こんな外れに店を構えさせるには勿体無ぇぐらい美味いから、
期待して良いぜ〜」
「……言ったな?」
ならば賞味してやろうと司馬懿も頷いて、二人同時に
まだ活気の溢れる賑やかな店内へと暖簾を潜る。
その時だった。
「……おや、淵将軍に司馬懿殿じゃありませんか」
先刻も聞いた口調に思わず表情が強張って、司馬懿が辺りを覗う。
視線の先に、男を捉えた。
今度は声真似でも何でもなく、正真正銘の張コウ本人だ。
向かいには驚いた様子でこちらを見てくる徐晃の姿も。
ずかずかと店の奥に足を進め、目当ての卓に辿り着くとガンとひとつ拳をくれる。
「奇遇ですねぇ、司馬懿殿。
ああ、そんな乱暴にしないで下さいな」
「何が奇遇だ馬鹿めが。
私が気付かぬとでも思ったか?」
「おお!?
なんだ、張コウに徐晃じゃねぇか。
お前らも飯食いに来たのか?」
「ええ、先程来た所なんですけれどもね、」
ふふ、と夏侯淵の言葉に笑みを漏らして、張コウが答える。
それに司馬懿が益々いきり立った。
「貴様の目的はそれだけではあるまい!?」
「あら、よくお分かりじゃないですか。
無論、貴方が夕食をご馳走になるというお話を耳にしたので、
ご相伴に預かりに来たのですよ」
悪びれも無くそう言いきって、張コウがにこりと笑みを浮かべた。
「この…っ、図々しいにも程が…!!」
「まあまあ、司馬懿殿。そんなにお怒りになりなさるな」
「徐晃殿までそんな事を言い出すかっ!?」
「構いませんよね、夏侯淵殿?」
「ああ?別に構いやしねぇよ。
人数が多い方が、夕餉も盛り上がるってなモン…って、
ありゃ、どうした仲達?」
「き…っ、貴様等……!!」
怒りに肩を震わせて、司馬懿が低く唸った。
どこまでも邪魔が入る。
今日は間違い無く厄日だろう。
「いやぁ、なかなか緊迫した飯だったなぁ。
俺ァ、あんなのは初めてだ」
食事を終え、張コウと徐晃の2人とも別れ、また2人で更に冷え込んだ
空気の中を城へと戻っていた。
夏侯淵が漏らしたのは先刻の店での出来事の事だが、あの張コウと司馬懿が
顔を突き合せての食事なのだ、何が起こったかは各自の想像に任せる事にする。
「……こんな事になるとは思わなかった」
「ああ、俺もだ」
憮然とした表情で言う司馬懿に、声を上げて笑いながら夏侯淵も答えた。
「でもよ、楽しかったぜ?」
「…何が」
「お前とさ、こうやって仕事以外で何かするのって無かったからさ」
「…………」
「良いよな、こういうのも」
はぁ、と息を吐くと空気が白く染まる。
それすらも愉快そうに見遣って、夏侯淵が司馬懿を見た。
「なぁ、また行こうぜ」
「あんな騒々しいのはもうこりごりだ」
視線を逸らしてそう吐き捨てるように呟くと、急に首に腕を回された。
そのままぐいと、引き寄せられる。
「お前さぁ、」
すぐ間近に、夏侯淵の呆れたような顔。
「もう少しだけでいいから、素直になった方が良いぞ?」
「………っ、」
一瞬、息を呑んで。
「………たまには、な」
言い難そうにそう答えるのを聞いて、夏侯淵が嬉しそうに、笑った。
<終>
※ましばこうき様へ、謹んで献上致します。
日頃お世話になりまくっているましば様へ何かお礼がしたいと思い、
リクエストを頂きまして、はりきって書かせて頂きました!!
50のお題の、あの後夕食を奢られる司馬懿の話…で、淵司馬を頑張る
つもりだったんですが……ええ、つもりで終わってしまいました。(どーん)
淵司馬だけど、周り大勢とわいわいやってるのが良いというお言葉を頂き、
まるで水を得た魚のように!!何故か周囲のギャラリーに力が入る入る。(笑)
いや、めちゃめちゃ楽しんで書かせて頂きました!!私が!!
少しでも気に入って頂けたら嬉しいのですが…ましば様へ捧げますねvv