楓が作ってくれた陣の中に立ち尽くして、林春は賊の根城が丸ごと津波に 呑みこまれていく様を呆然と見つめるより他は無かった。 様子を見ている限りでは、あの場所に居て生き残れる者は恐らく誰もいないだろう。 「あ、いたいた。林春!!」 「姉ちゃん!!」 ふいに後ろから声をかけられて、林春は勢いよく振り返った。 聞き慣れた弟の声がそこにあったからだ。 「り…林秋ッ!!」 大慌てで陣から転がる勢いで飛び出した林春は、真っ直ぐに林秋の元へと駆けて行く。 大きく手を振っていた林秋も姉の元へと走り出した。 「馬鹿ッ!心配したんだから!!」 「ごめん……ごめんよ、姉ちゃん」 「いいのよ、馬鹿……」 ぼろぼろと大粒の涙を流しながら抱きあう姉弟の姿を見つめて、白狼の表情にも 笑顔が浮かぶ。 「なんだ白狼、この荷車は」 「うわッ、ビックリしたッ!? ………巽かぁ。驚かせないでよ〜」 気配も無く突然現れた相手にびくりと肩を震わせてから目を向けると、 いつの間に戻って来たのか巽が幌の掛けられた荷車を不思議そうに見遣っている。 「ちょっと巽さァ、もうちょっと方法考えなよね!? こっちは生きた心地がしなかったんだからッ」 「ははは、悪い悪い。 だがまぁ賊も一掃できたし、目出度し目出度しってことで、ひとつ」 「ちっとも目出度くなんかないやい!」 おかげでこっちは苦労させられたのだと頬を膨らませて言う白狼の頭を撫でて 誤魔化しながら、巽は興味を引かれたように荷車にかけられた幌の端を そっとめくった。 「なんじゃこりゃ」 「ああ、賊が村から巻き上げたものだよ。 一応返してもらっといたんだ」 「ほう、この短時間でそこまでやるとはなァ。 また腕を上げたんじゃないか?」 「へへへッ」 褒められると悪い気はしないのか、白狼は照れ笑いを浮かべる。 そして思い出したように巽の服の袖を引っ張った。 「そういえば言うの忘れてたんだけど、楓が津波の現場にまだ残ってるんだよね」 「………なに?」 「子供達はこの通り全員助けたから楓一人だし、まず大丈夫だとは 思ってるんだけどさ。 けど………たぶん怒られるよ?」 「……………。」 白狼の言葉に声を失った巽の頬を、冷たい汗が一筋流れる。 何より彼が一番恐れているのは、機嫌を損ねた時の茜寿と心底怒った時の楓なのだ。 「白狼……儂はこれからこの奪われた品と子供達を連れて先に村に戻るとしよう。 お前達は楓が戻って来るのを待って、ゆっくり帰って来るといい」 「え、でも、」 「いいから。」 強く言い含めると、子供達に「家まで送ってあげるからついて来なさい」と言って、 巽は荷車を片手で軽々と押しながら白狼も目を瞠るような速さでそこから 消えて行った。 「やーっと追いついた! 茜寿のヤツがトロトロしてっからさぁ〜」 「……貴様を落とせばもっとスピードは出たんだがな……。 やっぱり捨ててくれば良かったか。 いや今からでも遅くはない、捨ててこよう」 「え、うそ、待ってゴメン!」 軽やかな羽音と共に茜寿と汰助が空から降りてくる。 「茜寿、汰助、大丈夫だった?」 「ああもう、何とかギリで逃げてこれたぜ。 予告ぐらいしろっつーの!!」 「したら最早それは巽ではない」 「言えてる」 疲れたように嘆く汰助の言葉に、茜寿と白狼が顔を見合わせて苦笑を見せた。 楓の事は最初から心配などしていないような気安さで。 心配しているのは林春ぐらいだろうか。 「さぁって、帰ろうぜ〜」 「そうだな、帰るとしよう」 「僕お腹空いちゃったな。 帰ったらすぐご飯の支度するからね」 「白狼にーちゃんのご飯ッ!俺も食べたい!!」 ぞろぞろと村へ向かって移動する集団の一番最後に、林春は何度も振り返りながら それでも離されまいとついて行く。 びちゃっ。 夜道で聞けば幽霊か何かと思ってしまいそうな水音がして、林春以外の全員が びくりと肩を竦ませる。 見ていた林春だけが、少し弾んだ声を上げた。 「楓さん!!良かった、無事で!!」 恐る恐る林春以外の全員が背後を振り返ると、全身ぐっしょりと濡れそぼり ぽたぽたと水滴を散らしながら立っている楓の姿が目に入る。 「よ…よぉ、楓!何とか乗り切ったみてーじゃん!!」 「良かった。実に良かった」 「楓ならきっと大丈夫って信じてたから!」 「五月蝿い。」 汰助、茜寿、白狼の言葉をぴしゃりと遮って、楓は周囲を見回した。 「……巽の姿が見えないようだが?」 「ああああの、楓さん、実は、巽さんは…」 「良い、林春。 言わなくとも大体分かる。 ………逃げたんだな?」 どこか凄みのある楓の声音に、そこに居る全員がコクコクと首を縦に 振ることしかできなかった。 ひくり、と楓の口元が僅かに引き攣る。 「殺す。アイツは殺す。」 「え、ちょ、楓さんッ!?」 村へと向かう道を猛スピードで歩いていく楓を林春が慌てて 追いかけようとしたが、それは汰助の手に阻まれた。 「汰助くん?」 「ほっといた方がいいって。 触らぬ神と楓に祟りなし、だよ」 「…巽さん、大丈夫かしら」 「死んだら骨は拾ってやろう」 「そうだねー」 あはは、と笑い声をあげる彼らの姿を見て、林春は力が抜けたように 肩を落とした。 そんな彼らの姿を、木立の上から眺めている男が一人。 「見ィつけた、と」 ニヤニヤと軽薄そうな笑みを浮かべながらも、僅かに垂れた眦に宿る光は 獰猛な獣のように鋭い。 「さァて……どうやって遊ぶかなァ。 一人作戦会議とでも洒落込もうかねェ」 くつくつと笑い声を忍ばせ、その気配は風に紛れ霧散した。 そんな事も彼らは露知らず。 一先ずに事件は一件落着とする。 <完> ※一応、この話はここまでです。 次からはまた別の話が始まる予定…です。がんばる! |