己の頭上をゆっくりと旋回しているのは、本の中でしか見たことのない、 龍と呼ばれている生物。 もちろんこれも宗教じみた話になってしまうのだが、人間の生きるこの世界で、 龍は神と崇められている。 あまりの光景に呆然と見上げるしかなかった林春は、そこで茜寿に言われた言葉を 思い出した。 巽は楓と共に降りて来たのだ、という話を。 という事は、単純に言葉とこの現象を結びつけるなら、あの2人だけは『天』に 属する者だということになる。 楓はあまり自分の事を話さないので分からないが、目の前の龍を見ていると 巽に関しては納得ができた。 彼は正に『天』で生きる者なのだと。 「そう…………龍神さまだったのね……」 林春が見守る中、巽はゆったりと空を泳ぎながら少しずつ建物の方へと 向かって行った。 「じゃあ、此処で待っていてね、すぐに他の子も助けてくるから」 閉じ込められていた子供達を安全な所まで連れて行ってそう言い含めると、 白狼は踵を返して元来た道を走り出した。 あとは林秋1人だ。 どうにか自分の方は無事に終わりそうだと考えながら走っていると、同じ道を 駆けてくる仲間を見つけて目を丸くする。 「楓!? 一体どうしたの?」 「し、白狼、か」 余程大急ぎで走ったのだろう、楓の呼吸はやや乱れている。 心配そうに見つめると、私は大丈夫だ、という前置きがあって。 「お前の方はどうなっている?」 「粗方助けたよ、後は林秋だけ」 「よし……そっちには私が回ろう。 白狼は急いで茜寿と汰助を捜してくれ」 「え、なに、どういうこと?」 「アレだ」 空を指差し楓が大きく息をついた。 釣られて見上げて、白狼の目が更に丸くなる。 空に一匹の龍が泳いでいるのだ。 「え、ちょ、巽なにやってんのさーー!?」 「一発で片付けるとか碌でもないことを言い出した。 このままじゃ皆流されてお陀仏だぞ」 「シャレになってないよ!!」 「だから、白狼はすぐに馬鹿2人を掴まえて退避してくれ」 「え、でも、楓は?」 「私は大丈夫だ。 林秋も、必ず守り抜く」 楓の言葉にやはり少し心配そうな表情をしたが、白狼はそれに従う事に決めた。 今あれこれ言ったところで仕方が無いし、揉めている時間もないのだ。 「じゃあ僕、行って来るね」 「ああ、こっちも任せろ」 顔を見合せ頷き合うと、2人はバラバラに散った。 楓は先程白狼が引き返そうとしていた道へ、そして白狼は茜寿と汰助の 匂いを追って。 「俺ァ元々、戦うのは好きじゃねぇんだ」 大刀を肩に担いだ男が、やれやれと重いため息を吐きながらそう告げた。 そしてぐるりと周囲の見回し惨状を確認して、またため息。 「あーあー、コイツら全員の仇を取らなきゃなんねぇわけか。 面倒臭ぇなぁ、刀振り回すのも本当は億劫でしょうがねぇってのに」 「何言ってやがんだ、ソイツであちこち襲って回ったんだろうがよ!!」 「俺は何もしてねぇよ?」 汰助の言葉に心外そうに眉を跳ねさせて男が刀で周囲の仲間達を指す。 「何もしなくても、血の気の多いコイツらが勝手に暴れてくれたからな。 おかげで俺は大層ラクさせてもらったぜ」 「…………下衆が」 悪びれも無く言う男の言葉に茜寿が短く吐き捨てる。 しかし余裕で眺めていただけの事はあって、先程までの雑魚とは格が違う。 ただ刀を担いで立っているだけだというのに、その立ち居振る舞いには 全く隙が見当たらなかった。 「2人がかりなら何とかなるか?」 「お前は下がっていろ、死に損ないが」 「ちょ…っ、それって酷くねー!? 俺にもちょっとぐらい分けてくれたってイイじゃんかよ!!」 「嫌だ。お前には分けたくない」 「………ま、なんだ。折角なんだしな、」 また始まりそうになった口喧嘩を男の声が止める。 2人揃って目を向けるとニタリと笑みを浮かべている男の姿。 「面倒臭ぇとか言うのは止めて、俺も少しは楽しむとしようかね」 突き刺すような殺気を感じて茜寿と汰助が息を呑む。 どうやらハッタリではなく、この男は相当な手練れだ。 陣の中で正座をしたまま、林春は目の前の光景を固唾を呑んで見守っていた。 空の上を優雅に龍が泳ぐさまは、壮観というより他は無い。だが。 「なんてこと……!」 幻でも見ているのかと思った。 そもそも話を何も聞いていなかったら、きっと夢か幻の類で済ませていただろう。 きっと信じられる筈も無かった、だって此処は四方を木々が生い茂る深い森の中 なのだ。 そんな場所に。 巨大な津波が、押し寄せようとしているなんて。 <続> |