視線の先には随分と前に家主を失くした廃屋がひとつ。
それがどうにか視界に入る程度の距離の所で、汰助は足を止めた。
「……あそこだ。
 これ以上近づいたら気付かれる」
「気付かれる?」
訝しげに眉根を寄せて楓が呟く。見たところ周囲に見張りの
人間がいるような感じはしない。
「誰もいねぇのにさ、近付いたらイキナリ術が飛んできたんだ。
 だから俺もこれ以上は近付けなかった」
「ふむ……しかし狙われるの承知で突っ込むしか方法が無いわけか?」
「それも不思議な話だな。
 それならば、あちらさんはどうやってこっちの事を知るってんだ」
巽が茂みの隙間から建物の姿を見遣って、納得がいかんと首を傾げる。
そのすぐ傍に林春を抱えた茜寿が舞い降りてきた。
ふと思いついたように巽は茜寿の姿をじろじろ眺め、ポンと肩に手を置く。
「そうだ茜寿、お前さんなら空から攻撃できるだろう?」
「………冗談はよせ。
 あんな結界だらけの場所に攻撃などできるわけなかろうが」
「結界?」
「なんだ楓、気付いて無かったのか」
意外そうな表情で茜寿が言うので、楓が来た道を数十歩下がって
ぐるりと周囲を見回した。
確かに茜寿の言う通り、建物を中心とした広い範囲に結界が
張り巡らされている。
恐らく汰助もこれに引っかかって存在が相手に知られたのだろう。
「………わーぉ」
「珍しいね、楓が見落とすなんてさ」
「いや……こんな広範囲に術を仕掛けるとは流石に思わなかったからな。
 たぶんこれなら、術師は数人居るだろう」
結界があるというのを知ったからといって、自分達の行動に
何か変化が出るわけではない。
この術を解かなければどういう方法で突撃しても知られてしまうからだ。
となれば当然この結界を解くのが一番有効なのであるが、困った事に
範囲が広すぎて何処に術を仕掛けたかが分からない。
「これは……しかし、参ったな。
 コイツを何とかしない事には、どんな方法を取っても
 相手に知られる事になる」
「仕方無いだろう。
 やはりここはひとつコイツを囮にしてだな、」
「だーかーら、どうして俺をいちいち危険なトコに
 放り込もうとするんだよ!このバカ鳥ッ!!」
「……ほう、馬鹿とな。馬鹿と言ったな、貴様」
「やるってか?そろそろ決着つけるか?あぁ!?」
「こらこらやめんかお前ら、戦う前に戦力削いでどうするんだ」
拳をぐっと握り締め今にも飛びかからんとする汰助と茜寿の間に
割って入ると、巽はふと林春の方へと目を向けた。
何やら先程からそわそわと上の方を見上げている。
「お嬢さん、どうかしたのかい?」
「あ……あの、さっき上から降りてくる時に
 見たんですけど……あれ、」
「うん?」
林春が指差す先は、木の幹ではあるが随分高い位置にある場所。
そこに白い長方形の紙切れが貼り付けられているのを、右手を
額の傍に添えて遠くを眺めるようにして確かめると、巽は手招きして
楓を呼び寄せた。
「アレ、もしかして術札じゃないか?」
「……お前が見つけたのか?」
「いや、お嬢さんがな」
「ふふっ……そうか、でかした林春。
 汰助、ちょっと行ってきてくれ!!」
「ったく、人使い荒ぇなァ」
愚痴を零すもやはり楓の言葉には従うしか無いのだろう、汰助は
軽い足取りで己の身長の5倍はあろうかという高さの所まで駆け上ると、
幹に貼りついていた術札を引き剥がした。
ひらりと軽い身のこなしで飛び降りてくると、今しがた自分が
剥がしてきたものを楓へと差し出す。
「ほらよ」
「ご苦労。
 やはり……術札だな」
「でも結界、解けてないみたいだよ?
 他にもあるのかなぁ…探すの大変そう」
白狼が建物の方へ視線を向けながら言うが、それにも楓は
口元に笑みを浮かべて、受け取った術札へ口付けるように唇を寄せた。




「いや、これ一枚あれば充分だ」




持っていた杖で楓はまた地面に何かを書き出す。
茜寿の時よりもずっと小さな陣を描くと、その中に術札を置いた。
「下がって伏せていろ。全員だ」
そう周りに言い含めて、楓は何事かを口にすると陣の上にある術札へと
杖を強く突き立てる。
巽は咄嗟に林春を庇い、白狼と汰助はそれぞれ頭を抱えて
その場にしゃがみ込んだ。
茜寿だけが微動だにせず楓の術を見守る。
ズン、と強い地鳴りがして、いくつかの木が幹の半ばから
折れていくのが見えた。
目に見える範囲で数えただけで17本。
随分と沢山の結界を張ったものだと茜寿は眺めながら思わずため息を吐く。
その労力がいかに大変なものであるかは何となく分かる。
だからこそそれを一瞬で破壊した楓の術師としての力は途方もないものだと
感心する反面、一瞬でその労力を無駄にされたのが敵ながら不憫にも
思えてしまった。
「下がれと言ったのに、本当にお前は言うことを聞かない奴だな」
「心配はいらない。
 今の状態の私に危険など皆無だ」
「というより、今のお前なら結界自体が無意味じゃないのか?」
「それはそうだが……」
楓の言葉に頷くと、茜寿はちらりと蹲っている仲間達の方を見遣って
肩を竦めた。



「私だけ獲物を独り占めしては、後で何を言われるか分からないからな」




















結界が解けた事を確認して、楓は改めて地面に陣を描き直す。
その上まで林春を連れてくると、楓は一枚の札を渡して強く言い含めた。
「林春、これから君は此処を一歩も出てはならない。
 此処に居る限りは、君の安全は保障される。
 決して、一人で此処から動くんじゃないぞ?」
「は……はいっ」
「あと、白狼!」
「なに?」
「お前にコレを貸してやる」
「うわ、やったぁ!!」
持っていた杖を白狼に向けて放り投げると、嬉しそうな声が上がった。
「今度は何が起こるの?」
「まぁ、茜寿と同じような事が、な」
林春の問いに楓がそう答えた。
茜寿と同じということは、彼も何か不思議な力を得るのだろうか。
そう考えると今度は何が見れるのかと少し緊張してしまう。
「よ…っと!」
くるりと手の上で杖をくるりと一回転させ、脇差のある左の腰へと据える。
その時には既に杖は一振りの刀へと変わっていた。そして、白狼自身も。
「ああッ!!か、可愛いッ!!」
「わっ、吃驚したぁッ!!」
まるで犬のような耳と尻尾が生えている。
どれだけの力を得たかはともかく外見だけでいえば非常に愛くるしい姿に、
思わず林春は陣から飛び出して白狼へと抱きついていた。
「こら林春!陣から出るなと言っただろう?」
「あ、ご、ごめんなさい」
慌てて白狼を離すと、驚きにピンと立っていた耳が少し垂れる。
それを見てまた可愛いなぁなどと思ってしまったが、
それで纏わりついてはまた楓に怒られてしまう。
仕方無しに林春は名残惜しそうにまた陣の中へと戻った。
「こちらから攻撃を仕掛けて敵を攪乱させる。
 その間に白狼は隙を見て中に入り、攫われた者達を助け出すんだ。
 見つからないように気をつけろよ?」
「うん、やってみる。
 同じ方向から行ったらバレちゃいそうだから、取り敢えず僕は
 反対側に回って騒ぎが起きるのを待つよ」
「ああ、それが良い」
「じゃ、行って来るね」
ひらひらと手を振ったかと思うと、瞬間、白狼の姿がそこから消えた。
足音も草葉の音も何もさせずに。
これが白狼の力か、と林春は思わず感嘆の吐息を零していた。
「んで楓、俺は?俺は??」
「……お前はそのままだ」
「ええええッ!?
 なんで俺だけこのままなんだよ!!」
納得いかないと喚きだす汰助に手刀を一発かまして、楓は肩を竦めた。
「お前は怪我人なんだろうが、もう忘れたのか単細胞。
 こんな状態でお前に力を戻してみろ、制御しきれず辺り一面
 荒野になるだけだ。
 まぁ、お前も自滅するだろうがな」
「じゃあどうすんだよ。このまま乗り込めってか?」
「できん事はあるまい、どうせ暴れるの好きなんだろう?」
汰助の言葉に楓がニヤリと笑ってみせる。
わざわざ力を与えずとも、一般のレベルより汰助の方が身のこなしは
数段上だ。
術にさえ気をつければ大概の相手には勝てるだろう。
「それが嫌なら、林春と一緒に此処で待っているんだな」
「……ちっ、しょうがねーな。
 茜寿、俺を上からあの建物の中に放り込んでくれ。
 そうだな……なるべく敵さんのど真ん中が良い」
「……フン、良いだろう」
敵の中心ならば同士討ちを避けるために派手な術などは控えるだろう。
かなりの人数を相手にするだろうが、それぐらいであれば
汰助なら何とかする。
承諾すると、茜寿が一度大きく翼を羽ばたかせた。
手を伸ばして汰助の腕を掴み、一直線に敵の拠点へと向かって
飛び立っていく。
それを見送っていた楓が、先程から動きもしない男を横目で見た。
「巽は行かないのか?」
「正面からの攻撃が茜寿と汰助なんだろう?
 いらんいらん、儂なんぞの力など無くとも、」
ドン、と一際大きな音がして建物から煙が立ち昇る。
どうやら茜寿が術を放ったようだ。
それを確認して、巽はにんまりと大きな笑みを浮かべた。



「あの2人に、敵など居らんよ」



どっこらせ、と年寄りじみた声を上げて、巽は林春の傍らに
腰を下ろしたのだった。














<続>