「どう?汰助くん」 「……おう、大丈夫そうだ」 夜明け頃になって、林春が汰助の元へと顔を覗かせた。 思ったより顔色が良いし熱も随分下がっているようだ。 治療をしたとはいえ、その回復力は大したものだと思ってしまう。 「本当に、無理はしないでね?」 「わーかってるって! 心配症なんだよな、林春はさ」 「心配して何が悪いのよ」 簡単に身支度を整えると、既に玄関先へと出ていた 仲間達と合流する。 どんな準備をしたのかと思ったが、皆それぞれに武器を 携えているだけで服装などはいつもと同じだ。 楓など動きにくいのではないかと心配させるような 装いだというのに、彼女は杖一本を片手に持っているだけである。 想像よりずっと元気な様子で林春と共に現れた汰助を見て、 楓が器用に片眉を跳ねさせた。 「調子良さそうだな、汰助」 「おー、林春の薬がよく効いた。 これなら俺も一暴れできそうだぜ」 「しちゃ駄目って言ってるでしょう!?」 もう!と頬を膨らませて言う林春に苦笑を浮かべるだけで返すと、 さて、と楓は汰助の首根っこを掴まえて、傍に立つ3人の仲間を見回した。 「この馬鹿が場所を言わぬのだから仕方がない。 コイツの先導で行くが、何かあった時は……分かってるな?」 「ああ。コイツを囮にして逃げる」 「違ェだろッ!!」 こくりと真顔で頷いた茜寿に汰助が喚くのを楓が拳で黙らせて、 しょうがない、と吐息を零して頭を掻く。 「とにかく、林春を守ることが最優先だ。 この馬鹿は放っておいても自力で何とかする」 「自力でって」 「無論、それだけの覚悟があって行くのだろう?」 「…………はい。」 じろりと睨みつけられてそう言われると、汰助としても頷く以外の 方法が無い。 楓が掴まえていた汰助の襟首を放すと、それで?と首を傾げた。 「此処からどのぐらいの距離だ」 「まぁ……近くはねぇな。 山2つ向こうの村から襲い始めたっていうから、てっきり そっちの方だと思ってたんだけどよ、うちの裏山を越えた もうちょい先に拠点をいつの間にか移してやがった」 「……つまり、あっちの方にはもう狙えるものは無いということか」 「搾れるだけ搾り尽くしたんだろうよ。 酷ぇことしやがる」 小さく舌打ちを零しながら吐き捨てる巽に頷いて、楓がはた、と 林春の方を見遣った。 そういえば極々基本的な事を忘れていたけれど。 「……どうやって連れて行こう」 「え?」 言われた事の意味が分からなくて林春が首を傾げる。 楓は勝手に一人で思考の渦に沈んでいるようで、それ以上自分に 何かを話してくれる様子はない。 そんな楓の肩に手を置いて話しかけたのは茜寿だった。 「楓、私が連れて行こう」 「茜寿………だが、」 「どうせ連れて行った先で分かる事なんだ、 今でも大した問題ではないだろう」 「……それも、そうか………分かった、そうしよう」 茜寿の案に了承すると、楓は手にしていた杖で地面にガリガリと 何かを描き出した。 専門ではないので林春には詳しい事は分からないけれど、以前読んだ 古い本に書いてあった陰陽道のものに似ている。 「楓さん、何して……」 「少し離れてろ、林春」 「え、でも、」 「もしくは飛ばされないように注意しろ」 「え!?」 まるで落書きのように地面に描きつけられた文字の周囲を囲むようにして、 楓は最後にぐるりと円を描いた。 「できた。 まぁ、林春には説明するより見て貰った方が早いな。 とっとと入れ」 「うわ、蹴るな…ッ!!」 隣に立っていた茜寿の背中を足で突き飛ばすと、大きくよろめいた 茜寿の足が一歩、円の中へと踏み込む。 瞬間、その円を中心にして突風が巻き起こった。 「きゃあ…っ」 「だから離れてろって言ったのに……ほら、」 激しく吹き付ける風に目も開けていられない状態で、両腕で顔を 守っていた林春の片腕を取って楓が仕方無さそうに呟く。 暫くすると砂埃も減って、林春は大きく息を吐きながら腕を下ろした。 「え……っ?」 目の前で起こった出来事に頭がついて行かず瞬きを繰り返すだけの 林春の傍へ白狼が近寄り、手にしていた包みを肩から下げるように 括りつけた。 「ごめんね、林春さん。 荷物なんて持たせたくないんだけど、薬とか包帯とかだから 林春さんに持ってて貰った方が良いと思うんだ」 「………え、ええ……あの、えっと。」 「それでは行こうか、林春」 「ええと……一応訊いておきたいんですけど……どうやって行くんですか?」 どうやってとは、また不思議なことを訊くものだ。 そう考えて茜寿はさも当たり前かのように頭上を指差した。 「…………空からだが?」 それが何か?と告げてくる茜寿の背中には、朝日を受けて 純白に輝く翼が生えていた。 「な、なんだか………お伽噺の中にでも居るみたい」 茜寿に抱えられてふわりと宙を浮いた時、林春はそう呟いた。 空を飛ぶなんて経験は生まれて初めてだ。 「汰助、私はお前の後を空から追う」 「ええッ!? マジかよ、俺ってば怪我人なんだぜ!? お前のスピードに合わせろってのか!! 普通、ここは俺も連れてくモンじゃねぇ!?」 「私に2人も抱えろと言うのか?冗談じゃない」 「冗談じゃねーのはこっちだ!!」 「い・い・か・ら。 早いこと出発しろ、お前は」 「………う、ういッす」 宙を挟んで言い合いを始めた2人を見て、楓が汰助の頭を 鷲掴みにする事で黙らせる。 諦めたような吐息を零すと、汰助はこっちだ、と東を指差して 走り始めた。 空からも地面からも分かりやすいように木から木へと 飛び移るようにして森の中を駆けて行く。 それを茜寿と林春は空から、楓達は地の上から追うということだ。 「凄い……みんな、速い…」 「まぁ、それなりに鍛えてあるからな」 空の上からの景色の流れは非常に緩慢ではあるが、それと同じ速度で 地を走る3人もついて来ている。 汰助などはまるで猿か何かにでもなったかのような身軽さだ。 「私は……正確には私だけじゃないのだが、簡単に言えば人間ではない。 それぐらいは、もう分かるだろう?」 「………はい」 正直、その気配は最初から感じていた。 自分達と同じようでいて、けれどどこか違う空気を彼らは持っていたのだ。 それを伝えると、そうか、と短い返事があった。 「でも、それなら茜寿さん達は……何者なのですか?」 「それを簡単に言うのは難しいな………。 この世には、『天』と『地』と『獄』があるという。 そんな話を聞いたことがあるか?」 「そういえば……昔、親にそんな話をされた事があります」 『地』とは今いるこの世界の事だ。 動物が、人間が、数多くの生を受けた者達が生きる世界。 『天』は神々の世界だ。 『地』で生を全うし息絶えた者が送られるという極楽浄土も 其処にあるというのが世間一般での通説である。 そして『獄』は死した後に『天』へ行くことができなかった者が 辿り着く世界。 『天』へ行くには重すぎる罪を背負った者が墜とされる場所。 ただ、自分達にとって『天』も『獄』も話でしか聞くことのない場所だ。 俗に言う「死んだら天へ行くのだ」という宗教じみた話でしか無い。 「その考え方でいくと林春は『地』に属する者だ。 そして我々は……『天』に属すると言えば分かり易いだろうか」 「じゃあ、茜寿さん達は、神様……ということですか?」 「正確に言えば違う」 「違う?」 こくりと首を傾げた林春に、茜寿は視線で汰助を追いながら 自嘲じみた笑みを零した。 「我々は、いわば『できそこない』だ。 中途半端な力だけを持った、神になれなかった者だ。 『天』に属することすら叶わぬ、はみだした存在なのだよ」 「……他の皆も、そうなのですか?」 「ああ、そうだ。 私や白狼などは楓の助けがなければ力を使うこともできないし、 汰助は逆に力が大きすぎて自制が利かないので、大半を楓に 抑えられている。 まぁ巽は……少々特殊なケースだが」 遠い昔に茜寿が話で聞いたところでは、楓がこの地に降りてきた時に 巽も共に来たのだということだった。 わざわざ『地』に降りてくるなんて、余程の酔狂でもなければ 有り得ないだろう。 だが、その有り得ないことをやってのける男なのだ。 そういう意味では『はみだし者』という言葉もあながち間違いとは言えない。 茜寿は過去に一度、巽にその事を訊ねた事がある。 その時の返答も「暇だったし、なんとなくなぁ」などという酷く あっけらかんとしたものだった。 「……それじゃあ、楓さんは?」 林春の問いに茜寿は思わず口を噤んだ。 ややあってから浮かんだのは、林春すら一瞬目を奪われる程の、 酷く優しげな微笑み。 「楓は、我らの『王』だ」 どういう意味なのだろうかと考えている思考の端で、汰助の「見えた!」という 声が捉えられた。 ゆっくりと高度が下げられていくのを眺めながらどれだけ考えても、 結局林春にはその言葉の意味を理解することは最後までできなかった。 <続> |