物音のした玄関の方へ白狼が駆けて行くと、扉を開け放した状態で 蹲る人影を見つけた。 くん、と鼻をひくつかせる。血の匂い。 「ちょ…ッ、どうしたの汰助、しっかりして!!」 慌てて玄関先へ飛び降りるようにして、汰助の肩に手を置く。 その時汰助の眉が痛そうに顰められたが白狼は見ないふりをした。 「汰助、ちょっと何があったのさぁ!?」 「う…ッ、うるせーよ、耳元でギャアギャア喚くなっての……」 「ちょっと、心配してるんじゃないか!!」 「わーった、わーったから」 思わず頬を膨らませて言う白狼に、汰助がそれ以上喚くなと片手で制した。 よく見れば衣服の所々が刃物のようなもので切り裂かれ、血が滲みだしている。 「どうした、白狼!?」 「汰助が……」 バタバタと足音を立てて楓達がやって来たのに気づき、白狼は困ったような 表情でしゃがみこんだままそちらを見上げた。 「おーおー、こりゃまた手酷くやられたモンだ」 「林春、手当てを頼めるか?」 「は、はい! それじゃあ汰助くんを中へ……」 「私がやろう」 楓の後ろから覗き込むようにして巽が覗き込む。 それを片手で押し退けながら楓が言うと、林春が大きく頷いた。 中へ連れて行けという指示に動いたのは。 「ぐえっ、く、苦しいッ!」 「命拾いしたか、死に損ないが」 「おま、もうちょっと普通に…!!」 茜寿が襟首を摘んで持ち上げると、襟元が締まって汰助が苦しそうな 声を上げる。 それにもお構いなしでずんずんと部屋の中へと入っていく茜寿の背中を 眺めながら、巽はもう一度やれやれと肩を竦めたのだった。 「白狼くん、薬箱をお願いできる?」 「う、うんッ!!」 林春の言葉に首を縦に振って白狼が奥へと駆けて行く。 ばたばたとそれぞれが動くのを見遣ってから、楓は今一度汰助が倒れていた 場所へと目をやった。 (………術師がいるな) 刃物のような切り傷ではあったが、どちらかと言えばまるで真正面から 鎌鼬でも受けてしまったかのようで、傷と傷の隙間が非常に狭い。 壁板に染み込んだ血の跡を見つめ、楓は小さく舌打ちを零したのだった。 「……はい、これで一応は大丈夫だと思うけど……、でも、 当分は動かない方が良いわ」 薬箱の蓋を閉めながら林春が言うのを、隣で残った包帯を巻いていた 白狼が聞いていた。 動かない方が良いとは言ったが、果たしてこの暴れん坊が 聞いてくれるかどうか。 「あんがとな、林春」 「汰助くんが思ってるより傷はずっと深いわよ? 無理は禁物!これは医者の言葉だからちゃんと聞いてね」 「ああ、聞いた」 (絶対聞いただけだ!) 突っ込んだら汰助に小突かれそうなので黙っていたが、白狼は心の中で そんな風に感じていた。 「で、汰助。奴らの居場所は分かったか?」 「おう、バッチリだぜ!」 「意気込んで言う割にゃあ、随分やられたようだがなァ?」 「そう言うなよ、巽。 てっきり雑魚共ばっかりだと思っててさァ、あんなモンなら俺だけでも 何とかなるんじゃね?って……」 「思ったのが間違いだったか」 「……規模は大体50人程度。想像以上にでけぇ。 賊の集団っていうよりゃ、組織みてーなカンジだった。 その内の何人かは相当な手練れがいる」 「術師もいるようだな」 包帯を巻かれた上から着物を着直し報告を続ける汰助の言葉を聞いて、 楓が静かに口を開いた。 帯を結ぶ手を止めて汰助が真っ直ぐに楓を見て、やがてこくりと首を縦に振る。 「あぁ、いるな」 「この傷はソレだろう?」 「まーな。 すぐに退いたから、大したコトは無かったけど」 「で、根城は何処だ?」 「…………。」 楓の問いに、汰助は明後日の方へ視線を向けた後、ごろりと 布団の上に寝そべった。 思わず眉を寄せて見つめていると。 「言わねぇ」 あっさりとした汰助の拒否に、楓の表情が見る見る内に怒りの形相へと 変わっていく。 「今、何と?」 「言わねぇって言ったんだよ」 「……ほう、」 ごき、と拳を鳴らして楓が汰助を見下ろす。 殺る気満々な姿を見て、慌てたように巽がその両肩を抑えた。 「まままま、待て待て、落ち着け楓!な!?」 「これが落ち着いていられるか! この馬鹿、この期に及んでこんなふざけた真似を…ッ!!」 「心配するな、楓が手を下さずとも私が縊り殺してくれる」 「わあぁぁぁッ!! やめてやめて茜寿!!死んじゃうから!! ホントに汰助が死んじゃうから!!」 茜寿が掴みかかろうとするのを慌てて白狼が押し止める。 ちょっとした騒ぎになっているのも何処吹く風で布団に 寝そべり続ける汰助を見て、林春が口を開いた。 「……駄目よ、汰助くん」 「あ?」 「行くつもりでしょう? それは医者として、許すわけにはいかないわ」 「………どういう事だ、林春」 「私が話しても良いの?」 楓の言葉に、だが林春は汰助に問う。 唇を引き結んでいた汰助は、ややあってから漸く口を開いた。 「場所は言わねぇ。けど、案内はする」 「お前……」 「だから、俺も連れてけ」 「駄目だったら!汰助くん!!」 「林春が駄目って言っても俺は行くぜ。 じゃなきゃ場所は絶対に教えねぇ。 やられた分はキッチリ返さねぇと、格好がつかねーよ」 絶対に行くと言い張る汰助と止めようとする林春を交互に見遣り、 楓はひとつため息を零した。 この強情張りは、一度こうと決めたら誰が何を言っても動かないのだ。 「……出立は明朝だ。 それまでには動けるようになっておけ。 他の者も、今の内に仮眠を取っておくように」 「おうよ!そうこなくっちゃあ!!」 「ちょっと…楓さん!!」 「済まないな、こうなってしまってはもう誰が何と言っても 聞きやしないんだ、この馬鹿は」 「でも…」 尚も言い募ろうとする林春の肩をポンと叩いて、笑ったのは白狼。 「大丈夫だよ、林春さん」 「白狼くん……」 「ちゃんと馬鹿の面倒は、僕らで見るからね」 「そうそう、安心してお嬢さんは此処で待ってなさい」 「………じゃあ……じゃあ、」 もはや誰も汰助を止めようとはしない、ならば。 「じゃあ、私も一緒に行きます!!」 「「 ええッ!? 」」 ぎゅっと着物の裾を握り締め毅然と言い放った林春に、其処に居た全員が 大声を上げたのだった。 カチカチ、と振子時計の音だけが響き渡る深夜。 ふと人の気配に気がついて汰助がうっすらと目を開けた。 傷が元であれから少し発熱し、先刻林春に言われて熱冷ましの 薬を飲んだから、夜明けまでにはある程度下がるだろう。 誰が近くに居るのかと確認する前に、額の上に濡らした手拭いが 若干乱暴に置かれた。 ひんやりとした冷たさが心地良い。 「………茜寿か?」 「寝てろ」 手拭いの端からほんの少しだけ姿が見えて、汰助が薄く 笑みを浮かべた。 珍しいこともあるものだ、と。 「お前のせいで、大変な事になった」 「………悪かったよ」 茜寿の言う大変な事とは、林春まで同行することになってしまった 事態についてで間違い無いだろう。 それは流石にできないと言う皆の言葉を聞き入れず、彼女は汰助の 容体が悪くなった時に対応できるのは自分しかいないと言い張ったのだ。 汰助の事だけではなく、もしも誰かが怪我をしてしまった時には 必ず力になれる筈だから、と。 「あんな女だとは思わなかったんだよ……とんだ伏兵だ」 「お前が大人しく留守番すれば良かったんだ」 「んー………いや、やっぱそりゃ御免だ」 少し考えるようにしてから、汰助はゆっくりと首を横に振った。 やられっぱなしで終わるのは性に合わない。 大体そんな事、茜寿が一番良く分かっているだろうに。 「お前だって言ってんじゃん。 やられたら3倍返ししろって」 「当然だ」 「ほらみろ」 「だから私は止めてない」 「ははっ……なんだそりゃ」 くつくつと笑いを零す汰助の顔面をぴしゃりと掌で軽く叩いて、 連れてって欲しければ寝ろと言い置き茜寿はその場を立った。 「なぁ、茜寿」 「…ん?」 部屋を出ようとすると呼び止められたので振り返ると、手拭いを握った手が 力なく振られていて。 「あんがとな、コレ」 「……ああ」 汰助の言葉に短く返すと、茜寿は部屋の襖を閉めた。 「…………3倍返しで済むと思うな」 人の玩具を傷つけた罪は、重い。 <続> |