日も沈み家々から明かりが灯るようになった頃になっても、 まだ林秋は戻って来なかった。 街灯もないこんな村で、この時間になってもまだ外で遊んでいるなんて事は 考えられない。 ならば、やはり何かあったのだろうかと思っても、思いつくのはやはり 先程やってきた男達の言葉しか無かった。 想像したくは無いけれど、さっきの今だ。 攫われたのかもしれないと考えても不自然じゃない。 「どうしよう……」 静かな居間で一人、林春は思考に沈む。 探しに行った方が良いのだろうか、それとも父親の友人であるあの男に 相談に行った方が良いのだろうか。 けれど、今は相談に行っている時間が惜しい。 「……捜しに行こう」 そう決めて林春は立ち上がった。 もしかしたらあの神社に行っているのかもしれない。 楓達と、時間を忘れて遊んでいるのかもしれない。 いなかったらいなかったで、楓達にも捜すのを手伝ってもらえばいい。 何でもすると言ってくれた彼女達のことだ、きっとそれぐらいの頼みなら 聞いてくれるだろう。 うん、と一人頷くと林春は草履を履いて外に出た。 外はもう真っ暗な闇で、月明かりしか頼れるものはない。 一度だけ不安そうに周囲を見回した後、林春は暗闇の中へ足を 踏み出したのだった。 彼女はひとつだけ忘れていることがある。 それは男達に言われていたこと。 「一人で外に出るな」という、言葉だ。 闇夜を歩くのはそんなに難しいことではない。 特に周囲に何もない場所だと月と星の明かりだけでもある程度は 見えてしまう。 それでなくてももう、林春にとって楓達のいる神社への道は 歩き慣れたものだった。 田んぼのあぜ道を神社のある方向へ向かって歩きながら、林春は きょろきょろと周囲を見回していた。 見通しの良いこの場所に自分以外の誰かの気配は無い。 やはりこの辺りに林秋はいないようだ。 林道に差し掛かって、林春は少し足を止めた。 ぽっかりと暗闇が口を開けている入り口に息を呑む。 一度大きく深呼吸をして、林春は林道への一歩を踏み出した。 (暗いな……) 木々の生い茂る場所では月明かりも届かない。 葉と葉の隙間から零れてくるものだけが唯一の頼りだ。 これでは林秋を捜すどころではないだろう、まずは楓の所まで行って、 行燈を借りた方が良いかもしれない。 だが、自然と急ぎ足で進む林春の行く手を、突然ひとつの声が遮った。 「止まれ」 「……えっ?」 思わず言われるがままに林春が足を止める。 がさり、と周囲の茂みが大きく揺れて、現れたのは数人の男達。 それぞれが刀や棒を手にしていて何処かただならぬ雰囲気を感じた。 林春の脳裏を掠めたのは昼間に聞いた賊のこと。 そして、漸く言われていた言葉も思い出した。 一人で出歩いてはならないという言葉、それと女子供を攫って 売り飛ばすという行為。 林秋のことで頭が一杯だったけれど、よく考えれば自分も立派な 対象となる筈だ。 「あ……貴方達……!?」 「いけないねぇ、お嬢さんがこんな時間にこんな場所を 一人で出歩いてちゃあ」 「まったくだ、俺達に売り飛ばしてくれって言ってるようなモンだな」 「貴方達……私の弟を知ってるでしょう……!?」 「…弟?知ってるかてめぇら?」 「さぁ、今日だけでも5〜6人攫ったからなぁ。 その内の一人なんじゃねぇか?」 男達が口々に会話をしてニヤニヤと下品な笑みを浮かべた。 じり、と一歩林春が後ろに下がると男達が一歩前へ詰め寄る。 「まぁ、俺達と一緒に来りゃあ分かる話さ。 姉弟一緒に売ってやれるかは分からんがな?」 「さあ、こっちへ来な!!」 「ちょ……離してよ!!」 男の一人に腕を掴まれて、林春は必死に抵抗した。 恐らく林秋は攫われたと考えて間違いは無いだろう。 だが、ここで自分が捕まってしまっては、その事を誰にも伝える事ができない。 思いきり腕を振ると勢いで男の手が外れる。 その機を逃さず林春は駆け出した。 背後から追え!という声が聞こえてくる。冗談じゃない。 「くそッ!大人しくしろ!!」 「やだ、触らないで!!」 「ちっ……痛い目に合わされてぇか!!」 襟首を掴まれて物凄い力で引き寄せられる。 視界の端を月明かりに照らされた賊の姿が映る。 振り上げられた刀の刀身が鈍くぎらりと輝いたのを見て、林春は反射的に 固く両目を閉じた。 「……おっと、あんまり物騒なモン振り回しちゃいかんよ」 この場にそぐわぬのんびりとした、穏やかな声。 てっきり斬られると思って覚悟していた林春は、そこで恐る恐る目を開いた。 刀を振り上げた男の腕を掴んでいるのは、それよりも頭半分ほど背の高い男。 ざわり、と周囲の木が風に揺られ音を上げる。 ごくりと息を呑んだのは誰だろうか。 「な…なんだ、てめぇ……?」 「なぁに、通りすがりのモンさ。 それより、こんな可愛いお嬢さんに手を上げるたァ、どういう了見だ?」 「うるせぇ!邪魔すんな!!」 「おっと、それ以上暴れん方が身のためだ。 折れても知らんぞ」 「……ッ、てめぇら!やっちまえ!!」 腕を掴まれた男が周囲に居た仲間にそう声をかける。 漸く我に返ったのか、仲間達は武器を構えて突然の乱入者に向き直った。 それを眺めた乱入者は、ゆっくりと取り囲む男達を眺め、ゆるりと 笑みを覗かせる。 「……7人か、少ねぇな。 これで全員なのか……それとも、一部なのか。 まぁ良い、あんまり儂を怒らせん方が身のためだぞ?」 「ごちゃごちゃうるせぇ!!引っ込んでろ!!」 「危ない!!」 男達が一斉に襲い掛かったのと、林春が叫んだのは同時だった。 そして、乱入者が刀を持った男の腕を折ったのと、襲い掛かった男達が 吹っ飛んだのも。 「え…っ」 「誰が、此処に居るのが儂一人だと言った?」 突然のことに林春が驚いて目を丸くする。 いつの間にか男の傍にはもう一人立っていた。 ぱんぱんと手についた土を払いながら、声を上げたのは。 「……なんだよ、張り合いねーなァ」 「その声……汰助くん!?」 「よッ、林春じゃんか。 こんなトコロで何やってんだ?」 林春に気づいた汰助がひょいと片手を上げて挨拶する。 「なんだ、汰助の知り合いか?」 「おう、最近出来た新しい友達だ」 男の問いに汰助が答えてニヒヒと笑顔を見せる。 その緩んだ空気に林春は知らず胸を撫で下ろしていた。 どうやらこの男と汰助は顔見知りのようだし、とにかく今は助かったと 思って良いのだろう。 「………う…」 「く、くそ…ッ」 汰助に殴り飛ばされた男達が次々に起き上がる。 だが、どうやら戦意は喪失しているようで、「退け」という言葉を合図に 暗闇の中へと消えていく。 「…おい巽、お前一人捕まえたんじゃなかったっけ?」 「やや、居らんぞ」 気がつけば、確かに腕を掴んで折った筈の相手が消えている。 巽と呼ばれた男はそれを知るとやられたなぁ、と豪快な笑みを零した。 呆れたのは汰助だ、何のためにこの辺りを警戒していたと思っているのか。 「だーーーっもう!! 何やってんだよテメーはよッ!!」 「はっはっは」 「笑いごとじゃねぇだろ! しょうがねぇなぁ……んじゃ、俺が行って来る。 林春を頼んだぞ!」 「任せておけ」 「あ……た、汰助くん!?」 思わず声を上げた林春に見向きもせずに、汰助は姿を消した男達を追って 林の奥へと入って行った。 呆然とする中で、ふいに巽が動いて林春の傍へと膝をつく。 「怪我はないかい、お嬢さん?」 「え……ええ。 あの、貴方は…?」 「これは申し遅れた、儂は巽と申す。 怪我が無くて何よりだ」 「あ……ええと、有り難うございました」 「なんの」 素直に礼を述べた林春に笑顔で返すと、巽は手を貸して彼女を立たせた。 「それにしたって、何故こんな時間にこんな場所を?」 「あの……弟を捜していて……」 「弟さんねェ………なるほど」 「え?」 「家まで送り届けようかと思ったが、どうやらそういうわけにも いかんようだな。 楓の所へ行くのだろう?ご一緒しよう」 「あ、でも、汰助くんは…」 一人で賊を追って行った汰助も心配だ。 そう告げると、巽は優しいお嬢さんだなと言って笑顔を見せた。 だが、彼の事は心配いらない。 その事は林春以上に巽がよく分かっていた。 「アイツの事なら心配いらんよ。 丁度、賊共の根城を知りたかったところでな、すぐに弟さんの 居所も分かるだろう。 お嬢さんは楓の所で待っていなさい」 「……はい」 こくりと首を縦に振って頷くと、巽はその頭を慰めるように撫でて 林春の腕を引いた。 共に歩きながらふと林春は月明かりに照らされた男の姿を見る。 月の光を受けて青白く輝く髪が、少し綺麗だと、思った。 <続> |