ひとつの戦争が、終わった。
自分は出陣しなかったが、先行して戻ってきた伝令によると、
徐晃が敵軍大将の関羽を討ち取り、終結したらしい。
もうすぐ、その本隊も戻って来る。
部屋から外の景色を眺めつつ、張コウは小さな吐息を落とした。
<生路>
本隊が帰還したと聞いて、張コウは城門まで出迎えに出た。
既に色んな者が出てきていて、労いの言葉をかけながらあれこれと
話をする姿が目に付く。
そんな中を、張コウは1人の人間を捜し歩いていた。
ところが。
「……何処にいらっしゃるんでしょう……」
敵大将を討ち取った英雄は。
その中の何処を捜しても見当たらなかった。
もうここには居ないのかと思い、あちこち回ってみる事にした。
訓練場。
武器庫。
厩。
謁見室。
会議室。
中庭。
彼の部屋。
その何処にも、彼の姿は無かった。
こう姿が見えないと、何かあったのではないかと不安になってしまう。
途中、廊下で司馬懿の姿が見えたので、訊ねてみた。
「司馬懿殿、徐晃殿を捜しているのですが……ご存知ありませんか?」
「……徐晃殿?」
その言葉に怪訝そうな目を向け、司馬懿は首を傾げた。
「そういえば、途中から姿が無かったようだが………。
だが、城門を潜った時は隣に居たぞ。それは間違いない」
「そうですか……」
ならば、間違いなく徐晃は帰ってきているのだ。
一体どこへ行ってしまったのだろう。
色んな人間に声をかけて訊ねてみたが、その後は一向に目撃情報を
得ることはできなかった。
すれ違ったのかもしれないと、もう一度捜した所を回ってみたが結果は同じで。
「ひょっとして…また、外に出てしまわれたのでしょうか……」
街に出られると捜すのは一苦労だ。
仕方ないと、張コウは肩を竦めた。
「明日でも構わないでしょうし…諦めますか」
声をかけて言いたい事は沢山あったのだが、別に今日でなくても構わない。
そうして張コウは、一旦自分の部屋に戻るべく足を向けた。
すっかり日も暮れて、部屋の扉を開けても中は薄暗く視界がきかない。
扉を閉めて、まずは燭台に火を灯した。
「………あ、」
そしてそこで、すっかり捜すのを忘れていた場所に気がついた。
橙の暖かな灯りが燈った室内を見回し……寝台の傍に歩み寄る。
思わず、苦笑が零れ出た。
「………そんな所にいらっしゃったのですか、徐晃殿」
寝台に背を預け凭れかかるようにして床に座り込み、膝を抱えて蹲る徐晃に、
ふわりと優しい笑みを向けた。
「お帰りなさい、徐晃殿。
辛い戦いを、よく戻って来て下さいましたね」
「……張コウ殿、拙者は……」
小さく小さくなったままで、徐晃が耳を澄まさないと聞き漏らしてしまいそうな程の小声で
囁くように、呟くように、告げた。
「拙者は………友を殺めました」
「……徐晃殿、それは、」
「これは一国同士の戦事なのだと、私情を挟むべきではないと、
そう思いながら戦いました。
そう思えば、後悔はせずに済むであろうと……そんな狡い事を思っていたのです」
狡くても、浅ましくても、そう思わなければ気が狂いそうだった。
友の血に塗れたこの両腕を、切り落としてしまいたくなる程に。
「徐晃殿、私は……貴方が間違っているなどとは思えません」
「……張コウ殿…」
「お互い敵国同士なのです。いつかは必ずぶつかり合う身。
そう思わなければ……やりきれないでしょう?
その辺りの事は、関羽殿だってきっと理解している筈です」
「解っています。聞き分けのないのはただ、拙者だけなのだと言う事は」
そう言って徐晃は顔を上げる。
その表情は、困ったようで、仕方なさそうで、でもどこか疲れていて。
行き場のない怒りとやるせなさを持て余した、そんな表情で。
気にするなと、そんな事で簡単に気持ちの整理がつく筈も無い。
胸の内に溢れる関羽に対する謝罪の言葉も、言ったところで彼にはもう
届く事も無い。
今にも胸は張り裂けそうなのに、赦しを乞うべき相手はもう、居ないのだ。
理解は、していた。
友を殺すという行為が、とても重い事だという事は。
だが、それがどれだけ辛い事なのかは、後にならなければ解らないのだ。
唇を噛み締めて俯く徐晃に手を伸ばせば、縋るように掴まれた。
そっと抱き締めれば、か細く声が、聞こえた。
「張コウ殿………………助けて下さい……」
「………!」
初めて聞いた、救いを求める言葉。
戦場に居て、どれだけの窮地に陥っていても、決して言わなかった言葉。
それに対して、何て自分は無力だ。
一体自分はこの傷ついた相手に何をしてやれるのか。
身体の傷はすぐに癒える。
だが、心の傷はそう簡単にはいかないのだ。
「…………徐晃殿、」
ぎゅっと抱き締める腕に力を込めて、張コウはひとつひとつ言葉を選ぶように
声をかけた。
「徐晃殿。私がもし、関羽殿の立場なら。
例え殺されてしまっても、きっと貴方を恨む事はしません。
関羽殿もきっと、もうそんな事はどうでも良いと思っていると…思います」
「……?」
「貴方が、忘れずにさえ居てくれたら。
敵将としてではなく、友としてこれからも思っていて下さるなら。
もうそれで良いと、思うでしょう」
それが大切にしたい友だったのなら、尚更。
もう争わなくて良いという事を、素直に喜んで。
「きっと関羽殿も、貴方の事は大切なお友達だと思っていた筈。
もう……戦う必要は、どこにもないのですから、
貴方にできる事は、忘れないでいてあげる事だけです。
一人の大事な友人として、これからもそう在ってあげる事だけです」
もうそれしか、してあげられる事はないのだから。
徐晃の顔を覗き込むようにして微笑むと、少し泣きそうな顔をした目と合った。
「張コウ殿………」
「忘れずに居るという事は、その辛さをずっと身に刻んでおくという事と同じです。
ですが…これからも、関羽殿とは良き友人であって下さい、徐晃殿」
そしてその辛い出来事も全てひっくるめて、受け止めてほしい。
もう、捨てる事はできない現実なのだから。
本当は徐晃だって解っているだろう。
ただ、見たくなくて、無意識に目隠しをしてしまっていただけ。
自分はその目隠しを、例え徐晃がどんなに辛い顔をしても、解いてあげる事しかできないから。
「とても辛いけれど、それが貴方が犯した罪に対する罰であり、関羽殿にしてあげられる
償いであり……それでも前へ進むための、唯一の道なのだと……私は、思うのです」
「張コウ殿……」
「それでも辛くて一人で耐えられなければ、私に寄り掛かっても構いませんから。
だから………生きましょう、徐晃殿。そして早く乱世を終わらせるのです」
願わくば、自国の勝利という形をもって。
力なく膝の上にあった両腕を張コウの背に回し、徐晃がその肩口に額を押し付けた。
「……………ありがとうございます、張コウ殿」
胸の痛みは消えないけれど、それでも。
何とか歩いていけそうだ、彼の隣ならば。
「でも……それにしたって私は関羽殿が羨ましいですよ」
「………は?」
唐突に張コウが呟いた言葉に、徐晃がきょとんとした顔を上げた。
「羨ましい……ですか?」
「ええ。徐晃殿に、こんなに思って貰えるなんて。
関羽殿が羨ましいですねぇ……本当に」
というか、妬ける。
そう呟くと、徐晃が口元を笑みの形に象って、言った。
「そんなに羨ましいのでしたら、張コウ殿の事も思ってあげますぞ。
………『大切な友人として』で宜しければ」
はっと驚いた顔をして張コウが徐晃を見遣る。
徐晃はただ、にこやかに笑みを浮かべている。
「…………それは、困りますね」
「そうですか」
徐晃の頬にひとつ口付けを落として、力なくため息を吐きつつ徐晃の肩に顎を乗せた。
「友人止まりは御免ですよ。もう少し想って下さい」
「………さて、どうしましょうか」
「狡いですねぇ、本当に……」
呆れた口調でそう零す張コウを見て、徐晃はくすくすと小さく笑った。
大丈夫、まだ頑張れそうだ。
<終>
李恩サマのリクエストで、「落ち込む徐晃を慰める張コウ」で、ございます。
……すみません。何だかすんごい違うモノ書いた気がしなくもないんですがこれ…。
しかも「甘〜いの」という一言も頂いていたというのに……苦ッッ!!
こんな拙いもので宜しければ、どうぞ李恩サマ受け取ってやって下さい……!!(ヘコヘコ)
しかし、同じ字書きさんにSSを差し上げるという行為は、ちょっぴしドキドキです。(汗)
キリ番ゲットおめでとうございましたーー!!