<桜>
桜を見に行こうと言い出したのは、張コウの方だった。
なのに、急に司馬懿に呼び出されて言いつけられた仕事の山に、
徐晃と共に花見に行くのだと自慢したのは失敗だったと後悔した。
誘う事に成功したその事実が嬉しくて、我慢できなくて。
ついつい言ってしまい、しまったと思っても既に後の祭。
あの時、司馬懿が何処か陰険とも不敵とも思える笑みを浮かべていたのだが、
その事に全く気付けずにいた自分は、もう相当浮かれていたのだろうと
今なら簡単に推測できる。
だが、今はそんな事を思っている暇などなかった。
徐晃との約束の時間はとうに2時間を過ぎようとしている。
時間までに行けなかったら、先に行っていてくれと言ってはおいたのだが、
それにしたって、この大幅な遅れ。
気ばかりが先走る。
待ち合わせの場所で1時間待った。
自分は今日は非番なので、時刻を気にする事はない。
1時間待ち続けていたのだと気がついたのが、もう随分経ってからだった。
仕方なしに徐晃はゆっくりと立ち上がる。
余りにも遅かったら先に行っていてくれと言われていたので、それに従う
事にした。
場所も聞いていたのでのんびりと歩く。
小春日和の良い天気で、外を歩くだけで気持ちが良い。
待ち合わせの場所からはそんなに遠くない所に、桜の木はあった。
小高い丘に1本だけ。
悠々と咲き誇るその姿に、徐晃は少し目を細めた。
「……今年も、綺麗に咲いたのだな…」
桜の下に立ち見上げると、淡い桃色の花弁で視界が染まる。
近くに桜木が立ち並ぶ花見には絶好の名所があるので、逆にこの場所は
余り人には知られていない。
元より、1本しかないそれをわざわざ見に来ようという人間も余りいない。
なので張コウに花見に誘われて、指定された場所がここだという事に
正直驚きが隠せなかった。
きっと、自分しか見に来る者などいないのだろうと、そう思っていたから。
「孤独に咲く花こそ、愛おしむべきですよ」
確か張コウはそんな事を言っていたような気がする。
それを思い出して、徐晃は小さく笑みを浮かべた。
それから更に1時間が過ぎた。
何気なく辺りを見回してみるが、一向に彼が現れる気配がない。
もう一度花を見上げ、徐晃は小さくため息をついた。
ひょっとしたら、からかわれただけなのかもしれない。
なんとなく、そんな気がしてきた。
そもそも張コウが自分を誘う理由が見当たらない。
花見ならば、何の面白味もない自分と行くよりもっとずっとマシな相手が
居るのではないかと、そんな気もする。
冗談であったのならば、笑って済ませれば良いだけの話なのだが。
普通、2時間も待たされれば怒って帰っても良いものなのだが。
だけど、もう少しだけ。
もう少しだけ、ここに居ようと思った。
全て片付けて開放された頃には、約束した場所には既に徐晃は居なかった。
ひょっとしたら、帰ってしまったかもしれない。
これだけ待たせてしまったのだから。
半ば祈るような気持ちで、丘へと走った。
桜の木へと続く坂道の下で、思わず張コウは足を止めた。
その視線の先には、桜を眺める徐晃の姿がある。
だが、その表情が今にも消え入りそうで、桜の花弁に手を伸ばす
その仕草が、余りにも儚げで。
桜に、連れ去られてしまいそうで。
背中にぞくりとしたものを感じて、張コウは地を蹴った。
ひらひらと舞い落ちる花弁をひとつ、指先で掬うように掴み取る。
桜は、力強く一斉に咲き誇り、また散り際も潔い。
自分もその様に在りたいと思った。
この、たった1本でも凛と咲く桜木のように。
指から花弁を離したその時、強い力で腕を引かれて身体が傾く。
驚いて顔をその方へ向けると、唇に触れる柔らかい感触。
口付けられたのだと気付くより前に、どこか必死な形相の張コウと目が合った。
「ああ……吃驚した……」
張コウの口から呟かれた言葉に、徐晃の顔が苦笑で歪んだ。
「それはこちらの言葉です」
「今、貴方が消えてしまいそうな……そんな気がして……」
「拙者が…?」
首を傾げると、張コウが小さな笑みを浮かべる。
「ああ…良いのです。私の気のせいですから。
それよりも……遅くなってすみませんでした」
「いや…余り待たされたという気はしておりませぬ。
考え事をしながら桜を見ていたら……気がつけば貴殿が既に
いらっしゃっていた」
「考え事…ですか?」
「ああ、まぁ………他愛もない事です」
それに、張コウはちゃんと来てくれたから。
口には出さなかったがそう思って、徐晃は微笑みを浮かべた。
<終>
11111ヒットのキコ様よりのリクエストで、張徐でお花見&初キッスでございます!!
が。
出来あがりを見ると、どう見ても初キッスではない上にどっちかといえば『初デート』っぽい。(爆笑)
相変わらずリクエストを曲解して受け取るのが得意だな自分。(威張るんじゃない)
キコ様、こんなキリリクでも許して下さいますか…??(汗)