さり気ない毎日の中で、それはふっとした変化を齎せる。
つじつま合せの毎日を振り返る余裕など、何処にもなかった時期に
初めて現れて見せた愛しさ―――だった。
『花の言葉』
「今日はこちらの花がよろしいでしょう…」
張コウはそう言って、一輪の花の香りを嗜みつつ夏侯淵に渡してみた。
同じ花はもう一輪。これは恐らくしなくても誰に渡すものか、
夏侯淵には分かっていて苦笑ではなく、素直な笑みを浮かべ、
自分よりも幾らも高い張コウの肩を叩く。
励ますというか、どうなのか…それでも張コウはそんな夏侯淵の激励にも
似ている所作に、ほんのりとした笑みを浮かべて笑う。
「これで本日お誘いなさい」
今日もふたりで少し飲みに出ないか―――忙しい司馬懿に合せて張コウが考えた方法。
画期的なアイデアでもある『言葉にせずに、伝える』方法は、張コウは出来るだけ
紅い花がいいと言ったのだが、そんな花が見当たらない時に夏侯淵はその辺りにある花を
一輪だけ分けてもらい司馬懿の執務室に置いてみたりした。
「で、この同じ花には意味でもあんのか?」
きょとんとしたまま言う夏侯淵に、張コウはほんの少しばかり司馬懿がかわいそうになってしまう。
報われない―――という言葉があるとしたら、それは今すぐにでも司馬懿に贈ろうと思うのだが。
それこそ司馬懿には身体ごと跳ねられるのがオチである。
自分でその姿をあまさず浮かべてしまい、張コウは思わずそんな自分にため息をついてみた。
「あんだよ?」
憮然として呟く夏侯淵に、張コウは影のついたような笑みを浮かべて、
少しばかり遠くを眺めてしまう。
「おい??」
張コウはふたりの恋を助けようと頑張っていた。
いやもうこの現状で考えるなら『つもり』だったと入れるべきかも知れないだろう。
項垂れて思わず大地に四つんばいになってしまう。
「おい?」
なんだか一人黄昏ている張コウの、そんな態度に夏侯淵はどうしたのかと問うのだが、
ただその体勢から動かずに首だけ左右に動かす姿は、一人の世界で夏侯淵は遠くから
呼びかけるしか出来ない。
妙な汗が額から頬へと伝う感触さえもしてしまうのだが、あえてそれは顔には出さず見守ってみる。
「いいんです…私がちゃんと説明しなかったのが悪かったと反
省を大地に捧げているのです…」
はらはらと涙を零して、この場所がまるで舞台の真ん中に見えてしまうから恐ろしい。
―――いや、そんなことはどうだっていいのだが。
夏侯淵はどうしたらいいものかと、少し思案するように上を向く。
伸ばしている髭を無意識に触り、なんとか解決策はないものか。
「とりあえずよ…これを、渡したらいいんだな?」
確認を入れてしまう夏侯淵に、張コウはやはり影をつけて口元を緩める。
夏侯淵はそんな張コウに気がつかないのか、既に頭の中は今夜は何処に連れて行ってやろうとか。
どうせなら飲みやすい酒場がいいか、などの思考へと飛んでいる。
「夏侯淵殿は司馬懿殿のことを考えているのですか?」
立ち直ったのか、すっかりと笑みを浮かべている張コウが聞くと楽しそうに笑ってみせる。
「だってよー、いつも眉間をこう顰めているヤツが笑うと嬉しくねぇか?」
けらけらと笑いながら、司馬懿の真似をしてみせる夏侯淵の愛情深さに張コウは思わず小さく笑った。
降ってしまう事情があったにせよ、元々は他所にいた張コウを馴染ませてくれたのは
間違いなく、夏侯淵だったのだから。
「あなたはとてもお優しいですから」
思い出すように笑いかける張コウに、夏侯淵はきょとんとしている。
どうやら自分がどれだけ周りを癒すか分かっていないらしい。
夏侯惇と曹操が喧嘩したりする時など、誰も近寄れないのに、彼だけは近づいて
二人の間を取り持ってしまうのだ。
「そうけ?」
「ええ、そういうあなたの優しさに救われた人も居ると思いますよ…」
夏侯淵が彼を教えてくれたのだ。
張コウにとって唯一無二だと言える存在を、彼もまた降った将で生真面目な性格とよく合う笑顔で
張コウと馴染んでくれた。
「この国に来れて―――とても楽しいです」
にっこりと普段の艶めいた笑顔でない笑みは、とても素直でまっすぐな印象を与える。
夏侯淵は照れたのか、ほんの僅か頬を染めて、それから爽快な全開の笑顔を見せて張コウの背中を
何度も何度も叩く。
「当たり前だ!お前が此処に来て俺らも嬉しいし、楽しいぜ!」
柔らかな空気に溶け込む笑顔に、張コウはふふっと笑い返してみる。
「逢いたいですね…」
「逢ってお前もどこかへと誘うんだろ?」
花を指して言う夏侯淵に張コウは小さく頷いて笑う。
その表情は愛しさで溢れているのが、夏侯淵にも伝わってくる。
ほんのりとした愛しさは、とても優しく胸へと広がっていた。
「ええ、今すぐにでも誘いたいです♪」
くすくすと笑い、差し出した花を見る時。
彼の少し紅くなる頬だとか、それを悟られまいとするように動くと、必ずコケテくれるオチだとか。
そういう姿を思い出してしまう。
何時になっても慣れない姿は、とても大好きだと言ってしまえる程だと言って過言はなかったり。…する。
「でこの花の名前はなんつーんだ?」
くるくると指先で玩び、花の柔らかな花弁を見ながら問いかける。
張コウは大切そうにその花を抱きしめてみた。
「田村草…菊科の多年草ですよ」
別名を玉箒と呼ばれるこの花は、秋の野山に咲き乱れる。
一見アザミとも似ているが、アザミのように棘がないのが特徴だ。
淡々と説明を始める張コウは、さすが美しいものが好きだと豪語するだけはある。
納得すると同時に、花に意味があるのかと首を捻る夏侯淵に張コウは苦笑してみた。
田村草にある花の言葉を張コウは、頭の中に浮かべた。
「大丈夫ですよ。嫌な意味は含まれてません」
にっこりと笑う張コウに、それ以上は聞けず踵を返す夏侯淵の急いだ足取りを見つめて笑う。
「大丈夫です。司馬懿殿は一瞬慌てるでしょうが、意味に気がつかなくてもおふたりの仲は変わらない。
…それは時に波紋もあるでしょうが、そういう関係もいいかも知れません―――私には無理ですが」
背中を見送りながら、張コウは楽しそうに見る。
慌てる司馬懿の表情も見たいが、張コウからの花の意味を真っ直ぐに受け取ってくれる彼の姿を見ていたい。
差し出す花の意味を、わざわざ女官に聞く姿は愛らしいばかりだろうと思うのだ。
告白も花でしてみた―――張コウだったりする。
そして自分もまた彼のそんな姿を見ようと、駆け出していく姿があった。
『あなただけ―――』
おわり
ましばこうきサマからステキ小説頂きました!!(見せびらかし)
淵司馬ですよー!!ほんのり張徐ですよーー!!
すごいすごい可愛らしい話で脳天直撃でした…!!!(><)
きっと淵ちゃんは最後まで花言葉の「は」の字も知らずに生きるんだろうなぁ。
そんな事を考えてみたり。報われない司馬懿に合掌。(笑)
…でも、それでもほのぼの幸せなのが淵司馬ですよね、ましばさん!!
※このお話は、うちの50のお題SS「合図」を軸にされています(^^)