夜も遅い時間になって漸く屯所内の自室に戻って来た土方は、あんぐりと口を
開いたままで、その場に立ち尽くした。
部屋には先客があったようで、庭に面した縁側に腰掛けたまま、その客は
土方の方を振り返り、にこりと笑みを浮かべる。

 

「よう、トシ!」

 

そこに居るのは我らが大将・近藤勲で間違いない。
間違いないのだが、そして普通に考えれば此処に居る事もさほど不思議とは
思わないのだけれど。
けれど、ひとつだけ決定的に違うことがある。
そしてその違うことが、その場に近藤がいる不思議を尚更深めさせた。

 

「こ……近藤さん、なんでアンタ……此処にいるんだ?」

 

震える手を伸ばしながら吐き出された土方の問いは、本人も驚くほどに掠れていた。

 

 

 

 

 

 

夕方頃だっただろうか、土方の携帯に一本の電話が入ってきた。
それは、出張で江戸を出ている近藤の供をしていた隊士の一人からで、
内容は近藤が事故に遭って病院に運ばれた、というものだった。
何でも道路に飛び出した子供を庇っての事だったらしく、集中治療室に
入ったまま、現状では如何ともし難い状況とのこと。
とにかくすぐにでも様子を見に行きたかったのだが、自分は自分で
大将が不在の真選組と、そして江戸を任された身である。
身の回りのことを片付けるのに時間を費やし、漸く一段落して一旦屯所に
戻って来たところで。
目の前に居たのは、事故に遭ったという近藤本人の姿だった、というわけだ。

 

 

 

 

 

 

「な……なんだよ、アンタ、事故に遭ったって言うから……。
 冗談、とか……なのか?」
恐る恐るといった風にそう声を出せば、少し困ったように笑って近藤は
首を傾げた。
「……さて、どうだろうなァ……。
 道路に坊主が飛び出してきてな?あ、危ねェ!って思ったところまでは
 覚えてんだけどよ、その後がサッパリなんだ」
気がつけば、見慣れたこの江戸の町に立っていた。
そのことも近藤にとっては驚きであったのだが、更に驚いたのは。
「……誰も、俺に気がつかねぇんだ」
「は…?」
「声をかけても返事がねェ、それどころか誰も俺を見ねェ。
 それで俺は気付いたんだよ。
 もしかしてコレは、見ねぇんじゃなくて、見えてねぇんじゃねーかって」

 

 

もしかしたら、此処に居る自分は実体がないのかもしれない。

もしかしたら、自分の体はまだ江戸の外で、病院の中にあるのかもしれない。

 

 

「そんな……馬鹿な」
「俺もそう思ったよ?けどさ、本当に誰も気付いてくんねーんだよ。
 町を歩く真選組の連中も……お妙さんや万事屋んトコにも行ったさ。
 けどやっぱり同じで……結局、此処に戻って来ちまったけど」
屯所に戻っても同じだった。
誰に声をかけても返事はおろか、気付く者もいなかった。
さすがにこうなると途方に暮れてしまう。
そして、もうひとつの可能性に行き着いてしまった。
「……もしかしてさ、俺、死んだかな?」
「な……なに言ってんだよ」
「死んで、幽霊にでもなって帰って来ちまったのかなってさ、
 そう考えたら妙に納得できんだよ。
 あちこち歩き回って、結局誰にも見てもらうことがなくて……、
 此処でも、本当に誰にも気付かれなかったのなら、そういう事なんだろうなって
 思うことにしてたんだよな」
「けど……俺には、見えてる」
「そうだな、なんでだろうな」
静かに笑って、近藤は縁側から部屋の中へと上がり込む。
明かりの下に立つ姿を見て、土方は驚いたように目を瞠った。
微かに、ほんの微かではあるが、近藤の体が透けて見えるのだ。
「こ……近藤さん…?」
「ん?」
「………いや、」
脳裏を過ぎった仮定を振り切るように頭を横に振って、土方も其処を立つと、
重い足取りで近藤の傍に立ち、その肩へと手を伸ばした。
触れようとした手が、だがそこに何の感触も得ることはなくて。

 

 

「ほらな?」

 

 

真意を汲んだのだろう、己の手を握り締めて青褪めた土方に、
近藤は少しだけ寂しそうな笑みを零した。

 

 

 

 

 

 

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死にネタに非ず。ご安心を。(笑)