くんくん、と鼻をひくつかせて、銀時は叫んだ。
「糖の匂いがするッ!!」
げし、と後ろから蹴りを入れたのは高杉で、彼は心底嫌悪の表情を顔面に
張り付かせたままで倒れ込んだ銀時の背中を更に足で踏みつけた。
「なァおい銀時、せめて『菓子の匂い』とぐれェ言ったらどうだ?んん?」
「踏むな踏むな背骨が折れるって足どけろ高杉ッ!!」
ジタバタともがく銀時の上から足を退けて、だが…と高杉も周囲に視線を巡らせる。
確かに銀時の言う通り、お菓子の甘い匂いがしているのだ。
ほんの微かになので何処から漂ってくるのかなんて知らないし、調べる気もない。
だが、銀時の方は違ったようで、彼は「糖分は何処だァァァァ!!」と叫びながら
匂いの元を辿って駆けて行った。
どっちにしたって元なんてきっと銀時にしか分かるまい。
「………くだらねぇ」
銀時の背中が見えなくなった頃、そう吐き捨てて高杉はそこから立ち去って行った。
今居る場所から少し離れた所に、一人暮らしの老婆が住んでいるのを知ったのは
ほんの偶然だった。
あまり外へは出るなと言われていたが、好奇心に負けて近くなら大丈夫だろうと
すぐ戻って来るからと、表へ飛び出したのがきっかけだった。
6歳の新八からすれば周りは大人だらけでつまらなかったというのもある。
その中でもよく遊んでくれたのは銀時と坂本であったが、彼らも常に此処に
いるわけではなく、よく腰に刀を差して何処かへ行っていた。
たぶん聞いても分からないので、何処へ行くのか訊ねたことはなかったけれど。
この場所がどの町からも離れているのだと知ったのは、こうして外に出た時で、
だから逆に不思議だったのだ。
どうしてこんな場所に、たった一人で年寄りが住んでいるのかと。
庭先からこっそりと覗き込んでいた新八はあっさりと老婆に見つかり、しかし
叱られるという事も無く、逆に招き入れられた。
特に何かあったわけでもなく、ただお茶とお菓子を出してくれて、だから新八は
幼いながらにこう結論した。
単に話し相手が欲しかっただけなのだろう、一人ぼっちで住んでいるのだから、と。
門の前の階段に座り込みお菓子を齧っていた新八の元へ近付いたのは銀時だ。
匂いにつられてやって来たとも言う。
食べるかという新八の問いに勿論だと返して、銀時は子供の隣に腰を下ろした。
今日は重たい鎧も剣も身に着けていない。
それに少しだけ新八はホッとしていた。
あの物々しい姿を見るのは、あまり好きではなかったから。
お菓子を食べながら、銀時は当たり前の疑問を口にする。
このお菓子は一体誰に貰ったのか、と。
外に出た事を怒られるだろうかと思ったのだが、相手が銀時だったからいいかな、と
新八はそう考えて、ナイショだよ、と前置きをして事の顛末を話した。
「…………。」
「どうしたの、銀さん?」
難しい顔をして黙り込んでしまった銀時に、新八は不安そうな目を向ける。
勘違いさせてしまったかと思い、銀時は別にお前を怒ってるわけじゃねェよ、と
そう言って新八の頭を撫でてやった。
話を聞いて大体は理解した。
新八が此処を抜け出して何処へ行き、誰と会ったのかを。
(…………だけど、あのばあさん……)
もうひとつくれ、と言えば新八は素直にお菓子を差し出す。
それを口に運びながら、銀時は夕焼けの色が広がる空を見上げた。
「………なァ、新八」
「なあに?」
「あのばーさんトコ行くの、止めにしねェか」
「え……どうして?」
当然の疑問に、銀時は答えようとして口を噤んだ。
言って納得するのだろうか、この子供が。
新八の中では、あの老婆はお菓子をくれて色んな話をしてくれる優しい人だ。
「…………外には出ないって、約束したろ?」
「うん…。」
結局、銀時にはこういう言い方しかできなかった。
本当は別の理由があったとしても、この子供には言いたくない。
「だから、な? 約束だ」
「………はい」
しょんぼりと俯いて自分の言葉に頷く新八に、銀時は優しく頭を撫でてやる事しか
できなかった。
坂本が風呂へ行くのに新八を呼んだので、子供は立ち上がって服についた砂を払うと
手に持っていたお菓子の包みを銀時に差し出した。
「え、なに、くれんの?」
「うん。銀さんにあげる」
「あんがとよ、もらっとくぜ」
折角の糖分を断る理由もないので銀時が素直に受け取ると、少しだけ笑って新八は
奥へと駆けて行った。
暫くその場に留まり暮れていく空を銀時が眺めていると、音も無く姿を現したのは。
「………どうする、銀時?」
「なんだヅラかよ。
こっそり覗き見やがって、悪趣味ですこと」
砂利を踏む足音が近づいてきて、桂は銀時の隣に腰を下ろした。
「あの少年、たぶんまた行くぞ」
「……わーってるよ」
「どうするんだ、あの人は…」
「だーから、分かってるつってんだよ。
けど………しょうがねぇだろ、一応は止めた。
コレでまだ行くってんなら、もうしょうがねぇこった」
「……お前がそう言うなら、俺は構わんがな」
それだけ言うと、桂はまた立ち上がって何処かへと歩いていく。
見送りもせずに遠ざかる足音だけを聞きながら、銀時は手にしていた菓子を口に
放り込んだ。
銀時と約束をしたけれど、結局また抜け出してしまった。
ほんの少し罪悪感が胸を掠めたが、だが新八には老婆と話がしたいという気持ちの方が
大きかったのだ。
坂道を駆けて、庭の垣根を潜って中に入る。
しかし今日はいつもと違った。
「………おばあちゃん?」
いつもなら縁側に座っていて、垣根の下から顔を覗かせた自分へ笑いかけてくれるのだが、
今日その場所には誰もいない。
不思議と留守にしているのだという風には思わなかった。
新八は這いずっていた身を起こすと砂を払い、縁側へと近付く。
しんと静まり返った空気が、どことなく不安を煽った。
「おばあちゃん………どこにいるの、おばあちゃん?」
声を上げるが返事は無く、意を決して新八は草履を脱ぐと中に上がりこんだ。
縁側に面した居間には人の気配が無い。
その隣の部屋、閉められた襖を開いて新八は立ち尽くした。
「………おばあちゃん…?」
布団の上に横たわったままで動かない老婆の元へと駆け寄って、新八は恐る恐る
手を伸ばした。
触れても揺すっても、老婆は目を閉じたままで動かない。
震える掌を老婆の頬に当てると、氷のように冷たかった。
まるで、父の時のように。
「………おばあちゃん……しっかりして、おばあちゃん!!」
いらっしゃい、よく来たねぇ。
そう声をかけて笑ってくれた優しい顔は見る影も無い。
物言わぬ骸となった体を揺すり続けて、頭では分かっているのに気持ちは
納得できなくて、ぼろぼろと涙を零しながら新八は声をかけ続けた。
「この前のお話のつづき、まだ聞いてないよ!!
おきてよ、おばあちゃん!!」
血の通わない顔を見て、それでも新八は認めたくなかった。
こんなに簡単に、別れというものは訪れるものなのか。
「ねえ、おばあちゃん!!おばあちゃんってば!!」
「新八」
背後から静かな声が聞こえて、びくりと新八の肩が跳ね上がった。
涙を拭うことも忘れて振り返れば、部屋の入り口に立って銀時がこちらを
見つめている。
「………ぎん、さん…」
「約束……忘れたわけじゃあ、ねェんだろ?」
「………。」
「だから俺は、行くなつったんだよ」
仕方無さそうに吐息を零して、銀時はガリガリと頭を掻いた。
新八を拾う前から、銀時とこの老婆は顔見知りだった。
銀時だけじゃなく、桂も坂本も高杉も他の仲間達も、この老婆の存在は知っていた。
「もう……あんま長くなかったんだよ、このばあさん」
それを知っていたから、そして最近になってそれが顕著になってきていたから、
銀時は新八を止めたのだ。
この子供は子供なりに、老婆の事が好きだったのだろうから。
「………幸せそうな顔してらァな、新八」
「うん……」
ぐすっと洟を啜りながら、銀時の言葉に新八は頷いた。
そうだ、幸せそうに眠るように、父親もそんな顔で逝ったのだったか。
服の袖でごしごしと顔を擦り涙を拭いていると、銀時が近づいてきて隣に座った。
「ごめんなさい、銀さん」
「ん?」
「やくそく……」
「あァ…ま、しょうがねェさ。
こうなったらちゃんと、見送ってやんな」
「うん」
こくりと頷く子供の目にもう涙は無い。
こういう時ぐらいは泣いてもイイんだぜ、と言えば、新八は無言で首を横に振った。
もう泣かない、そうハッキリと言い切った子供が、どうしてだか。
「あのお話のつづき、いつかまた聞かせてね、おばあちゃん」
どうしてだか、とても愛しくて。
抱き締めたくなってしまって、銀時は黙って手を伸ばした。
<終>
仔新の話は書いててなんか楽しい。
今回はのっけの銀さんと高杉が書いてて楽しかった。(笑)