銀時について行くようにして攘夷の一派に入りはしたが、時間が経つにつれ
彼以外にも顔見知りや仲間と呼べるような相手が増え、新八の胸中は複雑
ながらもそれなりにこの世界に順応していたと言っていいだろう。
仮に、万が一にでも、自分が10年後の世界に戻ることが出来なかったとしても。
(………大丈夫、たぶん僕は……生きていける。)
そう思えるようになった背景には、やはり銀時の存在は外せないだろうが、
目的のできた人間は強く在れる。
守ろう、という思いが萎んでいた気持ちを奮い立たせた。
その日は雨が降っていたので傘を差して、新八は戦場からかなり離れた
場所まで来ていた。
町の人間が避難しているという区域は、まだ周囲の状況を警戒しながらでは
あったけれど、少しずつ日常の暮らしというものを取り戻しつつあった。
目的はそう大した事じゃない。単なる買い出した。
戦う事しか頭にない芋侍の集まりは、それ以外の事に関してはほぼ無頓着である。
食べるものすら何でもいいと言ってのける連中に閉口していたのは少しだけで、
ならばと新八は自分に出来る事をかって出たのだ。
「いくら戦うっても、腹が減っては何とやらっていう言葉を知らないんですか?」
お腹が空くから気分も滅入るんですよ、なんて言って、最初は道案内も兼ねて
新八は銀時と一緒に食べ物が手に入りそうな場所まで行った。
それが、今居るこの場所だ。
スーパーなんて当時はあまり無くて、当然ながらこの場所にもなくて、
一通り揃えるためにあっちこっち回るなんてした事もなくて、新八にとっては
少々骨の折れる事だったけれど、なんだかこういうのも悪くない、なんて
思ってしまった自分に少しだけ苦笑が零れる。
自分と同じようにいくつもの袋をぶら下げて隣を歩いていた銀時が、ぽつりと
こんな事を言った。
「………なんかさ、普通にこういう生活すんのも、悪くねぇよな」
しみじみと言う銀時にジジくさいですよと新八が言えば、うっせェと持っていた
袋で殴られたけれど。
でも、少し照れたような、だけどやっぱり嬉しそうな、そんな顔をしたから。
「志村さん!!」
ふいに後ろから声をかけられて、新八は振り返りきょろりと見回した。
地面の雨水を跳ね上げながら走ってくる一人の男。
彼には見覚えがあって、ああ、と新八は声を漏らした。
銀時の仲間の一人だ。
彼は自分の元まで駆けて来ると、ぜえぜえと肩で大きく息をする。
余程急いで来たようだ。
「……どうしたんですか?何か……」
「敵襲です!!」
「え…?」
「どうしてバレたのか……拠点が敵に割れてしまって、」
思わず腰元の刀に手が伸びて、鞘をぐっと握り締める。
敵襲があったという事は、今あの場所が戦いの場になっているという事で。
「銀さんは………みんなは?」
「応戦してますが……向こうは数で勝負をかけてきていて……。
正直な話、落ちるのは時間の問題かと」
「……………。」
「それで、貴方に銀時から伝言があります」
はぁ、とやっと呼吸が整ったのか、もう一度だけ大きく深呼吸すると男は
口元に小さく笑みを浮かべた。
「貴方はもう戻って来るな、と」
握り締めた手から、思わず力が抜ける。
呆然と立つ新八に男はもう一歩近付いて、肩に手を置いた。
「それって………どういう、」
「死なせたくないのでしょう。
このままこの場所に居れば、貴方は生き延びる事ができる」
「…………。」
「分かってあげて下さい、志村さん」
「……でも、」
「一人でも多く生かしたいのでしょう、アイツは。
きっと私の事もそんなつもりで此処へ寄越したんだ。
だけど………私は、」
ぐらり、と男の身体が傾いて、新八は慌てて傘を放り出し男の体を受け止めて支える。
背中に回した手が、ぬるりと温かいもので滑った。
雨じゃない、その手を持ち上げて新八は小さく息を呑む。
赤く染まった掌をぎゅっと握り締めて、唇を強く噛み締めて。
「しっかりして下さい!!」
「負けると分かっている戦で………無駄に刀を振る事はない」
「アンタだって生きるんでしょう!?
こんな所で死んじゃダメです!!」
「けれど、死地で尚生かそうとするアイツは………卑怯…だよなァ……」
ごぼり、と口から血の塊を何度か吐いて、男はそれきり動かなくなった。
ざわりと全身が総毛立つ感覚に、新八の頬を雨でも涙でもないものが流れる。
怖い、と思った。
既に雨で全身が濡れそぼっているというのに、自分が冷たい汗を流しているのが
分かってしまう。
死ぬのは怖い。もちろん、誰かが死ぬところを見るのも怖い。
だけど。
「あンの………クソ天パが…!!」
そっと男の体を横たえると、新八は血で汚れた掌を服の裾で拭い、傘も荷物も
放り出したままで駆け出した。
勝手な事を勝手に言い捨てて突き放した銀時を許すわけにはいかない。
何としても助けて、何としても切り抜けて、そして10発ぐらい殴らなければ
気が済まない。
「死なせたくないから、なんて、押し付けがましいにも程があるんだ…!!」
そんな事は、戦い抜いて生き残ってから、自分の目の前で言ってくれ。
そこは、ものの見事に瓦礫の山と化していた。
どうやら向こうは大筒まで持ち出してきていたらしい。
最初は、見慣れない人間の骸をいくつか見かけた程度だったのが、
その場所に近付くにつれ、数も増え、見知った顔もちらほらと見かけ、
胸を掠めた不安をどうにかやり過ごしながら、新八はとにかく銀時を
捜すためにあちこちを歩いた。
見たところ、敵だと思われる死体もたくさんあったので、向こうは向こうで
ただでは済まなかったようだ。
息を切らせながら、目に入る雨の雫を拭って、新八はきょろきょろと周囲を見回す。
既に敵も撤収した後なのだろう、そこはただ息づくものの無い静寂だけがある。
「………銀さん」
拠点としていた家屋だったものの中心まで行くと、そこにも骸はたくさんあった。
どれもこれも知っている顔ばかりで、恐らくこの場所に大砲は撃たれたのだろう。
呼吸の無い仲間達を見下ろすように見つめたままで立ち尽くす白髪を見かけ、
新八はそっと声をかけた。
「銀さん………怪我は、ありませんか?」
「………なんで戻ってきたんだコノヤロー。
来ンなって伝言、聞かなかったか」
「聞きましたけど……従う気はありませんよ」
ぱしゃん、と水溜りを跳ねるようにして、新八は銀時の足元に倒れている男へと
近付いて行く。
彼はつい2〜3日前に、避難させている奥さんが子供を産んだと言って笑っていた人だ。
「……アイツは?」
「…………。」
銀時の指す人物が先刻自分の元へと来てくれた男の事だと気付いて、新八は無言で
かぶりを振る。
みんな。
みんな、死んでしまった。
「…………なんでかなァ。
守りてェって思ったモンは……みんな、無くなっちまう」
「…………。」
開いたままだった男の瞼に手を伸ばして、新八はそっと伏せさせた。
彼らの行く先は一体何処なのだろうか。
残したものも、果たせなかったものも沢山あるのに、何処へ行けるというのだろうか。
そして今、それらを見送る銀時の胸中を考えると掛けるべき言葉を見失ってしまって
新八はただ口を噤むしかなかった。
むせ返るような火薬の臭いと血の臭い、そして少しずつ立ち上ってくる死臭。
この男は何度これらを纏ってきたのだろうか。
皆で創る未来は、こんなものだったのか?
「………銀さん、僕はね」
立ち上がると新八はゆっくり顔を上げて、銀時へと視線を向ける。
服は真っ赤に染まっているがどうやら全て返り血で、本人が負った傷は殆ど無い。
「僕は、銀さんが生きていてくれて、嬉しいです」
「………新八」
「守れなかったものは沢山あるけど……それは、辛いことだけど、
だけど……生きてさえいれば、また、守れますから」
「…………。」
「だから銀さん…………泣かないで下さい」
そう変わらない身長の銀時へと手を伸ばして、新八は指先でその目元に触れる。
別に涙が零れていたわけではないが、何となくそんな気がしたのだ。
きっと心では、たくさんたくさん泣いている筈だから。
そんな、優しい人だから。
「銀さん、さっき僕にどうして戻って来たのか訊きましたよね?
もし僕が此処に戻って来た時に、銀さんも死んでしまってて、誰も生きている人が
いなかったら……そう考えたらね、此処まで戻って来るのは怖かったです。
だけど…あのまま避難区域に残って、皆がどうなったのかも…銀さんが生きてるのか
死んでるのかも知らないままで、そうやって生きていく事の方が、ずっとずっと
辛いんです。だからです」
「新八、おめぇ……」
「やっぱり戻って来て良かった。
どれだけ銀さんが辛い思いをしているか気付く事ができたし、
……銀さんを一人ぼっちにする事もない、し、」
うわ、と小さく声を上げて、ぐいと肩を引き寄せられた新八は銀時の腕の中に
閉じ込められた。
強く回された腕が温かくて、ホッとする。
この人は、ちゃんと生きていると感じる。
「銀さん…?」
「お前が居て、良かったよ」
「……はい」
言われた言葉に頷いて返して、新八は銀時の背中に腕を回す。
抱き締めるようにして、気がついた。
小さく伝わってくる震えは、きっと。
(…………たくさん泣けばいいよ、)
じわり、と新八の目にも涙が浮かんで、それはあっという間にボロボロと
零れていく。
きっと自分は銀時ほどに、喪失感も罪悪感も感じてはいないだろう。
所詮はそれだけの、ほんの短い間だけの仲間だったのだから。
けれど、自分に縋り付くようにして静かに声を殺して泣く銀時が、
どうしようもなく可哀想で、そして愛しくて。
見上げた空は分厚い雲で覆われていて、落ちてくる雫が涙みたいだと、思った。
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次でラスト。