いない。
いない、どこにも。
鈴虫の鳴く庭に面した廊下を歩きながら、ふと其処に人の気配を感じて
近藤は顔を上げた。
屯所内に曲者が忍び込んだとは考え難いが、可能性が全くないわけではない。
大体にして、攘夷志士には目の敵にされているのだ。
ちなみに自分は普通に尿意で起こされて厠へ行って来た身、丸っきりの丸腰だ。
いつでも刀に頼るわけにもいかんなと前向きに考えて、近藤は空き部屋に
なっている筈の部屋の障子を、勢いよく蹴り開けた。
空き部屋なのに、こんな時間に人の気配なんておかしすぎる。
だが、そこに立っていたのは自分もよく見知った相手で。
「………トシ、何やってんの?」
思わず間抜けな声が出てしまった。
いない。
いないんだ、どこにも。
あの人が、いないんだ。
声をかけても振り向きすらしない土方に、怪訝そうに眉を顰めながら
近藤は室内に踏み入った。
「おい、トシ?」
ポン、と何気無く肩を叩けば、こっちが驚くぐらいビクッと肩が跳ね上がる。
「おいおい、そんな驚くことないだろー?」
「あ…、」
大きく目を見開いて、近藤さん、と土方が呟いた。
そのらしくない様子に、こくりと首を傾げて近藤は土方の正面に立つ。
確か土方も夜勤では無かった筈、だったら普通は寝てる時間だ。
「どうしたんだ、トシ?
寝惚けて空き部屋に入っちゃったのか??」
「…………、近藤さん」
よかった、という言葉と一緒に抱きつかれて、全く予測もしていなかった近藤は
バランスを大きく崩してその場に尻餅をついてしまった。
「あたた……こらトシ、どういうつもりだ!?」
「良かった………見つけた」
「は…?」
「嫌な夢を見て……目が覚めて、それで、」
アンタの所に行ったら、いなくて。
そう続いた言葉に近藤が途方に暮れたような顔をした。
まさか、鬼の副長と呼ばれる男が、悪い夢ひとつでこんな風になるとは。
「………ははは、バカだなぁ。
俺は別に何処にも行きゃあしねェよ?」
「分かってる…………ああ、分かってた筈なんだがな…」
ぎゅうとしがみ付いて、自身でも呆れているのだろう、そんな声で呟く。
その背中を宥めるように撫でてやりながら、だけど、と近藤は笑みを浮かべた。
「怖い夢ひとつでこんなに怯えるトシはそうお目にかかれるモンじゃないな。
一体どんな夢見たんだ?」
「…………教えねー」
こんな醜態を見せてしまった上に、その理由が近藤自身だなんて、絶対に言えない。
近藤の部屋の障子を開けて、そこに求めていた姿が無かった時の気持ちに比べれば。
ああ、そうだ。どんな夢だったかなんてキレイに吹っ飛んでしまった。
アンタにゃ分からねェだろうがよ。
ホントに怖かったのは夢の内容なんかじゃなくて、
すぐそこにアンタが居なかった事なんだよ、近藤さん。
<終>
本当はこのネタは沖田くんでやろうと思ったんだけど、
沖田くんだと単に子供あやして終わりそうだったからトシで。(笑)