川の両岸を繋ぐ橋を渡っていると、何処かで見覚えのある顔を見た。
思わず橋の手摺に肘をかけて、河原の方へと面白そうに視線を向ける。
間違いない、あのチャイナと眼鏡は。
「おめぇら、銀時の所のクソガキだな」
暇潰しに河原で水切りをして遊んでいたら、ふと頭上から声が降ってきて
新八と神楽は揃って橋の方を仰ぎ見た。
多くの通行人がある中で、こっちを見ているのはたった一人。
目深に笠を被ってはいたが、下から見上げる状態の自分達にはよく見える。
額から左目までを覆ってしまっている包帯。
獣のように光る右の目。
そして、人を食ったかのような薄い笑み。
確かあの時一緒にいた桂は、彼のことを『高杉』と呼んでいたか。
「神楽ちゃん………あの人、」
「………。」
小さく声を潜ませて新八は神楽に声をかけ、そしてギョッとした。
答えない神楽からは近付くだけでピリリと刺し込むような殺気が纏わり付いている。
神楽なりに相手が危険な人間であると分かっているのだろう。
とはいえこんな所でドンパチは避けたい。真昼間の江戸のこんな街中で。
「ちょ、神楽ちゃん、ちょっと落ち着いて!!」
「うるさいネ眼鏡。
アイツは今ココで殺しとく方が、世界平和のためヨ」
「ちょっと物騒なこと言っちゃってるからこの子ォォォォ!?
だ、ダメだって神楽ちゃん、こんな所で戦闘モードONにしちゃダメだって!!」
肩を掴んで引き止めようとする新八の手を乱暴に払うと、神楽はズカズカと
橋の近くまで歩み寄った。
手にしていた傘を閉じて柄を引っ張ると、ジャコン、と銃へと早変わりだ。
「何の用ネ、お前。
こちとらオメーにもう用はないアルよ、すかぽんたん」
「奇遇だな、俺もてめぇらなんかにゃ用はねぇよ」
「だったら何で声かけてきたんだよ!!
無駄に神楽ちゃんの戦闘スイッチ入っちゃっただけじゃないか!!」
あっさりと返って来た答えに、思わず新八が怒鳴り返す。
それにククク、と忍んだ笑みを零して、高杉は肩肘をついたままで
懐からキセルを取り出した。
「なんでお前らは、銀時の元に居る?」
「は…?」
「どういう意味アルか、それ」
訝しげに眉を潜めてくる子供達に対して、紫煙を燻らせながら高杉はあくまで
のんびりとした風体を装っていた。
ふと疑問に思ったことだ。
紅桜の件があったから、あの鍛冶屋がいたのは分かる。
桂と銀時がいたのも、もろもろの事情を鑑みると理解できない事はない。
だが、この子供達はだけは、何故かあの血と剣戟の音の合間にあって、不釣合いだった。
後に桂から銀時の元に身を寄せている子供達だと聞いて、思わず鼻で笑ってしまった。
あの白夜叉が、ガキの面倒を見てるだなんて。
「……銀時はお前らが思ってるほど、善人でも優しくもない。
もしそう思ってんだとすりゃあ……それはお前らが勘違いしてるだけだ」
だけどもし、その勘違いしている子供達のお陰で今の銀時があるのだとすれば、
それはそれで胸糞悪いと感じた。
確かにアイツはまだ獣を飼っている。
だがそれを周到に隠してしまったのが、心底気に入らない。
自分が気に入っていた筈の、今にも喉笛に食らいつきそうな獣のような目が、
今ではどうだ、まるで海岸に打ち上げられて今にも息絶えそうな魚のようではないか。
「銀ちゃんは…そんなんじゃないネ」
「……そうですよ。
優しくなんかないし、ましてや善人だなんて、」
「だったらどうして一緒に居るんだ?
誤魔化すんじゃねぇよ、だからソコに居るんじゃねぇのか。
お前らは知らねぇだけだ、アイツがどんな道を歩いてきて、どれだけの人間を
殺して、どれだけの事をやってきたのか。
知ればきっとひっくり返るぜ?お前らの中の銀時像ってヤツがよォ」
教えてやろうか?と口元に笑みすら乗せて言ってくる高杉に、2人は無言で目を向けた。
挑むように見てくる目が、まだ何も分かっていない子供のもので初々しい。
アイツの事だからロクに何も話しちゃいないのだろう。
まるで釣り糸を海に垂らして魚がかかるのを待っている気分だ。
さて、子供達は食いつくか?
「「 興味ない。 」」
その返事は、申し合わせてもいないのに2人同時だった。
眉を上げて子供達を見れば、少し俯いて眼鏡のブリッジを押し上げながら
新八がくだらない、と呟く。
「昔に銀さんが何をしていたかなんて、どうだっていいですよ。
まぁ、確かにそういう過去が積み重なって今の銀さんがあるんだってのは
分かっているつもりですけどね。
それは神楽ちゃんだってそうだろうし、僕だってそうだ」
人になかなか言えない過去なんて、持ってるのはあの男だけじゃない。
だけどそれらの積み重ねが、今という現実を作っている。
もう過去の事になってしまった銀時と自分達との出会いだって、きっと何かの
変革を起こした筈だ、お互いに。
「銀ちゃんが昔どんな悪党だったとしたって関係ないネ。
こちとらそんな古い話には興味ないアル。
私らが好きな銀ちゃんは、お前らの言う銀ちゃんとは違うヨ」
「………へぇ、」
キセルを咥えたままで、高杉は意外そうな表情を浮かべて見せた。
垂らしていた釣り糸が餌ごとブツリと食いちぎられたような、そんな気分。
「用はそれだけですか?
夕飯の支度しなきゃなんで、それじゃ僕達はこれで失礼します」
「おいで定春!帰るヨ!!」
神楽が指笛を鳴らしてそう声を上げると、どこからか軽快な重低音が聞こえてきた。
そういえばこの名前もどこかで聞いたような、と高杉が思いやったその真上を
黒い影が覆う。
視線を上げる前に、それが橋を飛び越えて河原へと着地した。
フサフサの白い毛並みと赤い首輪をした、巨大な犬だ。
これが銀時の言っていた、定春か。
「………随分とまた、でけぇの飼ってんな」
物珍しげに見下ろせば、ワン、と定春が一声鳴いた。
一瞬疑ってしまったが、やっぱりどうやら犬らしい。
「次会ったら覚えとけヨ、このキセルがァ!!」
「キセルって神楽ちゃんソレ別に悪口でもなんでもないから」
「うっさいネ眼鏡が!!」
「うッ…眼鏡も悪口じゃないって分かってても、この胸に刺さるような感じってナニ!?」
夕日の橙へ向かって、そう言いながら子供達は帰路に着く。
その姿が見えなくなるまで其処にぼんやりと佇んで、高杉は漸く動く気になったのか
凭れていた手摺から体を離した。
先を歩こうとして、ふとその足が止まる。
視線の前に立つのは一人の僧だ。
だが高杉は知っている、これはアイツの変装なのだという事を。
笠のせいで顔は見えないが、肩の少し下まで伸びた黒髪には覚えがある。
「こんな所で会うなんて奇遇だなァ、ヅラ」
「ヅラじゃない、桂だ」
お決まりの文句を返して佇む男の方へと、高杉はふらりと歩き出した。
いつから居たのかは知らないが、この様子を見る限りでは一連のやり取りを
見ていたのだろう。
「銀時の奴、俺のいねぇ間に面白ぇモン一杯拾ってんじゃねぇか」
「高杉、悪いコトは言わない。アレにだけは手を出すなよ」
「あァ?」
桂の言葉に初めて高杉は訝しげな表情に顔を歪めた。
「てめぇに言われる筋合いは…」
「あの2人に手を出してみろ、銀色の獣がお前の喉笛を引き裂きに来るぞ」
「………一体なんだってんだよ、俺には理解できねぇな」
被っていた笠を取り、高杉は心底嫌悪したように視線を横へと流した。
理解など最初から求めてなどいないのだろう、桂はただ淡々と口を開くだけだ。
「それだけ銀時にとって、大切なものだという事だ」
大切なものを背負い込むのは悪いことではないと桂は思っている。
そうして、その大切なものを守るために人は強くなっていくのだから。
「だから守るものなど持たないお前は、絶対に銀時には勝てまいよ」
「……フン」
面白くなさそうに鼻を鳴らした高杉は、興ざめだと呟いて桂の隣を
擦り抜けるようにして歩いていった。
その背中を見送って、桂が落胆したように目を閉じる。
かつて共に在った頃には、確かに彼にもあったはずなのだ。
守るべき、大切なものが。
彼がそれを持とうとしないのは、きっとその重さを知ってしまったからだ。
大義なんて無くていい、たった一人、たったひとつで良いのに。
「いつか………お前にも見つかるといい」
笠を深く被り直し、そう呟いて桂は高杉が去ったのとは反対の方向へと
ゆっくりとした足取りで歩いていった。
何かに期待などしないと誓ったのは、いつだっただろうか。
未来を願ったりしないと決めたのは、いつだっただろうか。
守るだなんておこがましい、所詮自分は殺すか壊すかしかできないのだ。
だから、今度はそれを貫こうと思った。
目の前に広がるものを壊して、殺して、途方に暮れる人間が見たい。
お前達も俺と同じ思いをすれば良い、と。
子供の身勝手と同じぐらいの我儘でそんな風に思った。
『昔に銀さんが何をしていたかなんて、どうだっていいですよ。』
『こちとらそんな古い話には興味ないアル。』
何も訊かずに無条件で傍にいてくれる人間なんてそうはいない。
そして絶対の信頼を寄せてくれるなんて、滅多にない。
「……銀の字は、相当運が良かったみてぇだな」
いつか自分にもそんな人間が、そんな仲間が、現れたりするのだろうか。
いや、きっとそれはない。何より自分が欲していない。
だけれど、遠い遠い過去にそういう連中と出会えたように、
遠い遠い未来にそういう人間と再び出会えたならば。
(……その時は、できればあのクソガキみてぇな奴らだと良い。)
随分昔になくしたと思っていた胸の奥の奥のそのまた奥。
そんな深い部分で、隠していた大事なものが、そう願った。
<終>
高杉を書くのが楽しいと思ってしまった…。そして書きやすい。
たぶん、私はなんだかんだでヅラが一番まっとうな大人だと思っているらしいよ。(笑)