#24 帰る麹塵
ちりん、と風鈴が季節はずれの風を受け止め音を奏でる。
縁側に面した方の障子を開け放つと、土方は漸く帰って来た自分の部屋で
大きく伸びをした。
直後、脇腹に痛みが走って呻きを上げる。
縁側とは反対側の襖に背を預けて、灰皿を手元に置くと懐から煙草を取り出した。
なんだかんだで、やっぱり此処が一番落ち着く。
ゆったりと煙を燻らせながら土方はさて、これから何をするべきかと
思考を巡らせた。
此処に帰って来たのには当然ながら理由がある、とはいえそれまでを
無目的にダラダラ過ごすのは好きじゃない。
耳を澄ませば時折廊下の向こうを人の歩く気配がして、どうやら入れ替わり
立ち代わりで、用のある度隊士が戻って来ているようだった。
今は沖田と山崎の機転で何とか間を保たせてはあるが、いつまでもこの状態
というわけにはいかないだろう。
なるべく早く状況は打開したい。
件の写真は沖田の方に任せたので、今できる事といえば目の前に積まれた
書類を片すことぐらいだろうか。
「……つか、なんで俺の部屋の机に山積みになってんだよ……」
検印の必要な書類は山崎か沖田を通じて此方に回せと言っておいたのだが、
どうやら横着者が何人もいたらしい。
仕方ねぇなと頭を掻いて、印鑑を何処にしまったかなと整理箪笥を探ろうとした、
その時だった。
ちりん。
風鈴が風を受け止め音を出して、それにつられるように土方が縁側を振り返る。
そして、表情が綻んだ。
「………近藤さん」
「トシ……戻って来てたのか」
「ついさっきだよ、近藤さんは何処に居たんだ?」
「俺は……」
縁側に立ち、普段と全く変わらない様子で近藤が吊るされた風鈴を見上げた。
薄い青に金魚が泳いだ風鈴は、音色がいいと近藤がとても気に入っていたものだ。
だから餌になるかと下げて待っていたのだが、思ったより早くかかってくれて、
驚きはあったが、どちらかといえば助かった。
何も言わないがきっとこの近くに居たのだろう。
「近藤さん、突っ立ってないで入れよ」
「………ああ」
頷いて、近藤は季節はずれだからと風鈴を外して持ってきた。
コトリと箪笥の上に置いてから、近藤は土方と向かい合うようにして座る。
普段と何も変わらない所作だというのに、どこか緊張した。
何から話せば良いのか、何から訊ねれば良いのか、分からなくてどちらともなく
口を噤んで黙り込む。
しん、と静まり返った空気に居た堪れなくなってきた頃、ぷっと小さく
吹き出したのは近藤の方だった。
「………なんか、盛り上がらねェ見合いみたいで妙な気分だ」
「ご趣味は?とか訊きゃァ良いのか?」
「ははッ、趣味は愛を狩りに行く事です。ってか」
「馬鹿だろ」
「悪かったな」
顔を見合わせて、くすくすと笑いを零す。
ぴんと張り詰めたような空気はいつの間にか霧散して消えていた。
「……トシ、」
「ん?」
ひとしきり笑ってから、近藤が手を伸ばした。
傷つけた脇腹に、そっと触れる。
「…………すまなかった」
ぽつりと小さく謝罪を口にして、気付いたように近藤は一歩距離を取って
居住まいを正した。
両手を畳の上について、頭を下げる。
その姿に慌てたのは土方の方だ。
大体、事この件に関して自分は彼を責めるつもりなど毛頭ありはしないのに。
「止してくれよ、近藤さん!頭上げてくれ!!」
「いいや、謝らせてくれ。
もう少しで俺は……取り返しのつかない事をする所だったんだ。
いや……もしかしたら、もう遅いのかもしれねぇ。
もう許される範囲じゃないのかもしれん。……だって、俺は、」
「言うなよ、近藤さん」
顔を上げて訴えるようにした近藤の口元を、土方が掌で覆って止める。
その先は言わなくても分かっている。
刀を向けられたのは、きっと自分だけじゃないのだろう。
あの夜に殺された隊士達、近藤は彼らの事を言おうとしたのだ。
ならばその口は塞いでおくに限る。
それを知る者は余りにも少ない、自分達が口さえ噤んでいれば。
「……俺に、無かった事にしろと言うのか」
「そうだ。
近藤さんが知らないフリをして、俺達が黙ってりゃあ、この件は
攘夷志士の仕業で終わる。
……近藤さんが何と言っても、この件はこれで終わらせる」
「そんな……そんな事、」
できるものかと眉を顰めた近藤に、土方は僅かにその双眸を細めた。
「アイツらにゃ悪いが、それで丸く収まるんだ」
「それではアイツらがあまりにも……!!」
「だったらどうする?
悪いが黙ってアンタに腹ァ切らせるほど、俺の心は広くねぇ。
責任取って真選組解体して武州に帰るってんなら、俺も一緒に付き合うぜ」
言葉を無くして呆然とする近藤の頬へ、土方は両手を伸ばして包み込むように覆った。
表情が強張っているのが、掌から伝わってくる。
そうだ、分かっているのだ。近藤がそれを選ぶような人間でない事ぐらい。
命在る限り、大切なものを守り続けるために生きるような人だから。
そしてもうひとつ、分かっていることがある。
「近藤さんは、生きてくれ」
自分がこう言えば、きっと近藤は抗わないということ。
それがどれだけ辛い事かは分かりきっている、誰か一人の命を奪うということは、
相手のその先の人生をも奪うということだ。
命を奪われた相手がこの先、どんな幸せを手に入れ、そしてどんな罪を犯すのかは
知らないが、それらを全部ひっくるめて背負い込まなければならないという事だ。
責任を取って、腹を切る。それができればどれだけ楽か。
だけど自分はそれを許さない。決して、許しはしない。
「辛いだろう?一人じゃ背負い切れねぇかもしれねえ。
だけど………だからこそ俺達がいるんじゃねぇか、近藤さん」
「………トシ、」
「アンタと江戸に出てきて、真選組を立ち上げたその時に……もう、俺の覚悟は
できてたんだよ。
アンタの為に、俺の全部を捧げる覚悟は…とっくにできてたんだ」
「…………。」
「何があったのか俺は知らねぇ、けど、言ってくれりゃ俺はアンタの為に
何だってしてやったさ。
なのに肝心のアンタが丸っきりの逃げ腰で、両手上げてバンザイじゃあ
俺達はどうすれば良いのか分かんねーよ」
「トシ、ごめん。……すまなかった、だから、」
泣かねぇでくれ、そう言われて初めて自分が涙を零していることに気がついた。
涙を拭おうと伸ばしてくれた手を掴んで引き寄せて、強く抱き締めてちくしょう、と唸る。
どうして、どうして自分はこんなに非力なのだろうか。
たった一人、護りたい大切な人すら救えない。
「………これは俺の問題だったから、俺が一人で何とかしなきゃなんねぇと
思ったんだよ……トシのせいじゃない」
「俺じゃそんなに頼りねぇか」
「違う。そうじゃない。
トシを傷つけて、他のヤツらの命まで奪って……総悟やザキも危ない目に
合わせて……その上此処でまだお前らの手を借りるわけにはいかない。
これは全部、俺一人の力で解決すべきだって……そう思っていたんだ」
「近藤さん……」
「トシ、俺は…此処に居て構わないか?」
途方に暮れたような顔で問うてくる近藤に、何を今更と土方が小さく呟いた。
良いも悪いもありはしない、最初から此処は近藤の作った場所で、近藤の居るべき場所だ。
気に入らないなら去るのは自分達の方であって、だけど残念ながら自分にそんな気は
これっぽっちもありはしないから、そこはもう諦めてもらうしかないだろう。
「近藤さん、」
「うん」
「俺は近藤さんを、助けてぇんだ」
「うん」
これが自分の、正直な気持ち全部だ。
「だからもう……何処にも行かねぇで、此処に居てくれ」
自分の、傍に。
懇願するような目で見てきた土方の双眸を、暫くじっと見つめていた近藤は、
ややあって小さく吐息を零した。
腹を括るしかない、これだけのひたむきな思いを向けてくれた相手に対して、
そうでなければ失礼だ。
「………トシ、」
「なんだ」
「俺の………話を、聞いてくれないか。
そしてできれば……力を貸してほしい」
その真っ直ぐな目は、あまりにも普段と変わらない力強いもので、見返した
土方は少しだけホッと表情を緩める。
どうやら帰って来てくれる気になったようだ。
ならば自分の取るべき行動はひとつだけ。
「俺がアンタに力を貸さない事なんて、何ひとつだってねーよ、近藤さん」
−続−
おかえり、近藤さん。