#17 揺らぐ紫
屯所の門前にぼんやり立って、沖田はただ其処で待っていた。
自分の大将は、此処に来るだろうか。いや、きっと来るはず。
これは半分が願いで、半分が期待。
余計な荷物は全部余所へ置いてきた、今なら何も遠慮する事はない、
近藤が何をどう言おうと今度ばかりは聞くつもりなど毛頭無かった。
会ったら何を言ってやろうか、なんて考えるだけで時間などすぐに
過ぎていって、自分からすれば然程時間が経ったようには思えなかったが、
月が西の空に移動を終えた頃、待ち望んでいた気配は漸く此処に現れてくれた。
「待ちくたびれちまいやしたぜィ、近藤さん」
ざり、と地面の砂を踏みしめて沖田は一歩、通りへと踏み出す。
会わなかったのはたったの3日ほど、それこそ近藤が出張などで江戸を出てしまえば
そのぐらい会わずに過ごす事ぐらいよくある事なのだったが、どうしたことが
何だか数ヶ月も、数年も、会っていなかったような懐かしさだ。
どこか途方に暮れたような表情で、ただ無言で近藤は其処に立っていた。
「お久し振りでさァ、近藤さん。
俺が此処に居ること、よく分かりやしたねィ」
「逃げろと言っただろう」
「だから、逃げたじゃないですか。
不本意ながら土方のヤローも元気ですぜィ」
「総悟、お前なら分かると思っていたんだがなァ」
「もちろん、俺が近藤さんの事で分からない事なんかあるはずがねェ。
だからこそ此処で待ってれば、アンタが来ると思ったんでさァ」
ため息を零した近藤に、くすりと笑みで返して沖田は肩を竦めた。
まだ自分が幼い頃に出会って、それからずっとずっと見てきたんだ、
今更分からない事がある筈がないのだ。
「いつか、アンタや土方さんが俺に話してくれたこと、覚えてますかィ?」
「………?」
「俺が初めて真剣握って、そして初めて人を殺した時のことでさァ。
アンタ達は俺に教えてくれたんですよ。
士道と節操を持ち、事の道理を見極めて、全てに己の信念を乗せて剣を持て。
命を奪った相手の業も、命を無くした仲間の志も、全部背負って歩けるだけの
強い覚悟で剣を振れ。
それができねェで、ただ剣を振り回し闇雲に人様の命を奪うような輩は、
武士でも侍でもない、ただの人斬りだ………ってね」
「……そうだ、まさに今の俺のような人間が、」
「違いまさァ」
強くハッキリと言い切って、沖田は真っ直ぐ近藤を見据える。
「だったらなんで、アンタはあの時、俺を斬らなかったんだ」
どうしてあんな泣きそうな顔で、逃げろと言った?
どうしてあんな震える声で、すまないと、謝った?
「近藤さん、アンタは人斬りになんかなっちゃいねェ。
まだ、そんなところまで落ちちゃいねェ。
なのにどうしてアンタがそうやって、土方さんや、他の隊の連中に刀を向けるのか、
その理由だけが分からねェんでさァ。
近藤さん自身があんなに大事にしてきたモンを、自分で壊しちまうなんて、
そんな馬鹿な事ある筈がねェ。………だから」
腰に下げた鞘から刀を抜くと沖田は切っ先を近藤へと向けた。
暗い夜道の中、僅かな月の光さえも反射して、その刀身は銀色に煌く。
「その理由が見えてくるまで、近藤さんが俺達の所へ戻って来るまで、
俺は何度だってアンタの前に現れまさァ」
「…………総悟、おめェって奴ァ……本当に、」
ほんとうに、ばかなやつだ。
唇に孤を描いて、近藤は真っ直ぐ沖田の方へと向けて駆け出す。
腰に携えた刀へ右手を寄せている事から、抜刀する気だという事はすぐに察知できた。
「残念でさァ、近藤さん。
俺ァガキの頃からずーっとアンタの傍に居たんですぜィ?
俺をこんな馬鹿な奴に育てたのは、近藤さんみてェなモンだ」
居合の軌道は読めている、手にしていた刀でそれを真正面から受け止めると、
ニヤリ、と沖田は口元を歪ませた。
「責任は、取って頂かないと………ねェ?」
−続−
アンタじゃなきゃ、駄目なんだ。