#15 守るべき薄紅
その日、お妙の勤めるスナックに一人の客があった。
柳生九兵衛という、所謂男装の麗人なのだが、本人は至って本気で
自分を男だと信じ込んでいる。いや、信じ込もうとしていると言った方がいいか。
その為、というわけでもないのだろうが、時折彼(本人は男性でいることを
望んでいるようなので、敢えて彼と明記する)はこの店に差し入れを持って
訪れていた。
過去に色々とあったのだが、今ではすっかりお妙との親友のポジションを
勝ち取っている人間だ。
他の親父客とは違いセクハラをしてくるわけでも無い友人が自分を指名してくれると、
ずいぶん気分が楽になる、とお妙は九兵衛の来店を歓迎している。
そうして今日も、九兵衛が持って来た饅頭をツマミに2人でのんびりと
酒を酌み交わしていたわけなのだが。
「………妙ちゃん、どうかしたのか?」
「どうかって……何が?」
「いや……なんだか少し気になって……。
気のせいだったら謝るけど、元気が無い気がする」
「別に、大丈夫。私はいつも通りよ。
九ちゃんてば心配性よねぇ」
「妙ちゃんにだけだ」
「ま、嬉しいこと言ってくれるじゃない」
にこりと笑んで、それじゃ水割り一杯だけサービスしてあげるわね、と
お妙は笑って手元の空いたグラスに酒を注いだ。
それでも、と九兵衛は思う。
(それでも……やっぱりどこか、元気がないような……)
本人はやたらとそういう所を隠したがるので、触れてはいけない事なのだろうかと
感じはするけれども。
「妙ちゃん、」
「なぁに?」
「もし………僕の事を親友だと思ってくれているのなら、
本当に辛い事があったら、その時は隠さずに言ってくれないか」
「…………九ちゃん、」
「僕はただ、妙ちゃんの力になりたいだけだから。
今まで一杯助けてくれた分を、今から少しずつ返していきたいんだよ。
いつか全部返せたら……その時こそ、僕達はイーヴンでいられそうな気がするんだ」
「そう………そう、かもね……」
昔のことなのに九兵衛はいつまでも気にしている。
自分にとっては取るに足らない事でも、それだけ彼にとって大きな事だったのだろう。
本当は、自分のやりたいようにやっただけなのだから、九兵衛が気にする必要は少しも
無いのだけれど。
「………大丈夫よ九ちゃん、わたし……」
「お楽しみのとこ邪魔してすいませんが、ちょいと宜しいですかィ?」
「君は…!」
自分達の座るテーブルに近づいてきた者がいて、九兵衛が視線を声のした方へ向ける。
視界に入ったのは黒に金の縁取りがしてある、自分もよく知っている真選組の隊服だ。
自分も将軍に仕える剣術の指南役を担う柳生一族の人間として幕府とは関わりが
あるので、噂はあちこちから耳にしていた。
それでなくても、以前にあったいざこざで乗り込んできた面々の内の一人と
同じ顔をしていたので簡単に思い出せる。
真選組一番隊隊長、沖田総悟だ。
「沖田さん………あら、珍しいこと」
「なに、手間ァ取らせません。別に飲みに来たワケじゃありやせんし、
今回はちょっと話を伺いたくて……まぁ、仕事で来たってワケでさァ。
アンタにひとつ、お聞きしたい事が」
「何かしら」
「ウチの近藤さん、最近来やしたかィ?」
「あのゴリラ?3〜4日前に来たっきりで……そういえば家の方でも姿は
見てないわね。また逃げたのかしら?」
「………見てねぇのか……しょうがねーな、他ァ当たるか。
それじゃ、悪ィんですが姿見かけたらすぐに連絡くれませんかねィ」
「あのゴリラに、何か?」
「いや、大した事じゃありやせんが……ちょっと、行方不明になっちまいましてね、
今、隊士総出で捜索してんでさァ。
……って、コレ、ヒミツにしといて下さいよ、極秘事項なんで」
邪魔しやした、と頭を下げると沖田はくるりと背を向けて店の外へと出て行く。
その姿をぼんやりと見送っていたお妙に目を向けて、九兵衛が僅かに眉を寄せた。
「ゴリラって………局長の近藤さんの事だろう?
行方不明ってどういうこと……」
「あの人、」
ぽつりとお妙が言葉を零す。
それはとても小さくて、耳を澄まさなければ店内の喧騒に紛れて逃してしまいそうな
ほどの消え入りそうなものだった。
「あの人………また明日、必ず来るからって………言ったのよ」
来なくていいと邪険にした翌日、近藤は姿を現さなかった。
最初はやっぱり口だけで、そうそうこんな店に顔を出せたりするものでもないのだろうと
思っていたのだが、その次の日も近藤は来なかった。
それだけじゃなくて、いつもなら一日おきには必ず姿を現していた道場の周辺でも
姿を見かけることは無くなってしまっていて、まるで忽然と姿を消したような感覚に、
少しだけお妙は動揺したものだ。
「………妙ちゃん、」
「別に、来なくたって構わないわよ、全然。
むしろ清々するわ。鬱陶しかったのよね、あのゴリラ」
気丈にそう声を張って、お妙は九兵衛に顔を向けた。
何飲む?と言って笑いかけるお妙を見て、不思議なぐらいストンと九兵衛の中に
違和感の正体が飛び込んでくる。
「………妙ちゃん、悪い」
「え、なあに?」
「僕はこれで失礼するよ」
「どうしたの、急に?」
「僕はね、」
立ち上がって身支度を整えると、フロア係を掴まえて勘定を頼んでから九兵衛は
お妙の方を見下ろした。
「僕は、妙ちゃんの泣くところは見たくないんだ。
そのためになら、僕は何とだって戦ってみせる」
また来るから、そう告げてお妙に笑いかけると九兵衛は店の外へと急ぐ。
左右を見回してみたが沖田の姿はもう何処にも見られなかった。
(捜すといっても……何処を捜せばいいのやら、だな)
やれやれと肩を竦めると、九兵衛はとにかく行くしかないかと賑わう界隈を
抜け出して、静かな闇へと向かって行ったのだった。
−続−
キミのためなら、この闇の中にだって。