刀身に蒼い炎が灯ったのを確認すると、リボーンが手にしていた銃を構える。
いつでも良いぞと言いかけて、小さなその口を噤んだ。
「待て、山本」
「ん?何だ??」
炎を維持したままで、山本はきょとんとした目を向けてくる。
どうやら炎を自在に操れるようにはなったのだろう、これはとても
良いことだ。しかし。
短い指先でくるくると銃を回しながら、リボーンはちょいと被っていた
帽子を反対の手で軽く押し上げる。
修業はこれで3日目だ、疲労が溜まっているのか、いつもの覇気が
若干弱い、ような。
「もしかして、調子悪いんじゃねーのか?」
「小僧が余計な心配しなくてもイイって!!
俺は大丈夫だからさ、続けてくれ」
「………なら、」
コイツを避けてみろ。
そう言ってリボーンは銃弾を放った。立て続けに3発。
山本は俊敏な動きでそれを軽くかわしたが、小さな殺し屋の目は
誤魔化されなかった。
「…………今日は、やめだ」
「な…ッ、ちゃんと俺避けたじゃんかよ!?」
「馬鹿言え、ただ避けりゃイイってモンじゃねーんだ。
大体、なんだその動きは。
オレがそんなんでダマされるとでも思ってんのか!!」
最後の方はいつでも冷静なリボーンにしては珍しく、語気が荒い。
それに少しビックリしたような様子で、山本は肩の力を抜く。
途端に刀身はただの竹刀に姿を変えた。
「調子が悪ィなら、ちゃんと言え」
「…けど、小僧に心配かけちゃ……」
「ガキがいちいちそんな事気にすんな」
どっちがガキだよ、と言いかけた山本の唇は最後まで動かなかった。
ばしゃり、と道場の床に撒かれた水を撥ね上げるように、膝をつく。
「…………山本?」
「わり、小僧………ちょっと、身体が思うように動かなくて、」
ふらりと身体が傾いで、横倒しに倒れ込む。
少し驚いた様子で駆け寄って来るリボーンを視線だけで見上げ、
山本は力なく笑みを浮かべた。
「ダルいっつか……身体に力が入んねー」
「……熱があるな」
ぺたりと小さな掌を山本の額に押しつけながら言うと、リボーンは
小さく吐息を零した。
どれぐらい、とは敢えて山本に伝えはしないが、それは本来人間が
発している温度を遥かに上回っている。
原因は疲労もあるだろうが、四六時中濡れっぱなしでいた事が大きい。
「ったく、自己管理もできねぇなんて、ボンゴレ失格だぞ」
「悪ィ……でも、少しでも沢山、刀振ってたくて……、
少しでも沢山、強くなりたかったんだ」
「そんなに急いだって少しも実になりゃしねー。
待ってろ、すぐに医務室に運んでやる」
この小さな身体では、山本を動かすことすらままならない。
仕方なしにリボーンは人を呼ぶ事にして、道場の隅に取り付けられていた
内線を手に取った。
どれぐらい眠っていたか分からない。
ピタリと自分の額に当てられた冷たい掌の感触で、山本はうっすらと
瞼を持ち上げる。
枕元に胡坐を掻いて座っているのは、小さな体躯をした殺し屋。
「あ………小僧…?」
「どうだ、具合は」
「身体が……燃えてるみてーだ」
「ま、そんだけ熱出しちゃ、当然だな。
ひとまず今日はゆっくり休むといい」
「ごめん……ごめんな、小僧。
貴重な時間をダメにしちまって……」
「気にすんな、治ってからこの分を取り返しゃイイだけの話だ」
「ん……ありがとな」
病床に就いて尚申し訳なさそうに言ってくる山本に、努めて
何でも無いことのようにサラリと返すと、少しホッとしたのか
山本が口元に笑みを浮かべる。
「流石に10年経ってるだけあって、医療器具もだが薬も随分
良いモンに変わってきてる。
熱だけなんだから、すぐに良くなるぞ」
「ああ、早く治して修業の続きしなきゃな」
「オレは他のヤツらを見てくるぞ。
おめーは此処でゆっくり寝てろ」
「おう、サンキューな」
そう言って山本が再び目を閉じたのを確認すると、リボーンはベッドから
飛び降りた。
医務室のドアを静かに擦り抜け廊下を出たところで、零れ出たのは
小さな舌打ち。
体調管理ができていないと彼を叱った事に間違いを感じてはいないが、
その事にギリギリまで気付かなかった自分も、大概に愚かしい。
あんなに常に行動を共にして、あんなに彼の姿を見ていたというのに、
どうして気付けなかったのか。
「リボーン!!」
廊下の向こうから少し慌てたような声が聞こえて、リボーンはゆっくりと
顔を上げた。
駆けて来たのは10代目候補の綱吉だ。
彼はリボーンの目の前で足を止めると、ぜえぜえと切らしていた息を
少し整えてから、リボーンに詰め寄った。
「山本が倒れたって、ほんと!?」
「おめーが気にする事じゃねぇ、さっさと修業に戻りやがれ」
「で、でもッ、山本にもしもの事があったら…!!」
「バカ野郎が、オレがついててそんな事ある筈がねーだろ」
撃たれてーのか!と銃を取り出して凄むと、綱吉がうっと言葉に詰まる。
けれど今日の綱吉は負けてなかった。
「見舞うぐらい良いじゃないか!!
リボーンが山本を一人占めする権利なんてないだろッ!?」
「だったら修業が済んでからだ。
見ろ、ヒバリがやってきたぞ」
「げッ!?」
「草食動物のくせに、いきなり修行場を抜けだしてどういうつもり?」
トンファーを構えた現在の綱吉の家庭教師は、いつでも咬み殺せるぞという
空気を惜しげもなく撒き散らしながらつかつかと綱吉の元まで歩んでくる。
「ご、ごごごごごめんなさいッ!!
すぐに戻りますーーーー!!!」
青褪めたままで叫ぶ綱吉を面白くなさそうに見遣ってから、雲雀がリボーンに
目を向けた。
「大丈夫なの、彼。
このまま修業が上手くいかなかったら困るんだけど」
「……心配すんな」
「心配なんかしてないよ。
もし彼が少しも強くなってなかったら、」
邪魔だから敵に攻め込む前に僕が咬み殺してあげるよ。
そう言って不敵な笑みを浮かべると、雲雀が綱吉の襟首を掴んでズルズルと
引き摺って行った。
その後ろ姿を見送りながら、リボーンは少し肩を竦める。
あんなに強くなる事を貪欲に求めている山本に限って。
強くなってなかったら?
そんな事、あるわけがないだろう。
次は自然に目が開いた。
今が何時なのかは分からないが、医務室の照明は患者の負担にならないような
薄暗さを保っている。
ゆっくりと身体を起こすと、額の上に置かれていたタオルが膝の上に落ちて来た。
手で掴むと、本来あったのだろう冷たさは微塵も感じられなかった。
緩慢な動作で周囲を見回すと、自分につけられた点滴がゆっくりと雫を落としている
様子が窺えるのみで、他には何の物音も感じない。
眠る前にはいた筈のリボーンも、今は気配すら感じさせない。
見た事の無い部屋、見た事のないものだらけの場所。
(こんな場所は、知らない)
急に背中にぞくりとしたものが走って、山本は僅かに身震いをした。
此処は何時で、何処で、なに、なのだろうか。
自分の部屋は畳だった、なのに此処はベッドしかない。
いつも風邪をひいた時は、店を臨時休業にして看病してくれた父親の姿も
此処にはない。
親友の姿も、悪友の姿も、家族も仲間も、誰もいない。
シーツを握り締めていた手が、微かに震えた。
京子とハルに頼んで消化に良さそうなものを作ってもらうと、それを手に
リボーンは医務室に戻って来た。
山本を除いた全員で夕食を採った後で、自分も行くと言い張った綱吉を
軽くあしらって、医務室へのドアを潜る。
しかしベッドの上に居るはずの山本が、何処にもいない。
点滴はいつの間にかむしり取られ、放置されていた。
「……何処行きやがったんだ、アイツ」
あれだけ発熱していたのだ、動くといってもそう遠くに行っていない筈だ。
そう考えて捜しに行こうとした視界の隅で、何かが蠢いた。
「…………。」
懐の銃に手を添えながらちらりと視線を横へ向けて、すぐにその危惧は
単なる杞憂だと知る。
小さくため息を零すと、テーブルの上に食事を乗せたトレーを置いて、
リボーンは白い塊がある方へと歩みを進めた。
「なにやってんだ、山本」
「………あ…」
「ベッドにおめーがいねぇから、ちょっとだけ焦ったぞ」
「こ、小僧……?」
部屋の隅でシーツを被って蹲るようにしていた山本が、リボーンの声に
僅かに顔を上げる。
その顔はまだ若干赤く、熱が完全に下がりきってはいないのだろう。
「寝てろって言っただろ、バカが」
「ごめん……ただ、ちょっと……な」
「ちょっと、なんだ?」
膝を抱えた山本の目の前まで行くと、あからさまな安堵の色を
両目に宿して山本が手を伸ばした。
「………怖くなったんだ」
「修業がか?」
「違う」
「ミルフィオーレとの戦いがか?」
「それも違う」
「じゃあ、何だ?」
「………馬鹿だよな、俺。
絶対にそんな事あるはずねぇって分かってんのに、
俺が………俺以外、誰もいなくなっちまったような気が、して」
たった一人、見知らぬ世界に取り残されたような気がして。
少し悲しそうに目を伏せた山本が、抱き上げた小さな身体をそのまま
腕の中に閉じ込める。
抱かれた時に感じた体温は、まだ随分と高かった。
「山本は、オレを信じるか?」
「ん…?」
「オレを信じて、これからオレの言うことを信じるか?」
「……俺が小僧を信じなかった事なんて、無いのな」
「だったら信じろ。
オレは絶対におめーを一人にしねぇ。
他の誰がいなくなっても、オレだけは絶対におめーの傍に居る。
それだけを信じてろ」
「ははっ、ずっと俺の傍に居てくれんのか?」
「おめーが信じればの話だがな」
「ああ…………信じるよ。
俺が小僧の言葉を信じないなんて、有り得ねーのな」
そしてリボーンが自分に対して嘘を吐いた事が無いということも
知っている。
大きく頷いて応えると、リボーンは満足そうに笑みを浮かべた。
「夕飯を持ってきたんだ。
食えるなら食って体力つけとけ」
「マジで?
やった、ちょっと腹減ってたんだよな」
すっかり元気を取り戻した山本は、被っていたシーツをベッドの上へ
放り投げると、テーブルの傍に歩み寄る。
小さな一人用の土鍋の蓋を開けると、ふわりと温かな湯気が漂う。
いただきます、と両手を合わせて言って早速スプーンを手に取った
山本の姿を向かいに座って眺めながら、リボーンは何気なく口を開く。
「忘れんなよ、山本」
なにが?と言いたげな視線を持ち上げた山本に吐息を零すと、
とりあえず食え、と告げてリボーンは自分のためのエスプレッソを
口元に運んだのだった。
どうせもうすぐ、我慢できなくなった綱吉が医務室に飛び込んで来るだろう。
そして綱吉を追いかけて獄寺もやって来て、心配性なフゥ太やああ見えて
山本の事を気にかけているらしいビアンキも来るに違いない。
トレーを下げるついでにと、可愛らしい言い訳をしながら少女達も来るだろうし、
雲雀の代わりなどと言って風紀の副委員長も顔を出すだろう。
そしてきっと最後には、群れないでくれる?とか言いながら雲雀本人も
いつの間にか居たりするのだろう。
大丈夫、彼の周りはいつだってこんなに賑やかなのだ。
だからあんなに、悲しい目をする必要はどこにも無い。
夜更けに一度、目が覚めた。
あんなに寝たのにまだ眠れるのかと自分でも驚くが、こんな中途半端な
時間に目覚めてしまったのは、やはり眠りすぎたのだろうかとも思う。
さすがに皆、自分の部屋へと戻って寝静まっているだろう。
そんな空間で、不思議と自分以外の気配がする。
「あれ……?」
ふと自分の横を見遣ると、相変わらずの寝姿で鼻提灯なぞ膨らましている
小さな姿があった。
どうやらあれから、ずっと此処に居てくれたらしい。
半身を起こして寝過ぎて凝り固まった首や肩をほぐす。
あれだけ燃えるように熱かった身体も、今やすっかり元通り。
これなら、明日からでも修業を再開できそうだ。
「……小僧のおかげ、かもな?」
起こしてしまわないようにそっと手を伸ばすと、くしゃりと柔らかな
黒髪を撫ぜる。
今日だけでも、随分助けられたような気がする。
綱吉などはスパルタだの鬼だの色々言ってはいるけれど、本当はこの
小さな子供が心優しいことを、自分は知っている。
傍にいると言って、本当に彼は此処に居るのだから。
『忘れんなよ、山本』
そう言った子供にとぼけた視線を向けてしまったが、ちゃんと聞いていたし
ちゃんと分かっている。
リボーンはいつだって、自分に嘘は吐かなかった。
「ありがとな、小僧。
絶対………忘れねーよ」
小さく囁いて、山本は再びベッドに横になる。
おやすみ、と告げた言葉に返事は無い。
皆が寝静まった夜の帳の中。
「Ci lo è molto più vicino.」
呟かれた優しい言葉を聞いた者は、誰もいなかった。
<終>
実際書いたのは一昨年ぐらいのものですww
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