その日は、夕飯の時間になっても帰って来なかった。
女の子一人にするわけにもいかず、姿を見せない主を待ちながら、
自分も一晩をそこで明かすことにした。
帰ってきたのは、その次の日の夜遅く。
<The afterimage of smoking rain.>
夕刻前に降り出した雨は、夜にはすっかり本降りとなって、
風の勢いもあってか窓に打ち付ける音が部屋に響いていた。
「………帰ってこないネ、銀ちゃん」
「まぁ、きっとその内ひょっこり戻って来るって」
「新八は今日も泊まるアルか?」
「神楽ちゃん一人にしちゃうわけにもいかないでしょ」
遅めの夕飯も終わり、ソファに座って神楽は膝を抱えていた。
その隣に座っていた新八が、時計に目をやってあ、と声を上げる。
「神楽ちゃん、もう11時回ってるよ。
そろそろ寝た方がいいんじゃない?」
「んー…」
眠そうな瞼を擦りながら新八の言葉に返事をする神楽は、
きっと気持ちでは起きていたいのだろう。
だが、どうやら体は睡眠を欲しているらしい。
「僕が起きてるから、神楽ちゃんは寝てていいよ」
「でも、新八、昨日も…」
「だーいじょうぶだって、僕んトコは姉上がああいう仕事だからさ、
夜更かしには慣れてるんだよ。
ほら、もう押し入れ行った行った」
「うぅ……じゃあ、銀ちゃん帰ってきたら、
私の代わりにきっついパンチお見舞いするネ」
「パンチ?」
「マミーはオマエをそんな子に育てた覚えないアル!!って」
「あははは」
シュッシュッと拳を振るう神楽のパンチのキレは良い。
明日の朝になるかもしれないが、この分なら自分がしなくても、
神楽は起きたら自分で拳を振り上げに行くだろう。
おやすみ、という声をかけて押入れの戸を閉めれば、おやすみぃ、と
神楽の半分寝惚けた声が返ってくる。
いつの間にやら定春も、いつもの自分のポジションへと移動して
眠ってしまったようだった。
しん、と静まり返った部屋で、さて何をしようかと考えた新八は、
とりあえずお茶を煎れて、居間のテレビの電源を入れた。
かたん、と外で小さな音が聞こえたのは、時計の針が午前2時を指した頃だ。
最初は気のせいかと思ったのだが、気にしだしたらどうしても確認しに
行かなくては気が済まない。
無駄にソワソワしてしまうのだ。
仕方なく腰を上げて玄関へと向かう、その足が草履に伸びたのと
玄関の戸が静かに開いたのは同時だった。
「「 あ。 」」
思わず上げた声のタイミングも同じ。
ぽかんとした表情で見上げた先には、この家の主が立っていた。
「な、に、してんの……お前、こんな時間まで……」
「いや、えっと、それより銀さん、ズブ濡れなんですけど」
「そりゃあ、まぁ、この降りじゃあな」
ガシガシと水気を飛ばすように頭を掻きながら、興味なさそうに銀時が答える。
それを見た新八が、タオルを取りに行こうと踵を返そうとして。
「……銀さん?」
左の手首を掴まれて、怪訝そうに新八は視線を向けた。
その腕がぐいと引っ張られて、だがほとんど衝撃もなく収まったのは銀時の腕の中。
「冷たッ!!
銀さん、冷たいですよ!!早く拭かないと風邪引きますって!!」
「いいから。」
ぽつりと吐くように呟かれた声に、新八の動きがピタリと止まった。
少し考えるようにして、もぞもぞと抵抗でない程度の動きで相手の正面へ向き直る。
「……いい歳した大人が、何泣きそうな顔してるんですか。
ていうか、もしかしてちょっと泣きました?」
「泣いてねぇ」
「嘘でしょ」
「泣いてねぇって」
「そんな赤い目して言われても説得力が無いんですよ。
泣いたんでしょう?」
それも、誰も見てないところで一人ぼっちでこっそりと。
新八の肩に額を預けるようにした銀時の髪に触れながら言うと、ごそごそと懐を漁った
銀時は、新八の手に取り出した袋を渡した。
視線は自然とその方を向いてしまう。
「激辛煎餅…?
なんですか、コレ?」
「貰った。食ってみろよ、マジでヤベぇぞこの煎餅」
「そんな辛いんですか?
あんた甘党のクセに自殺行為ですよ」
「ホント、涙出るぐれぇ、辛い」
ぎゅう、としがみ付くように抱き締めて言う銀時は、なんだかイジメっ子に苛められて
帰ってきた子供のようで、少しだけ笑えた。
だけど本当は分かっている、そんな事が理由じゃないこと。
そして、尋ねたところできっと答えてはもらえないのだということ。
ポンポン、と背中を叩くと少し腕が緩んだので、新八は銀時にそこで待つように言って
風呂場の脱衣所に置いてあるバスタオルを手に取った。
戻ってくると、少し俯いて表情が見えないままの銀時がそこに立っている。
「ほら、拭きましょう。風邪引きますし」
パサリと頭からバスタオルを落としてわしわしと拭いてやる。
暫くされるがままだった銀時が、小さく小さく口を開いた。
「……ほんと、煎餅は辛ぇわ雨は冷てぇわで、最悪だマジで」
「早く帰って来れば良かったのに」
「…………。」
黙ってしまった銀時に、不思議そうな顔で新八はその顔を覗き込む。
そこにあった顔はいつもと大して変わらないものだったけれど。
「………人が、死んだんだ。」
今更、殺すも殺されるも見慣れた光景で心が揺らいだりなんてしない。
だけれども、そこにあったのはそのどちらとも違う、人の死があった。
最期の別れを告げて、去る人の姿は。
「さみーなぁ」
なのに浮かべた表情は、唇の端を持ち上げただけの笑みで。
思わず髪を拭く手を止めた新八は、驚いたように目を瞠った。
「…銀さん」
「辛ぇし冷てぇしさみーしで、イイ事ねーわ」
沖田も近藤もボロボロに泣いて、土方も泣いていたクセに持っていた
激辛煎餅のせいにしていた。
なんだかんだで土方と同じ手法を取ってしまった自分は、もう似たもの同士と
言われても文句は言えないかもしれない。
じっと見上げるようにして銀時を見ていた新八は、一度だけ自分の両手を
まじまじと眺め、そうしてその腕をさっきと同じようにして伸ばした。
「銀さんは、変なトコロで子供ですよね」
「……うっせーな」
「まだ、寒いですか?」
ぎゅっと力を込めて抱き締めると、少しの間躊躇するようにしていた手を、
銀時はもう一度新八の背に回した。
じんわりと伝わってくるのは、自分より少し高い体温だ。
「……いや、あったけぇ」
「ああ良かった。
銀さんを泣かす不届きな激辛煎餅は、僕が責任を持って処分しておきます」
「新八…」
何があったのか訊ねもせずに、全部受け止めようとするこの少年を、銀時は
信じられないような気持ちで見ていた。
「お風呂沸いてますから、あったまってきて下さい。
その間に何か温かいものを用意しておきますね。
あ、あと明日は朝イチで神楽ちゃんの折檻が予定入ってますんで」
「おいちょっと待て、何その折檻とかって」
「きっついパンチをお見舞いしてやるんだとか」
「神楽のパンチ!?しかもきっついの!?
おめーそれ死ぬだろうがかなりの高確率で!!」
「頑張って下さい!」
「ってそこで親指立てたって何の慰めにも励ましにもなってねぇんだよ!!」
「心配させたんでしょうが。何の連絡も無く帰っても来なくて、
随分遅くまで、神楽ちゃん頑張って起きて待ってたんですよ」
「…………。」
にこりと笑みを浮かべて言う新八に、う、と銀時は言葉を詰まらせる。
そういえばことこの件に関しては2人に一切何も話していなかった。
結局「い…一発だけなら、それも軽いのなら」とブツブツ言いながら靴を脱いで
玄関に上る銀時をクスクス笑いを零しながら見ていた新八が、あ、と声を上げた。
「そうそう言い忘れてました。…………おかえりなさい、銀さん」
きょとんとした目が自分を見る。
その目が少し考えるように上に持ち上がって、やがてそれはゆっくりと戻る。
ガシガシと頭を掻いた手が、ぽん、と新八の頭の上に置かれた。
「おう、たでーま」
<終>
しんみりした気分も、あっという間に軌道修正できるんだ。
そんな家族だといいな、この3人は。