注:この話はお題「爆弾発言」の続きになっています。まだの方はどうぞお先に(^^)

 

 

 

誰にも言っていなかった事がある。
それは別に隠していたわけではなく、ただ単に機会が無かった、それだけだ。
現在の事を、そして未来の事を語り合う事はあるが、過去の事を振り返る事は
無かった。
ただ、それだけのことで。
「……まだ、幼稚園に通っていた頃にさ、」
「ふんふん」
ぽつりと乾が言葉を漏らすのを、菊丸が手塚の背に乗り上げたままで
相槌を打って先を促す。
「俺には敵がいたんだ。
 そりゃあもう、物凄く強くってね」
「??あれ、乾の話??」
「そうだよ」
こくりと頷く。
手塚は先刻から黙ったまま、一言も喋らない。
それは乾の話を聞いているようにも見えるが、不二にだけは別の光景の
ように見えた。

 

………ふふ、頭抱えてるみたいだね。

 

あえてそれは言わなかったけれど。
「まぁ、俺もそう大人しい方じゃなかったし、俺だってウマが合わなかった
 からさ。特に理由も無いのに、顔を合わせたら取っ組み合いの大喧嘩でね。
 もちろん今よりもっと分別がきかないから、毎日殴り合いだったなぁ」
「……なんか、乾が誰かを殴ってるのって、想像つかないにゃー」
「そう?そんな事ないよ。
 …まぁ、だから毎日泥だらけ傷だらけになってたよ。
 とにかく仲が悪かった。と、俺は思ってるんだけどね」
「ほへー……それは、なかなかハードな幼少時代だ」
感心したような声と共に、菊丸が呟いて苦笑を見せた。
そもそも、乾が誰かに掴みかかっている図、というのが菊丸の想像範囲外の
話なのだから。

 

「なのにどうして今お前はこんな所に居るんだろうねぇ、手塚?」

「…………余計な話を……」

 

菊丸の頭がフル回転すること2分弱。
思考の辿り着いた先は。
「ひょっとして………敵??」
「だから時効じゃないって言っただろ?」
下敷きにしている手塚を指差して、どこか遠慮がちに訊ねると、
いともあっさりした返事があって。
「うそーーーーーーー!!
 この手塚がァ!?」」
今度こそ、菊丸の胸の内から声となって本音が漏れた。

 

 

 

 

手塚と乾は幼稚園の頃から一緒だった。
決して昔から仲が良かったわけじゃない。
少なくとも、幼稚園の頃は最悪だったとも言える。
毎日毎日、教室で、園庭で、顔を見ればどちらかが突進していっていた。
どちらかといえば、それは手塚の方が多かったかもしれない。
もちろんやられっぱなしというわけではなく、乾もやられたらやり返せの
精神よろしく応戦し始めるものだから、いつも大人の仲裁がないと
その取っ組み合いの収拾はつかなかった。
卒園式の日まで、殴り合っていた記憶がある。
小学校に上がっても、それは変わらず続いていた。
そんな日々が唐突に終わりを迎えたのは……何が原因だったかよくわからない。
手を出さなくなったのは、手塚が先だった。
しかしそれは決して卒園して疎遠になったための終わりでは無かった。
その証拠に今、すぐ隣に手塚が居るわけで。
本当のところ、その理由は乾自身も知らなかった。

 

 

 

 

気が付けば越前はぐっすり夢の中。
桃城や海堂もうつらうつらとしていて、菊丸が何時の間にか眠ってしまっていた
事もあって、話は中途半端に打ち切られた。

 

皆が寝静まった中、なんとなく眠れなくて乾は部屋を出ると
のんびり合宿所の館内を歩き回っていた。
廊下は足元の誘導灯以外は月明かりしか光はなくて、誰もが寝静まっているので
物音もしない。
外には出られないが、広い館内はちょっとした散歩にはもってこいだった。
一頻り歩いて戻ろうと思った所で、声がかかった。
「乾か」
「……手塚?」
乾の返した言葉に、廊下の向こうから少し急いだ足音が聞こえてくる。
暗闇から浮かんだのは、やはり見慣れた姿だった。
「どうしたんだ?そんなに急いで……」
「何がそんなに急いでだ。
 目が覚めたらお前がいないし、トイレかと思って待ってても
 一向に戻ってこないから捜しに来たんだ」
「……ありゃ?」
そりゃ申し訳ないと苦笑を浮かべつつ謝罪して、改めて乾が時計を見た。
自分が部屋を出てから45分も過ぎている。
「ちょっと散歩しすぎたかな。
 戻ろうか、手塚」
「散歩?」
「うん……何だか眠れなかったもんだから」
「もう眠れそうなのか?」
「……さぁね」
「そうか………ついて来い、乾」
「へ?」
言うとさっさと歩き出す手塚に、きょとんとした表情を見せたままで
乾が素直に従う。
廊下を少し歩くと、中庭に続くガラス戸が見えた。
窓自体の鍵の上からもうひとつ南京錠が取り付けられており、内部の人間でも
鍵を持つものでなければ、本来は外に出る事はできない。
夜中に抜け出す生徒を止めるためのものだ。
だが。
「さぁ、行こうか」
その南京錠は壊れていて、手塚が軽く捻ると簡単にそれは外れた。
あとはガラス戸の鍵を開けて出るだけだ。
「………手塚ってば、不良ー」
「戻るか」
「すいませんでした」
素直に謝罪を口にして、乾が一歩外へと踏み出す。
街灯などあるはずもなく当然暗闇ばかりで、闇雲に歩き回れる筈も無いのだが。
「ああ、気持ちイイね……」
夜更けの風は涼しく、見上げれば星が見える。
それだけでも、充分だった。
結局、歩き回る事無くガラス戸に凭れるように並んで座り、ただ空を見上げていた。
「……そういえばさ、」
「何だ?」
暫く黙って星を眺めていただけの乾が、唐突に口を開いた。
「ずっと思い出そうとしてたんだけど、どうしても思い出せなくて、
 知りたい事があるんだけど」
「何がだ」
「結局、なんで俺達仲良くなったんだ?」
「………」
その問いは予測していなかったのか、無言で手塚は乾の顔を見遣る。
もっとも、暗がりと眼鏡のせいで、ハッキリとした表情は読めない。
「確か、ある日突然お前がかかってこなくなったのは覚えてるんだ。
 あの時は随分拍子抜けしたからなぁ……。
 でも、それが何故かは未だに解らないんだよね」
殴りかかってこなくなっただけじゃない。
妙に仲良くなってしまったのも、その小学生の時だ。
休み時間は、喧嘩でなくてボール遊びをするようになった。
喧嘩腰じゃなくて普通に話をすれば、意外と気が合った。
むしろ何が原因であそこまで仲が悪かったのだろうかと不思議に思うほどで。
テニスに興味を持ったのは手塚が先で、スクールに誘ってきたのも手塚からだった。
学校やスクールだけじゃなくて、普段の日常生活でも、気がつけば近くに
居たような気がする。
そう……いつも隣に居るのが不思議じゃなくなる程度には。

 

では、そのとっかかりは何だったのか。
それが、乾には今でも解らないのだ。

 

「そうか……言った事がなかったな。
 知りたいのか?」
「一度気になると、気になりすぎて眠れなくなってしまう性質でね。
 教えてくれないとこのまま夜を明かしちゃうよ?
 モチロンお前も道連れで」
「……完徹は困るな」
「だろう?
 お互いのためにも、白状する気ない?」
くすりと笑みを乗せて訊ねれば、暫し逡巡を見せたが、手塚が諦めたような
吐息を零した。
「お前が自覚しているかどうかは知らないが、」
「うん」
「殴りあったり蹴り飛ばしたり、園児にしてはなかなかハードな喧嘩をしていた
 にも関わらず、お前は一度も泣いた事が無かった」
「そう……だっけ」
「ああ。少なくとも俺の前ではな。
 だが…いつだったか……1度だけ、見たんだ」
「………?」
「お前は多分、知らないだろう。
 マンション近くの公園で、お前は、倒れた猫を見ていた」
「…………あ、」
思い当たるフシが見つかったように、乾は顔を上げた。
決して今までに泣いた事が無かったわけじゃない。
だが、手塚の前で泣いた事があったかどうかといえば、見たことが無かったと言った
手塚の言葉を信用するしかないだろう。
ただ、公園の片隅で、見つけた猫。
あの光景は強く印象に残っている。
自分が初めて遭遇した、『死』というものだったから。

 

 

 

 

その猫は心無い大人たちにいたぶられたのか、体中傷だらけで。
だが見つけた時は、まだ息が合った。
早く母親に言って病院に連れていかないと。
そう思ったのに、足が動かなかった。
竦んでいたのだと思う。
血まみれの、猫に対する恐怖。
こわい、と思った。
何かに対してなどではなくて、直感的な恐怖。
それに打ち勝って動けるほどの年齢では、まだ無かったから。
薄く開いた口から、か細く漏れる呼吸。
動こうとしているのか、時折土を掻く前足。
喉も傷付いているのだろうか、鳴き声はもう自分の知る猫の声ではなかった。
助けることも逃げることも思いつかず、ただ呆然と、幼い自分は見下ろすだけで。
その恐怖に打ち勝つには、随分と時間が必要だった。
こわいこわいと悲鳴をあげる胸を静めて、呪文のように大丈夫だと唱えて。
漸く足元の金縛りが解けて、今助けてあげるから、お母さんを呼んでくるから
待っててね、と声をかけて。

 

そこでやっと、その猫が既に塊と化していた事に気が付いた。

 

ただ、呆然と幼い乾は息の無い猫を見下ろしていた。
どのぐらいの時間をそうしていて、いつ家に戻ったのかは覚えていない。
結局その猫を埋めてあげたのかどうかさえ、記憶に無い。
だが、頬を流れる涙の冷たさは、今でも覚えている。

 

 

 

 

「とまぁ、そんな事があったんだよ」
「ああ……だからなのか」
その時にあった事を話せば、妙に納得して手塚が頷いた。
「だから…って?」
「俺はたまたま学校から帰る途中だったんだが……だから、
 お前のそれを見つけたのも、本当に偶然だったんだ」

 

公園の脇を歩いていて、視界に見慣れた姿を見つけた。
なんだ一人で砂遊びかじゃあ邪魔してやろうそうしよう。
そう思って、乾に気付かれないよう静かにゆっくり近づいた。
だから、たまたまだったのだ。
倒れた猫を見つけたのも、泣いている乾を見つけたのも。
その時に頭で何を考えていたのか手塚には覚えが無いが、
ただ、強く心臓を鷲掴みにされたような感覚は、今でも強く残っている。
そして、見てはいけないものを見てしまったのだという思いも。
声を掛ける事すら憚られて、手塚は踵を返すと駆け出していた。
あの時声を掛けなかった事を悔やむ思いは無いが、ただ、
もう乾を泣かせてはならないという意思を見つけた。
あんな涙を見せられるのは、もうこりごりだ。

 

「だから、それからは一応、色々と気を遣ってきたつもりなんだが」
「気遣いって……ガキの頃からそんな事してたのか。
 だから老成するんだよ」
「文句あるか」
ないけどね、そう呟いて乾が肩を竦める。
知りたかった事は全部聞かせてもらえたから、随分とスッキリした。
立ち上がって大きく伸びをすると、ついでに欠伸まで一緒に零れてくる。
「……眠いのか?」
「そうみたい。謎は解けたからね。
 そろそろ戻った方が良いかな」
乾が腕時計に視線を向ける。
部屋を出た時から、1時間半が経とうとしていた。
「うわあ、絶対寝不足だよ。
 明日の練習はキツそうだなー」
「特別扱いはしないからな」
「解ってるよ」
まだ座ったままの手塚に手を差し出すと、自分より温かい手塚の手が
掴まってくる。
よいしょ、と声を出して引っ張り立たせると、出てきた戸を潜って
廊下に戻った。
静かに戸を閉め鍵をかけると、元通りに南京錠を引っ掛けておく。
そうしてゆっくり皆の眠る部屋へと戻りながら、乾がポツリと呟くように言った。

 

「ありがとうな、手塚」
「………いや」

 

礼を言われるような事は何一つしていない。
ただ、過去にあった想い出を話して聞かせた、それだけの事。

 

 

 

 

<終>

 

 

 

 

 

多分、これは君に話す事は無いだろうけれど。
例え君が疑問に思っても、話してなんかあげないけれど。

 

今の関係を築くことができた、そのきっかけは、
今でも君が「もうクセになってるんだ」と言って首から下げている
赤い紐に通した1本の鍵であった事を。

 

多分君は、これから先も気付くことはないだろう。

 

 

<終>

 

 

 

…いかん、2人の過去をちゃんと書こうとしたら、めちゃ長くなる…。
本当はもうひとつエピソード入れて完成する話なのですが、
それまでの余りの長さにカットしてしまいました。
やったら薄い文字のソレは、端折った部分です。
読みにくい方は反転してドウゾ。
まぁ、この部分はその内お題じゃなくて普通に書くことにします。

 

補足をするならば、
猫の一件は仲良くなった事に対するとっかかりではなく、
喧嘩をしなくなった要因です。
仲良くなったとっかかりは、薄字の方の「鍵」の話なんですよー。
ああまた解り難い話を書いたなぁ……というか、もうちょっと解りやすく
書けなかったのか自分……。(遠い目)

切実に文才が欲しいです。ええ切実です。