油断していた、というのだろうか。
もしくは、データが足りなかったとでも言えば良いのか。
それが何にしろ、レギュラー落ちしてしまったというのは覆せない事実だった。
悔しいという思いは多分にあったが…心は納得している、それだけが救いだった。

 

 

 

 

「…何してんのさ、手塚?」
部活終了後の人気がなくなったベンチで、ひとり残っている手塚を
見つけた不二が、傍に近寄る。
そっちに視線を向ける事もなく、手塚はただ手元にあった紙きれを
見つめていた。
それは、先刻まで行なわれていたトーナメント戦の結果が記されていた表で、
それを見た不二がなんとなくその意図を知った。
「…落ちちゃったね」
「ああ」
「あーあ、また三人揃って大会出たかったのにな」
「仕方ないだろう。
 更に実力のある者が現れた、それだけの事だ」
「またそんな事言っちゃってさ、素直じゃないよね」
「…何が言いたい」
「悔しいくせに」
幾分低くなった手塚の声音に物怖じする事もなく、不二がハッキリと言い切った。
「まぁ、心配はいらないと思うんだけどね、乾なら。
 むしろ君の方が心配になるよ」
「どういう意味だ」
「気にし過ぎやしないかと、ね」
「…」
「余計な気遣いはむしろ迷惑になる。
 乾ならちゃんと這い上がってくるから、大丈夫だよ」
だから元気出しなよね、そう告げると手塚の肩を軽く叩いて、
不二は帰宅の途についた。

 

 

 

 

不二に言われるまでも無く、そんな事は承知していた。
何よりも誰よりも信用している彼だから、次にはきっとまた戻ってくる。
そんな事で億劫になっているわけではない。
乾のレギュラー落ちが確定した後、部長である自分と副部長の大石が
顧問の元へと呼び出された。
そこで聞かされた事が、問題なのだ。
もちろん不二は知る筈も無い、その事に。
「…………そうだな、乾なら」
ぽつりと、手塚は口に乗せて呟いた。
乾ならきっと、断りはしないだろう。
あの顧問に頼まれたなら、決してノーとは言える筈が無い。
そう思い込もうと努力しながら、漸く手塚はベンチから立ち上がった。
どこか胸の隅で引っかかっている、後ろめたい思い。
彼は、許してくれるだろうか。

 

彼の培ってきた力を、自分達の『武器』とする事を。

 

 

 

 

 

 

「遅かったな、手塚」
部室に入った途端かけられた声に、一瞬その場に立ち止まってしまった。
机の傍にある椅子に腰掛けノートに視線を向けたままで。
「……まだ居たのか、乾」
「ああ、大石は菊丸の買い物に付き合うからって、先に帰ったよ。
 鍵は俺が預かっておいた」
「そうか」
室内を見回せば、他の連中は皆帰ってしまったのか、他に残っている者は
誰も居ない。
手塚自身もさっさと着替えを済ませ、荷物を纏める。
ちらりと視線を向けると、乾はまだノートに何か書き込んでいる。
きっと今の状態なら声をかけても気づかないだろうと、手塚は机を挟んだ
向かいの椅子に黙って腰を下ろした。
そうして10分程待った頃だろうか、漸く乾が手を止め、ノートから視線を外す。
「………あれ?」
「どうした」
「着替え終わってたのならそう言えよな。
 ひょっとして、結構待たせた?」
「いや、そんな事は無い」
ずっと、ノートと睨み合っていた乾を眺めながら、考えていた。
きっとあの件は、明日顧問が直接話すまで乾自身も知らないだろう。
それで良いのだろうか、と。
その時恐らく彼に、選択権は、無い。
「で、……帰らないのかい、手塚?」
「いや、乾に少し話したい事がある」
「あ、そうなんだ。何??」
パタリとノートを閉じて鞄にしまい込むと、改まって乾は手塚の方に向き直る。
ほんの少しの逡巡の後、手塚が漸く口を開いた。

 

 

 

 

「………そうなん、だ」
「ああ」
「弱ったね。
 俺、これからが正念場なんだけど」
「……そう言うとも、思った」
困ったようなため息と共に吐き出された乾の言葉に、同じく困ったような表情で
手塚が少し俯く。
「でも、俺なんかで良いわけ?
 コーチなんて大役、分不相応だと思うんだけど」
「そんな事は無い」
「なんでそう言えるんだよ」
「乾、お前の武器は何だ?」
「……………。」
最後の言葉は、酷く言い難そうで。
思わず乾は押し黙ってしまう。

 

己の武器は、『データ』と『経験』。
それに『実力』を加算して、乾という『プレイヤー』は出来上がる。

その中のデータと経験を、他レギュラーの為に差し出せ、と。

 

「………参ったね、どうも」
何か言ってやらねばと、散々悩んだ挙句口に上がったのはそんな言葉だった。
「俺ね、今日の試合で2敗しちゃったんだよね」
「知っている」
「レギュラー落ちしちゃって、こんな俺でもやっぱり少しぐらい悔しいなーとか
 思ったりするんだよ」
「そうだろう」
「そんな思いで今さっきまでノートと睨み合ってたんだけどね。
 こんな話聞かされると脱力しちゃうよ、ホント」
「………………。」
一気に捲くし立てるように言えば、途方に暮れたような手塚の顔。
何となく、明日を待たず手塚が自分にこんな話をした理由には、見当がついた。
恐らく今自分がノーと言えば、明日の朝にでも手塚は顧問の元へと行くだろう。
これは、そういう意味だ。
「………いいよ、俺がやっても良いならさ。
 その代わり、厳しいからな」
「乾、」
「別に無理してないから、心配しなくて良いって」
何故か咎めるような響きを含んだ手塚の声に、思わず苦笑して乾が答える。
これが自分の中に生まれた答えだから、もう覆ることは無い。
鞄と鍵を手に立ち上がると、帰るよと乾は手塚を促して部室の明かりを消した。
「ああ、そうだ手塚」
鍵を閉めながら、振り向かずに乾が問う。
「どうして今話したんだ?」
「…………。」
鞄の中に鍵を入れて、乾がくるりと振り返る。
その答えにも暫く戸惑いを見せた後に、漸く返事があった。
「このことは結果的に、お前の時間を奪ってしまう。
 …一方的ではフェアじゃないと思ったんだ」
「うん、なるほど。
 これ以上無いぐらい手塚らしいな」
ひとつ頷いてみせて、乾は手塚の隣に立って歩き出した。
職員室の明かりが灯っているのみで、もう校庭にも校舎にも人の気配が無い。
本当に自分達が最後になってしまったようだ。
「…乾」
「何?」
「すまない」
ぽつりと零れた、謝罪の言葉。
それに思わず、乾が声を上げて笑った。
些か気を害したように、手塚が眉間に皺を寄せて見遣ると、
その視線から逃げるように乾が数歩、前に出て。
「例えばさ、手塚」
ゆっくりと振り返った。

 

「例えば、今目の前に居る手塚国光っていう男を、
 俺の手でまだ強くする事ができるって言うなら。

 ………それはこの上も無く光栄な事だよ」

 

その表情は、まるでプレゼントを受け取った時のように、嬉しそうで、楽しそうで。
まるで眩しいものでも見ているかのように、手塚が目を細めた。
「…乾」
「何?」
「ありがとう、だな。この場合は」
「うん、それが正しい」
手塚が乾に追いついて、また二人並んで歩き出した。

 

 

 

 

明日の顧問からの要請にも、乾は黙って応じるだろう。
危惧するところは何も、無い。

 

彼の時間を奪ってしまった事によって、
彼自身の成長が止まってしまわなければ良いが。

 

胸を過ぎった一抹の不安は、発される事無く本人の胸の中に
しまい込まれてしまっただけ。

 

 

 

 

<終>

 

 

 

結構早い時点で書き出したくせに、意外と難産でした。(汗)

 

なんか最初っから最後まで手塚は乾のコトしか考えてないカンジ。
いやそれが正しいんですけどね、自分的に。

なんだかもう、余りにもフツーの話スギてそれが解りにくいっていうかなんていうか。(泣)

 

手塚にとって乾は光そのもので、それを消さない為なら何でもするカンジ。
きっとコレも乾が嫌だと言えば、果敢にもあの顧問に反対しに行くでしょうな。
コーチである前に一人のプレイヤーであるコトを忘れないで欲しいなぁなんて
きっと心配するんでしょう、この後も。

あ、

この話の段階では、まだ恋愛感情まで発展してないぐらいで。
そういう意味で手塚が乾を意識し出すのは、もうちょっと後かなーが理想。