晴天なり。
晴天なり。
本日は、
【晴天の空の下】
「天下統一は目出度ぇ。
ああ、確かに目出度ぇさ」
窓の縁に凭れかかるようにして、夏侯淵が苦々しく呟く。
それを同じ室内で山積みになっている竹簡に目を通していた司馬懿が
呆れたような吐息を漏らした。
「…暇そうだな、妙才殿」
「ああ、今日は朝からやる事がねぇ」
「だったら少しは私を手伝おうという気にはならんか?」
「手伝っても構わねぇんならなー」
気だるげに返ってくる言葉に、司馬懿は暫し考えた末に首を横へ振った。
「……やめておこう」
竹簡に目を通し、ひたすらに筆を走らせる。
夏侯淵に不向きなことは誰の目から見ても明白だ。
「賢明な判断だな」
窓の縁に寄りかかったままで、夏侯淵がそう答える。
何を見ているのかと司馬懿が筆を置き、傍に近付いてみる。
晴れ渡る青空の下、許チョと徐晃が兵に指南をしている風景が目に入っていた。
「今日は、随分と覇気が無いな」
「あ〜、徐晃と許チョだもんなぁ。
和やかだよなぁ」
「そうではなくて、貴方の事だ」
「……あ?」
曹操が天下を奪い、この大地を平定した。
それは大変喜ばしい事で、これまでの自分達の苦労も全て報われた
ような気がした。
しかしその次に訪れたものは、もっともっと現実的な事。
文官達は、平定後もしなくてはならない事が山積みで、息つく暇も無い。
逆に武官達はというと、この目の前に居る夏侯淵の状態が良い例だ。
しなければならない事が無いわけではないが、その量は至る所で戦争が
行われていた時に比べれば、差は歴然としている。
「余程、暇なのだな」
「まぁなー、治安はまずまずだし、練兵の当番じゃねぇし、
弓でも射てみるかと訓練場に行けば、惇兄と張遼が使ってたし。
そうなってくると、もうやる事もねぇわ」
「………ふむ、」
暫く司馬懿もその練兵風景を眺めていたが、徐に踵を返すと
また元の場所に戻り竹簡を広げ出した。
「あー、一人じゃ遊びに行く気にもならねぇし、
もう今日は此処でゴロゴロしてるっきゃねぇかな」
貴様は今日一日私の部屋でそうやって転がっている気か!
喉元まで出かかった言葉は寸前で飲み込んだが、その視線と表情は
迷惑極まりないものになっていただろう。
小さく吐息を漏らして、司馬懿が筆を走らせながら言った。
「もう少しだけ待っていろ。
これが一段落したら、相手をしてやる」
「へっ?」
そんな言葉が投げられるとは思ってもみず、夏侯淵が頓狂な声を上げる。
それに少し不快そうな、それでいて仕方のなさそうな、そんな視線を
向けて司馬懿が唇の端を持ち上げるようにして笑った。
「一人では遊びに行く気にもならんのだろう?
だから私が一緒に行ってやると言ってるのだ」
「本当かっ!?」
嬉々として答える夏侯淵に、司馬懿が小さく肩を竦める。
「こんな天気の良い日に、そんな辛気臭い顔を見せられてはたまらないからな」
息抜きもしたかったので丁度良いだろう。
そう言ってやると急に元気が出たようで、夏侯淵が身を起こした。
「じゃあ、釣り行こうぜ釣り!!
準備して待ってっからよ!!」
「ああ、そうだな。頼む」
「そんじゃ、門の所で待ってるぜ」
「了解した」
大急ぎで夏侯淵が部屋を出て行く。
それを見送ってから、司馬懿が竹簡に目を落とした。
「……さて、では早い所これを終わらせないとな」
釣具一式を用意して、夏侯淵は城門から表の街道へと続く石段に腰掛けて
司馬懿を待つ。
ぼんやり頭上を眺めてみると、雲ひとつない空。
「本日は晴天なり、ってか」
「おや、夏侯淵殿?」
声をかけられて振り返ると、馬を引いた姿の張コウが微笑みを浮かべて佇んでいた。
「お出かけですか?」
「ああ、仲達を連れて釣りにでも行こうかと思ってな」
「……おや、とうとう外に連れ出すことに成功したのですか?」
「お、そうだそうだ、お前の作戦通りにやったらさ、
面白いぐらい引っかかったぜ、仲達の奴。
普通に誘ったんじゃ、『仕事が立て込んでいるからな』の
一点張りだったのによォ」
「でしょう?」
くすくすと笑みを零すと、張コウが空を眩しそうに見上げる。
「良かったじゃないですか、今日は丁度天気も良いし」
「だな、こんな日に外へ出ないのは勿体無ぇって」
「ですよね」
隣で馬が嘶いたのに気付いて、張コウが手綱を引っ張る。
「しっかり司馬懿殿を日に当ててやって下さいね。
では、私はこれで」
「あ、張コウ!!」
「はい?」
一礼して立ち去ろうとした張コウが、夏侯淵の呼び声に一度振り返る。
「馬の調練、」
「……は?」
「有り難うな、当番代わってくれてよ」
「いえいえ、これぐらいお安い御用ですよ」
どうせ徐晃殿も仕事でお会いできませんし。
そう言って手をひらひら振ると、張コウは厩の方へと歩き去って行った。
張コウの姿が建物の陰に隠れた頃、夏侯淵はもう一度空へと視線を向けた。
透き通るような青と、輝く太陽が目に眩しい。
こんな日に外に出ないなんて勿体無い。
もう随分長いこと、司馬懿は職務に捕われてしまっていて外に出る事は
無かっただろう。
今朝方、この天気を見て唐突に思いついた。
どうしても外に出してやりたくなった。
そう、どんな手を使ってでも。
例え騙す事になってでも。
「まぁ、連れ出したモン勝ちだよな」
笑みを浮かべて、夏侯淵がひとつ大きく頷いた。
「済まん、待たせたな」
また後ろから声をかけられて振り返ると、普段に比べると随分と
軽装になった司馬懿が立っていた。
「おう、待たされたぜ。
お前珍しいな、そんな薄着してさ」
「この天気だ、普段の格好では暑そうだったからな」
照りつける日差しを鬱陶しそうに見遣って、司馬懿が肩を竦める。
釣具を手に持つと夏侯淵が立ち上がった。
「まぁ、何だっていいや。
とにかく今日は息抜きしようぜ、息抜き」
階段を軽やかに降っていく夏侯淵の後を、ゆっくりと司馬懿が続く。
その顔からは、穏やかな笑みが零れていた。
「ああ、そうだな」
<終>
2009年1月 再アップ。
淵ちゃんと司馬さんの仲良しっぷりが気に入っていた1品。
今読み返すとなんかアラが目立つような……まぁいいや。(笑)
やっぱりこの2人は良いコンビだなぁと思ってみたり。
無双の世界観だからこそ思えることではありますが。