<道標・乱入>

 

 

 

 

廊下を、孫権の居る別邸に向かって徐晃と司馬懿は歩いて行く。
「全く……誰でも良いからいい加減に殿をどうにかして貰いたいものだな」
「ははは……ま、まぁ、そう怒らずに…」
「これが怒らずにいられるか!!」
肩を怒らせながら司馬懿が徐晃の前を歩く。
その歩みが突然、止まった。
「徐晃殿」
「はい?」
「……扉が開いている」
そう言って司馬懿が指差す先を見れば、別邸の扉が開け放たれている。
驚いて徐晃が声を上げた。
「馬鹿な……!!拙者はちゃんと閉めて……!!」
「まさか、孫権が逃げたのではあるまいな…?」
小さく舌打ちして、司馬懿が走り出す。
その後ろをついて走りながら、徐晃が言った。
「少し話をしましたが、そんな素振りは微塵も……!!」
「ふん、所詮は敵側の人間だ。信用できるか」
苛立ちを隠し切れない声音でそう答えると、司馬懿が別邸の中に踏み込む。
そこでは。

 

「あ、お邪魔してますよ」

「全く、最近2人で何かコソコソやってるかと思ったら、コレかよ」

 

寝台に腰掛けた孫権と、傍の椅子に座って微笑む張コウ。
そして、床に座り込んで司馬懿を見上げる、夏侯淵。
「……貴様等、そこで何をしている」
「何って……お話しをしていただけですよ」
「話…?」
入り口に立ち尽くし訝しげに眉を顰める司馬懿の後ろから、徐晃が顔を覗かせた。
「!!……張コウ殿……此処には近付くなとあれほど申しておいたでしょう…」
額に手を当て仕方なさそうに嘆息して、徐晃が部屋の中に入ってくる。
「ええ、近付くつもりはなかったのですけれどもね、此処の窓が開いていた
 ものですから」
窓を指差し苦笑を浮かべる張コウに、徐晃はしまったと顔を歪ませる。
あんまりにも慌てていたものだから、自分でこの窓を開けたのだという事を
すっかり失念してしまっていた。
「ずっと閉まっていたものが開いていると、やっぱり気になりますしね。
 ですが徐晃殿には近付くなと言われておりますし、どうしようかと
 思いあぐねて居たところ、夏侯淵殿がやって来ましてね」
自分の名前を出され、夏侯淵は軽く挙手をして豪快に笑い声を上げた。
「やっぱり、気になるなら確かめておかねぇと。
 だけど驚いたぜ?窓から覗いたらコイツが居てよ」

 

 

流石に孫権の顔を知っていた2人は、すぐに事情を察してその場を離れようとした。
そこに、部屋の内側から声がかかったのだ。
「あの……この国の方、ですか?」
遠慮がちにかかった声に振り向くと、窓際に孫権が立っている。
いくらなんでも出て来られてはまずいと感じた2人は、そっちに行くから奥に入れと
慌てて指示を出した。
素直に従った孫権に、一瞬怪訝そうな顔をした張コウと夏侯淵が顔を見合わせる。
言ってしまったものは仕方がないので入り口に回ると、扉は閉まっていたが
鍵はかかっていなかった。
中に入ると寝台に座った男。
間近で見ると更に確信が持てた。
孫仲謀に、間違いないと。

 

 

「けどよ、話色々と聞いてみたら、何もかもがすぽーんと抜けてるみてぇじゃねーか」
その言葉に、司馬懿が表情を険しくさせて夏侯淵の腕を掴む。
そのままずるずると部屋の隅まで引き摺っていくと、顔を傍に寄せて小声で訊ねた。
「妙才殿、まさか奴に全て教えたわけじゃあるまいな!?」
「へ?」
一瞬、きょとんとした目を見せて、沈黙。
「だから、奴の名前だとか、どういう身分の者だとか、そういう事をだ!」
「ひょっとして…………まずかった…のか?」
遠慮がちに出された言葉に、司馬懿は頭を抱えて重いため息をつく。
「あ、で、でもよっ!!」
慌てて取り繕うように、夏侯淵が早口で捲くし立てた。
「言っちまったけど……あんまり、実感持ててないみたいだったぜ?」
「……記憶を無くしている、ようなのだ……」
「ああ、そんな感じだなぁ」
「どの範囲まで覚えているのかが、問題だな…」
そう呟きながら、視線を後ろに向けて寝台に座る孫権を見遣る。

彼はただ、穏やかに微笑んでいた。

 

 

 

 

目が覚めたらここに寝かされていたわけではあるのだが、気を失う以前の事は
少しだけ覚えていた。
見た事のない男達、あどけない子供のような少女。
それから、目に見えない重圧。
その内の一人の男からは、言いようのない圧迫感を感じた。
傍に居てはいけないという、危機感。
その胸に圧し掛かっていた重苦しいものたちが、今は綺麗さっぱりなくなっている。
それがどういう事を意味するのかは、解らなかった。
だが、この空間が今は心地良くさえ思える。
目が覚めて最初に見た男は、とても堅実そうで良い人に見えた。
慌てて出て行ってしまったけれど、待っていればきっとまた戻って来るだろうと
思った。今は、大人しくしていよう。
そうしている間に、2人の男が現れ窓から覗き込んできた。
一人は、とても綺麗な人。
一人は、とても力強そうな人。
怖いとは思わなくて、踵を返して去って行こうとした2人を思わず呼び止めてしまった。
窓際に近寄って声をかけると、2人はとても慌てたような感じであたふたと戻って来る。
その仕草がまた、見かけによらずだったものであるから。

 

怖くない。
この場所は、怖くない。

 

中に入るから奥に行けと言われて、その通り寝台に戻ってそこに腰掛ける。
2人がやってくるのを待つ間に、深呼吸を3回。
開かれた扉、その向こうに立つ2人に、微笑みかけた。

「こんにちは」

 

 

 

 

<続>

 

 

 

これで役者が揃いました。

……不思議なぐらいコメディタッチなんですけど。

これからどんどんシリアスに傾いていく……予定。(笑)