<道標・処遇>

 

 

 

 

 

「…………あ、」
開いた窓はそのままで椅子に戻ろうとした徐晃が、驚きの表情を見せた。
先程まで眠っていた孫権が身を起こし、自分の方を見ていたからだ。
暫し呆然と孫権の顔を見遣っていた徐晃が、我に返ると慌てて駆け寄ってくる。
「気がつかれましたか?」
「………あ…、はい」
視線を徐晃の方に向けていた孫権も、恐る恐る口を開いてそう答える。
すると。
「………良かった……。
 随分長いこと、眠っておられましたからな」
心底安心したようなため息と共に笑顔で言う徐晃に、孫権も
小さな笑みを見せた。
だが、瞬時にその表情が翳る。
「それで………あの、」
「何でござろう?」
「その……貴方は誰ですか?」
「あぁ、これは失礼した。
 拙者は徐公明と申します」
「あの……それと、もうひとつ…」
「…はい?」
「私は、何という名前なのですか?」

 

「………………え?」

 

徐晃の目が、点になった。

 

 

 

 

 

 

「殿……良い加減に私で遊ぶのは止めて頂けないでしょうか?」
苛々とした表情も声音も隠す事はなく、司馬懿はそう曹操に言う。

 

ぱちり、と一手。

 

「お前ぐらいしか思い当たる奴が居らんでなぁ」
飄々とした態度で、曹操が答える。

 

ぱちり、と一手。

 

「夏侯惇将軍にでも相手を頼めば宜しいでしょうが」

 

ぱちり、と一手。

 

「何を言う。アイツなんぞ弱すぎて相手にならん」

 

ぱちり、と一手。

 

「……確かに、それはそうかもしれませんが、
 私にだって仕事が山のようにあるのですが」

 

ぱちり、と一手。

 

「それは解るんだがな、たまには良いではないか。
 お前にだって息抜きは必要だろう?」

 

う〜ん、と腕組みをして一唸り。
散々悩んだ末に苦し紛れの、一手。

 

「・・・・・・・・・・・・。

 私の仕事が山積みなのは、ご自身が怠けまくっているせいだという
 自覚を、もう少しで良いから持っては頂けぬか!!」

 

ばちん!と痛恨の一手。

 

「………そうは言っても…なぁ?」
困ったように天井を仰いで、曹操がため息ひとつ。
そこへ、天の助け。

 

廊下の向こうから、慌しく走る激しい足音と、その次に。

 

「殿ーーーーーー!!!!
 一大事でございますっ!!!」

 

飛び込んで来た徐晃が目の前の碁盤を蹴倒して、跪いた。
「孫権殿の件で、至急ご報告致したい事が!!」
「………フム、」
ぽん、と片手で膝の上を叩くと、曹操は司馬懿に視線を向けて
勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「司馬懿よ、この勝負は仕切り直しだな!」

 

「・・・・・・・・・・・・。」

 

恨みがましい目つきで見遣る司馬懿に不思議そうな視線で返し、
徐晃は首を傾げた。

 

 

 

 

 

 

別室に移動した3人は、夏侯惇も呼び寄せ声を顰めて話し合っていた。
「なんと……それは本当か!?」
「はい。
 聞けば、自分の名前も思い出せないと……」
一通り事情を聞き終えた曹操が、驚きの声を漏らす。
それにひとつ頷いて、徐晃が答えた。
「とりあえず、何のきっかけで思い出すのか解らぬものですから、
 全てを教えるのは伏せておきましたが……」
「ふぅむ……」
顎に手をやり髭を弄りながら、曹操が唸った。
それにまた、嫌な予感を拭いきれずに、夏侯惇諌めるように言う。
「孟徳、お前また変な事企んでるんじゃないだろうな?」
「私はもう面倒事は御免だ」
その言葉に便乗するように司馬懿もそう呟く。

 

「なぁ、元譲」

 

暫く間を置いて、曹操が夏侯惇の方を見た。
「…何だよ」
「孫仲謀とは、とても聡明な男だと聞いた事がある。
 孫権の持つ統率力と決断力は、親兄弟に引けを取らんと。
 指導者としての器だけなら、親父の孫堅や兄の孫策をも
 遥かに凌ぐものだと聞く」
「ああ……そうだな、それは俺も聞いた事がある」
「儂はな、元譲」
小さく笑みを浮かべると、座っていた椅子の肘掛を指で叩きながら
嬉しそうに言う。
「儂はずっと、あんな息子が欲しいと思っておった」
「……っ、」
その言葉に息を呑んだのは、徐晃と司馬懿。
曹操の発言に慣れている夏侯惇が、他の2人が頭の片隅で想像した
とんでもない事をそのまま口にした。
「…孟徳、お前……孫権を養子にでもするつもりか?」
「いいや、今の所そこまでは考えてはおらん」
「今の所……か、」
「だがな、お前達。想像してみろ」
然程大きくない机を囲むように座る残りの3人をぐるりと見回し、
曹操は不敵とも取れる笑みを浮かべた。

 

「もしも自分の息子、自分の弟が敵国の将として出て来たならば、
 さぞかし孫堅や孫策は驚くであろうなぁ」

 

その言葉に孫権の今後の処遇が全て篭められており、察した3人は
同時に重苦しいため息をつく。
「…孟徳、アイツは将として扱える程の器を持っているのか?」
「次男坊はあまり戦には出て来なかったからな。
 だから、正直そこまでは解らん。それはおいおい見極めていけば
 良いだろう。それを決めるのは、お前達だ」
「………またそんな、押し付けがましい……」
ぽつりと漏れた司馬懿の苦言も聞かなかった事にして、曹操は話を続ける。
「だが、儂個人の意見としては、だ。
 次男坊は戦に出られないほど力量の無い男ではなかったように思う。
 何か……きっと、理由があったのだろう。
 それを知る事ができれば、孫権を使って呉の急所を突く事が
 出来るかもしれんな……」
「呉を、攻略すると仰るのですか?」
徐晃の出した疑問に、それにも曹操は首を横に振った。
「いや、そう焦るでない。今はまだ様子見の段階だ。
 それに、今の状態の孫権が何処まで使えるのかも問題だからな」
「まぁ、ここまでの孟徳の意見は良いとしよう。
 だが…もしも孫権が記憶を取り戻したら、どうするんだ」
夏侯惇の言葉に、曹操がきょとんとした視線を向ける。
「何を言っておるのだ元譲。
 孫権の記憶が戻ったなら、その時は人質として拘束すれば良いだろう?」
当たり前の事を当たり前の様に話す曹操に、夏侯惇はそれ以上
何も言わなかった。
頭の何処かでは解っていたのだ、曹孟徳とはこういう人物なのだと。

 

「それでは、とりあえず今は司馬懿の配下につける事にしよう。
 お前が孫権に知識を与えながら、奴の能力を見極めろ」

 

 

 

 

<続>

 

 

曹操と司馬懿を遊ばせてみました。

何だかギスギスした雰囲気が書いててメチャ楽しいです。(笑)