<道標・隠された人>
廊下で司馬懿と立ち話をしていると、後ろから名前を呼ばれて
徐晃は振り返った。
それに司馬懿も視線をそちらへと向ける。
「……殿?」
角から顔だけ覗かせて、にんまりと笑みを浮かべている曹操は、
ただ手招きをしていた。
「徐晃。それから司馬懿も。
丁度良い所に2人で居ったな。
少しばかり儂について来い。話があるのだ」
そう言って曹操は2人の返事も待たずに歩き出す。
「…………どうされる?」
「どうされる?って………行くしかないでしょう」
司馬懿の問いにそう答えて肩を竦めて、徐晃は後を追って
歩き出した。
こんな時の主君には何を言っても聞いてはもらえないのだという事を
知っているから。
その徐晃の背を暫し見送って、司馬懿は軽く嘆息するとゆっくりと
その後について行った。
曹操の、あの笑みの裏には何か企んでいるのだと。
一抹の不安を心の奥の方に閉じ込めて。
だがしかし、司馬懿の胸の内の不安は確かなものとなる。
「な、な、な……!?」
「………殿……!!」
促されるままに連れて来られた場所は、城から少し離れた所にある別邸であった。
無論、城の敷地内であるので城内である事に変わりはないが。
元々そこは曹操が一人で居たい時に使っていた場所であって、基本的には
誰も訪れる事はない。
日に一度、清掃に来る者ぐらいである。
今、その場所には孫権が匿われていた。
「こ、これは一体どういう事でござるか!?」
未だ目を覚ましていない孫権へと目をやって思わずそう口にする徐晃に、
その部屋で待っていた夏侯惇は曹操に視線を送った。
「…孟徳、お前の人選ってな……」
「何だ、不服なのか?」
心外だとでも言いたげに眉を顰めて、曹操は肩を竦めた。
「そういう訳ではないが……どうして徐晃と司馬懿なんだ」
「お前が言ったのではないか。口の堅い男に看病させろと」
「言っとらん言っとらん」
ぱたぱたと手と首を同時に振って、夏侯惇が答える。
「だが、徐晃は口が堅いし、司馬懿は余計な事を言う男じゃないからな。
どう考えてもこれ以上の人選はないと思うが…?」
「その、司馬懿なんだがな、」
嘆息混じりに夏侯惇が言って、指先を向ける。
その先を目で追うと、怒りで肩を震わせる司馬懿の姿があった。
「……どうした、司馬懿よ?」
「殿…何と言う事をされたのです!!
呉と全面戦争でも起こされるおつもりか!?」
「あぁ、それも悪くないな」
「殿!!!」
「冗談だ。そんなに怒るな」
「全く……蜀の事だけでも手一杯だというのに……。
これ以上面倒事を増やされて、どうされるおつもりなのです!!」
元いた所へ返してきなさいと言わんばかりの形相で、司馬懿は曹操を
睨めつける。
それを止めたのは、徐晃だった。
「まぁ、司馬懿殿。連れて来てしまったものは仕方ないでござろう。
ここまで連れて来ておいて放り出すなんて、そちらの方が人道的にも
どうかと思いますが……」
「……では、徐晃殿はこのまま此処で、彼の面倒を見るという事に、
異存はないと申すのだな?」
「とりあえず……彼の目が覚めるまでは、責任を持ちましょう」
穏やかに微笑んで、徐晃はそう答える。
軽く嘆息して、司馬懿は仕方なさそうに頭を掻いた。
「徐晃殿がそう言うのであれば、仕方ないな」
それに徐晃が困ったような笑みを浮かべると、夏侯惇に事の経緯を聞こうと
向き直った。
「……ちょっと待て。
なんか、儂の時とはえらく態度が違うではないかっ!?」
憮然とした表情で言う曹操に、司馬懿はだが一瞥をくれただけであった。
「なぁ、孟徳……お前が軽率過ぎるだけなんだと思うぞ、俺は……」
夏侯惇の小声の呟きに司馬懿も徐晃も頷いたのは、言うまでもない。
それから、3日ほどが過ぎた。
そっと扉を開けて、徐晃が顔を覗かせる。
中ではまだ孫権が眠ったままだ。
こう長いこと眠りっぱなしでいられると、どこか体の具合でも悪いのかと
心配になってしまう。
「……目が覚めてくれれば良いのだが……」
あの戦のあった場所からは、随分遠い所まで連れて来てしまっている。
もう、あの大河は何処にも見えない。
目が覚めたら、彼は何と言うのだろうか。
寝台の傍の椅子に座り、孫権の顔を眺めて、徐晃は小さく吐息をついた。
「……少し、風を入れるか」
そう呟くと徐晃は立ち上がって近くの窓に近付く。
まずは小さく開いて辺りに人が居ないか確認。
それから大きく押し広げる。
太陽の緩い温もりを纏った風が、徐晃の頬を撫でた。
真昼の太陽の強い光が部屋の中を照らす。
・・・まぶしい。
そう思って、孫権が小さく目を開いた。
<続>
孫権、起床。(笑)