<道標・合流>

 

 

 

 

関兄、関兄なら、こんな時どうするよ?
今なら多分まだ追える。
俺なら目の前のこの男を斬り倒すのは造作もねぇ事だ。
それから、馬を走らせてアイツに追いついて、斬る事も……多分、できる。
けどよ……それでいいのか?
本当に、そうしても構わねぇのか?

 

自分が孫権を斬った姿を想像して、その次に浮かぶものは…。
孫尚香の泣き崩れる姿、劉備の悲しむ姿。
そして……険悪になる呉との関係。
その現状を見て、途方に暮れる………関羽。

 

関羽なら、こんな時には何と言うだろうか。

「急がずとも、機会ならこれから先何度だってあるだろう」

 

……そう、言うだろうか。
所詮は、敵の公務に便乗した戦いなのだから。
何も此処で国の命運を分けなくたって構わないだろう。
「解ったよ、今回は退いてやる。
 お前さんの顔に免じてな」
矛を肩に担いで仕方無さそうに言った張飛に、孫権は深く頭を下げた。
「有り難うございます」
「……実は、俺の仲間が後2人居るんだがな、
 正直、今何処に居るのかさっぱり見当がつかねぇ。
 本来ならとっくに追いついて来ても良いんだが……。
 捜しながら行くつもりはしてるが、あんたらも充分気をつけてくれ」
「え……」
「野獣が一人居るんでな、油断してると気配も無く飛び掛ってくるぞ」
「はぁ……」
「あの野郎の気配を正確に察知できる人間なんざ、俺は一人しか知らねぇ」
そう言って気さくに笑う張飛に、孫権が困ったように首を傾げた。
曖昧に返事をすると、張飛は豪快に笑いながら馬を反転させて兵を退けていく。
「また会おうぜ、孫仲謀。
 それまでにちゃんと、故郷に帰っとけよ」
その言葉に、孫権はもう一度深く頭を下げた。

 

 

 

手綱を握る手が震えている。
彼と話をするだけでこの状態なのだから、剣を交えたとしても結果は
最初から見えていた。
下手をすれば、一刀両断で己の身体は斬り裂かれていただろう。
怖い、の一言ではとてもではないが言い表せなどしなかった。
だがとにかく、彼は退いた。
これでまず一つ目の脅威は去っただろう。
張飛と向かい合った時にはまだ続いていた邸からの矢の攻撃は、
いつの間にか止んでいた。
炎は静まる様子を全く見せずに、邸を呑み込んでいく。
この状態では、じき逃げ場を失ってしまうのは明白だった。
恐らく司馬懿も撤退したのだろう。
残るは張コウの軍だ。
見通しの良くなった街道、だが彼の姿は全く見えない。
放っておくわけにはいかないし、放っておくつもりもない。
吐息を零して孫権が呟いた。

「……待つしかないか」

 

 

 

 

 

 

馬を駆けさせて街道を更に進むと、両側を切り立った崖に挟まれている地まで
辿り着いた。
孫権が言っていた場所は此処の事だろう。
そこを通り過ぎてもう少し進んだ所で、夏侯淵が漸く馬を止めた。
後ろを振り返るが、まだ孫権の姿どころか誰の姿も見えない。
自分の率いていた軍しか居ないという事実を認識した瞬間、ぞくりと背を
悪寒が掠めた。
勘と言ってしまったらそれまでだが、あまり良い予感はしない。
誰も居ない街道の向こう、煙が上がっているのは最初に居た邸だろう。
火矢を放たれていたのは知っていた。
「戻った方が良いか…?」
置いてきた張コウの事も気になるし、孫権と張飛がどうしたのかも、
そして、司馬懿が今何処に居るのすら見当がつかない。
「おいオッサン!!夏侯淵のオッサン!!」
突然降って湧いた声に驚いて、夏侯淵が辺りをきょろきょろ見回す。
誰の姿も見受けられなくて首を捻ると、もう一度聞こえた。
「こっちだこっち、上!!」
「上? …………あぁ!?」
崖の上から手を振っている甘寧の姿に思わず夏侯淵が声を上げた。
「やっと気付いてもらえたぜ」
「ちょっと待て、お前今オッサンとか言わなかったか?あぁ!?」
「今それを問題にしてる場合じゃねぇってば」
「俺にとっては大問題だ!!」
「いやホントそれどころじゃねぇんだよ」
夏侯淵の抗議を手で制して、甘寧が崖上から街道の向こうを見た。
「オッサン、危ねぇからもっと奥へ行ってくれ」
「お前、そこから何が見える?」
「街道を、孫権がこっちに向かってる。
 その向こうは……なんかごちゃごちゃして見えにくいな」
甘寧のさっぱりした声音に少し落ち着いた様子で、夏侯淵が街道の向こうに
目を向けた。
まだ自分の立ち位置では何も見えない。
取り敢えず解った事は、孫権の無事。
恐らく張飛を退ける事ができたのだろう。
「アイツもやるじゃねェか……」
少しホッとしたように、夏侯淵が呟いた。

 

 

 

 

 

 

「………さて、そろそろ良いでしょうか」
自軍の兵にはばらばらに散れと命じた。
そして、できる限り逃げ回れと。
自分は馬に鞭を入れて、とにかく辺りを駆け巡った。
今自分の居る正確な場所は解らないが、街道にさえ出ることができれば
いつでも戻る事ができるだろう。
姜維と、もう一人…仮面をつけた不思議な男は、間違いなく自分を追ってきていた。
何度か戦場を共にした分、姜維の動きは読み易い。
手綱捌きも馬の速さも、どうやらこちらの方が上のようだ。
恐らく相手が姜維一人であったなら、武器を持ち戦っても敗北は無かっただろう。
問題はもう一人の方だ。
「逃ガサヌ……」
「もう、しつこいですよ…っ!!」
仮面の男は気配も無く現れる。
あちこち走り回って撒いたと思ったら、全く想像していない死角から飛び出してくる。
酷くゆるりとした動きの中に、思ってもみない鋭さが見え隠れしている。
こんな相手は初めてだ。
逃げ回るだけではそろそろ限界だろう。
そう思い張コウが進路を街道へと向けた。
夏侯淵は司馬懿や孫権と合流できただろうか。
この2人相手なら、皆が揃えば必ず勝てる筈。
まだ邸の傍で起きた事を知らない張コウは、そう考えただ一心不乱に馬を駆けさせた。
だが、見えてきたものは黒煙を上げる邸と、道々に転がる兵士の屍。
この場所で一戦あった事は一目瞭然であった。
「……何があったのですか、これは……」
半ば呆然としていると、街道の向こうに孫権の姿が見える。
声に出して名前を呼ぶと、孫権が自分を振り向いた。
「張コウ殿、ご無事でしたか!!」
張コウと並ぶように馬を走らせて、孫権が安堵の表情を見せて告げる。
「何事なのですか、これは……」
「伏兵が居たのです」
敢えて誰とは言わずに、孫権がそれだけ言うと街道沿いの谷間を指差した。
「皆、あそこまで撤退しております。
 司馬懿殿がもうひとつ策を練って居たらしくて……。
 とにかく……そこまで何とか逃げ切りましょう」
ちらりと振り返れば、追って来る蜀軍が見て取れる。
もう一度谷間を見遣って、ぐるりと辺りを見回して……張コウがあぁ、と声を漏らした。
「そういう事ですか」
「何がですか?」
「司馬懿殿の考える事ぐらいお見通しですよ。
 孫権殿、貴方は先に行って下さい」
「な、何を言うのですか!?」
驚いて声を上げる孫権に、落ち着いた様子で張コウが片目を瞑ってみせる。
「心配要りませんよ、ただ……このまま彼らを誘き寄せた方が良いと
 思いましてね」
「では、私が……」
「お止めなさい」
顔は微笑んでいたが、はっきりとした強い口調で張コウが言う。
「貴方では無理ですよ」
「ですが……」
「私を信用していないのですか?」
「そういうわけでは、」
「では、お願いですから孫権殿。
 さすがに私も、貴方を守りながらでは難しいのです」
それにぎゅっと唇を噛み締めて俯くと、孫権が小さく頷いた。
確かに、自分では足手纏いになるだけだ。
「必ず……無事で居てくださいよ?」
「勿論ですよ。
 私もこんな所で死ぬつもりは毛頭ありませんからね」
早く帰って私は徐晃殿に会いたいんです。
ぶつぶつと言う張コウにくすりと小さな笑みを零して、
孫権は馬に更に鞭を入れた。
張コウなら大丈夫だと、何故だか強く信じる事ができた。
少しずつ引き離されて小さくなっていく背中に、張コウが穏やかな笑みを浮かべる。
預かりものの次男坊に怪我でもされては一大事だ。
張コウの馬も真っ直ぐに谷間を目指す。
少しずつ、速度を緩めて敵との距離を縮めながら。
諦めて逃げられては困るのだ。

 

「さぁ……しっかりついてきて下さいね。
 地獄へと叩き落として差し上げましょう」

 

軽く目を細めて、張コウが低く笑った。

 

 

 

<続>

 

 

 

うわあ、張コウが悪人くさい。(笑)

まぁ、余り魏の方を正義感ぶらせるつもりも無かったもので。

どっちが敵でどっちが味方かなんて、読む方のお好みの勢力によって
変わってくるものでしょうし…。(苦笑)
ここでは魏国をベースに持ってきているので、蜀が敵に見えるだけです。
蜀から見りゃ、魏が敵です。

そう思えば、多少は悪人くさくなったって構やしないでしょう。(そういう問題か)

 

更にどうでも良い話ですが、今回で『祝・30話』ってやつです。

そろそろ飽きてきた方は撤退した頃ですかね?(笑)

 

ついて来れる方のみ、カモンかもーんvv