<道標・張飛vs夏侯淵>
張コウの事は気にかかるが、だが今は彼を信じるより他に道は無い。
馬に鞭を入れて、夏侯淵は街道をただ真っ直ぐ来た時とは逆に走らせていた。
振り切れたなら、あるいは司馬懿や孫権の加勢を得られたなら、巻き返しも
可能かもしれない。
「くそ……速く……もっと速くだ!!」
ただ、ひたすらに。
「そう急くモンじゃねぇな」
街道脇から声が上がったかと思うと、すぐ横から敵兵の一軍が飛び出してきた。
それを上手くかわして、夏侯淵が眉を顰める。
「てめぇは………」
「以前の決着がまだ着いてなかったもんな。
今ここでケリつけようぜ!!」
兵士達の間を縫って、矛を振り翳した男が馬を突っ込ませてきた。
慌てて夏侯淵が馬を右側へと弾ませる。
「………張飛か、厄介なのが出てきたな」
ぎり、と歯軋りをさせて夏侯淵が張飛に視線を送りながら尚も馬を走らせる。
ここでこの男とやり合うのは賢明ではない。
もたもたしていると、張コウが引きつけているあの2人にも追いつかれてしまう。
合流されたら、負けはこちらの方だ。
「今てめぇと喧嘩してる暇はねぇんだよ!!
余所当たれや、余所っ!!」
そう怒鳴り散らして、夏侯淵は馬に鞭を入れた。
引き離さなければ。
「逃げる気か!?
夏侯妙才も大した事ァねぇな!!」
挑発に乗るな。
怒りを顕にするな。
己に言い聞かせつつ、夏侯淵は言い返す事なくただ真っ直ぐに馬を駆けさせた。
「………来ました!!夏侯淵殿の軍です!!」
「妙才殿だけか……!?
あの阿呆はどうした!!」
苛ついた声音で司馬懿が邸の2階から傍の街道を見遣る。
土煙を上げながら先頭を走る夏侯淵の操る馬と、兵士と、その後ろは
こちらの軍と同じ様相をしているが、間違いなく敵軍。
「居ないものは仕方無いな。
夏侯淵軍の援護をする。弩兵、前へ!!」
号令と同時に弩を構えた十数人の兵士が、2階の窓の縁に二重に並んで隊列を組み
夏侯淵の後を追う一軍に狙いを定める。
ギリギリまで堪えて、矢が届く範囲内に入るまで待って。
「放て!!」
司馬懿の声が、邸内に響いた。
焦る心は抑えられる。
だが、馬がもう限界だった。
全速力で休み無く走らされ、少しずつだが速度が落ちているのが見て取れた。
もう、余り長く保ちそうにない。
「やべぇな……」
苦く呟いて、夏侯淵が弓を手にした。
もう、逃げるだけでは勝てないかもしれない。
走る馬をそのままに後ろ向きに跨り直して、弓に矢を番えた。
馬上の弓は苦手ではないが、必要な集中力が、まだ足りない。
「………当たれよ……?」
真っ直ぐ狙いを張飛に向ける。
届かない距離ではない。
これで距離を稼ぐ事ができれば、まだ道は開けるだろう。
ゆっくり引き絞って、狙いを定める。
だが、そこへ天の助けとでも言うように空から矢が降ってきた。
「な……何だっ!?」
驚いて嘶く馬を慌てて宥めながら張飛が視線を矢が飛んできた方向に向けた、その瞬間。
頬を、夏侯淵の放った矢が掠めた。
ゆっくりと張飛が顔を前方へと向ける。
その目は、明らかに怒りで燃えていた。
「てめぇ………」
「次は、当てるからな」
狙いなら誰にも負けない自信はある。
「調子に乗るな!!」
激昂した張飛の肩に矢が突き刺さる。
「!!……って…ぇ……」
「当てるって言ったろ」
もう一本、と弓を番える夏侯淵を見て、張飛が唇を噛み締める。
挑発に乗るな。
怒りを顕にするな。
この勝負は先走った者の負けだ。
刺さった矢を引き抜いて、張飛が血の流れる肩を押さえた。
「当たらずとも、牽制できれば良い。
矢を絶やすな!!」
司馬懿の号令の下、弩兵達が一心不乱に矢を放つ。
その邸に、急にざわめきが起こった。
階下で誰かの叫ぶ声が聞こえてくる。
「………何事だ?」
訝しげに司馬懿が眉を顰めるのに、孫権が様子を見に行こうとした時。
階下で待機していた兵士が転がり込んできた。
「報告します!!
火矢が……火矢が放たれています!!」
「何だと…!?一体どこから、そんな………、
…いや、最初からこの場所も狙われていたと考えるべきか。
我々を燻り出すつもりだな……」
「司馬懿殿、我らも早く此処から脱出しないと…!!」
「だが、まだ妙才殿の軍が……」
孫権の言葉に、司馬懿が外の様子を伺って躊躇する。
少しずつ、階下から煙が立ち昇ってきている。
確かに早く逃げなければ、煙に巻かれて炎に焼かれてここに居る者達も危うくなる。
だが、まだ夏侯淵の軍は追い詰められているし、張コウの軍の姿も見えない。
どうする?
どうすれば良い?
胸の内で反芻して、司馬懿が意を決したように孫権を呼び寄せた。
「………孫権殿、最後の手段だ」
<続>
ぬああああ。
格好良く書きたいのに書けないところがかなりジレンマ。