<道標・交錯する策>

 

 

 

姜維はとても有能な才を持つ男だった。
育て上げれば、きっと自分の右腕になったに違いない。
だが彼は……負けてしまった。
周囲の、冷たい視線に。
羨望と妬みと嫉みの入り混じった、痛い視線に。
自分のように毅然と振舞うには、彼は余りにも優しすぎたのだ。
居場所を無くして途方に暮れる彼を放っておく事などできるわけでもなく、
司馬懿には姜維を解放してやる事しかできなかった。

 

「此処には、私の居場所は無いのです」

 

そう、零すように言った姜維は沈んだ瞳で、よく空の遥か遠く向こうを
見つめていた。
そんな彼にある日、司馬懿が言った。

 

「姜維、一度だけ機会をやろう。
 その時に何をどう判断してどう行動するかは、お前の好きにすれば良い」

 

そうして起こった天水での戦いで……。

 

「結局、奴は蜀へと降った。
 今はもう敵でしかなく、立ちはだかれば迷う事無く排除もしよう。
 だが……唯一の問題は、」
「彼がこちらの情報を色々と知っている…という事ですか?」
「察しが良いな」
背を向けていた司馬懿が、再び孫権の方へと向き直る。
「今、奴と向き合うのは余り賢い選択とは言えん。
 あの2人が上手く切り抜けてくれる事を祈るが……」

 

 

 

 

 

 

下っ端の賊達は連れてきた自分の兵に任せ、夏侯淵と張コウは頭領を狙うべく
根城の最奥へと向かっていた。
こういう山賊討伐はよくある事で、手際も充分熟知している。
雑魚には構わず一気に頭領の首を落とす、それで終いだ。
ただ今回、普段と違ったのは…。
「頭領は討ち取った!!
 略奪したものは速やかに回収、村へと運べ!!」
それに周りの兵が急にざわめき出す。
瞬間だった。

 

「夏侯淵殿!!伏せて!!!」

 

張コウが、叫んだ。
反射的に身を沈めた夏侯淵のすぐ頭上を、薙刀の刃が掠める。
張コウに視線を向けた夏侯淵も、怒鳴った。
「後ろだ、張コウ!!」
膨れ上がった殺気に張コウが慌てて身を翻す。
自分に向かって振り下ろされた槍を、己の鉤爪でどうにか受け止める。
相手を見て、張コウが声を上げた。
「…………貴方は!!」
「貴方達の命、今ここで頂戴します!!」
「く……」
切っ先を弾いて張コウが夏侯淵の背を庇うように立った。
どうにか立ち上がると、夏侯淵も剣をもう一人に向ける。
もう一人は、仮面をした男。
どこまでも冷たい雰囲気が漂っている。
殺気以外の感情は見当たらない。
「………何だ、コイツ……?」
「………………死ネ」
よく周囲を見れば、周りの兵も皆こちらに武器を向けている。

 

全員、敵か。

 

眉を顰めて夏侯淵が小声で張コウ言った。
「おい、こいつはやべぇぞ。
 コイツら蜀軍だ」
「そのようですね……懐かしい顔を拝見してしまいました」
「どうするよ?」
「どうするって………此処を出るしかないでしょう。
 姜維殿の方はどうにかなりそうです。
 ここから崩しますから……とにかく、外へ出るしか、」
「それしかねェか……」
ちらりと視線を交わして、頷き合う。
それが合図だった。

 

 

 

 

 

張飛は一人、別目的で動いていた。
部隊を引き連れ、山賊の根城から少し離れた所で兵を止めた。
小高い丘に位置するその場所からは、すぐ目下に走る街道が一望できる。
そこで待機をして、別働隊を呼び寄せた。
「よし………行け」
その言葉に頷くと、十数人の男達が弓を携え走り出す。
それを見送って、張飛が視線を今姜維達が居る方向へと走らせた。

 

負ける気はしないが、どこか落ち着かない。

 

それは、張飛が数多くの戦場を乗り越えて培ってきた勘そのものであり、
余り良い感情ではなかった。
何処か、思わぬ出来事が待ち受けているような、何か、重要な事を
見落としているような、そんな。
「…………好かねぇな」
表情に苦渋を滲ませて、張飛は自嘲じみた笑みを見せた。

 

 

 

 

 

 

張コウが傍の扉を蹴破ると、そこから2人外へと転がり出る。
それを追うように姜維と魏延も飛び出してくる。
剣を構え、夏侯淵が先に出た張コウに言った。
「馬だ!!」
「任せて下さい!!」
手摺を乗り越え張コウが崖下の地面へと降り立つ。
見回せば、自軍の格好をした兵士達が居るが……恐らくこれらも全て敵だろう。
その余りにも良すぎる手際に一瞬背筋をぞくりとさせたが、張コウは目的の
ものを探して辺りを見回した。
「…………逃ガサヌ」
薙刀を振り翳し向かってくる魏延に、夏侯淵が立ち向かった。
「そう簡単にはいかねェぜ!!」
振り下ろされたそれを渾身の力で受け止める。
その脇を姜維がすり抜けようとしたのに、夏侯淵の目が鋭くなった。
「させるか!!」
「グ……ッ」
魏延の腹に蹴りを入れ、よろめいた隙に剣を姜維に向けた。
「…………っく!!」
金属のぶつかる音が響き、火花が散る。
その間に張コウは、下で待ち構えていた敵兵を牽制しつつ、騎馬兵へと近付いて
兵士を馬から引き摺り下ろした。
「すみませんね、借りますよ」
しっかりと二人分。
馬に跨りもう一頭の手綱をしっかりと握ると、張コウが上で敵を食い止めている
夏侯淵に向かって叫ぶ。

 

「夏侯淵殿!!
 右三十度、六尺!!」

一瞬の間、夏侯淵が手摺から飛び降りてきた。

 

突然上からやってきた衝撃に馬自身が驚きの嘶きを上げたが、
寸分の狂いも無く夏侯淵がもう一頭の馬へと跨り手綱を握る。
「何ダト……!?」
上から見下ろした魏延が驚きの声を上げる。
姜維も感嘆の声を漏らした。
「さすが夏侯淵将軍………お見事、」
「ドウスル………、伯約?」
「追いますよ、勿論」
どこか挑戦的な視線を向けて、姜維が小さな笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

「散れ!!撤退だ!!」
夏侯淵が声を上げながら馬を走らせる。
その後ろを同じように馬を駆けさせて、張コウが声をかけた。
「夏侯淵殿、一緒に逃げても追われるだけです。
 分かれませんか?」
「………それが良いかもな」
「では夏侯淵殿、先に行って下さい」
「あ??何で俺が……」
「だって、貴方の方が疾いでしょう?
 先に行って司馬懿殿に報せなければ……」
それに思い出したように、夏侯淵が小さく舌打ちを漏らした。
「仲達の奴、多分こうなること知ってやがったぜ」
「でしょうねぇ」
「言ってくれれば良いのによォ、ったく……」
「まぁ、過ぎた事を言っても仕方ありませんしねぇ」
呑気に言いながら、張コウが後方を振り返った。
率いるのはあの2人だろうか、後ろから追ってくる一軍が見える。
「司馬懿殿は帰ってから苛めるとして、今は撤退の事だけ考えましょう」
「………そうだな。
 んじゃ、お先に失礼するぜ」
「迅速に頼みますよ」
笑う張コウに、夏侯淵が心配そうに振り返った。
「………張コウ」
「はい?」
「逃げ切れよ」
「任せて下さい」
自信有りげに答える張コウに満足そうに頷くと、夏侯淵は馬に鞭を入れた。
一刻も早く、司馬懿の元へと行かなければ。
その背を見送ってから、張コウが少しだけ馬の速度を落として背後を見据える。

 

「さぁ………早くいらっしゃい」

 

艶やかに、嘲った。

 

 

 

 

<続>

 

 

 

戦場って、落ち着くなぁ……。(危ない発言)

 

命ギリギリの所で駆け引きする、その緊張感が好きです。
人間業とは思えないコトをやってのける武将達が、格好良いです。

つか、格好良い武将達を書きたいです。