ならば、命を、賭けてみるか?
皆を生還させる、道を。
<道標・討伐戦>
「まぁ…周囲の治安を守るのも、大切な任務なのでしょうけれど、ね」
「何も、お前が来なくったって……」
困ったように吐息をつく張コウと夏侯淵を一瞥して、司馬懿が邸から外を見遣った。
「確かに、単なる賊退治ならば貴様等に任せるのだが……妙な噂を耳にしてな」
「噂、ですか?」
「……確証がないので、まだ何とも言えんが……もしかしたら、
思わぬ伏兵が居るかもしれん。
各々方も、充分注意してくれ」
「賊程度に負けると思ってんのか?俺らが??」
「相手が賊だけならば、楽勝だと思っている」
「どういう意味………です?」
「だから、確証が無いと言っておるだろう」
無表情のまま、司馬懿がそう言って2人を振り向いた。
「2人とも、今回は撤退の可能性も考えて、動いてくれ」
魏の領内でも端の方に位置する地で、山賊が略奪を繰り返しているという報が
入ってきた。
見て見ぬフリをするわけにもいかず、司馬懿が張コウと夏侯淵を連れて
この地までやってきたのだ。
勿論、孫権も連れて来ている。
山賊退治に然程兵を割くことも無いと考え、精鋭のみを引き連れた小部隊だ。
無論、山賊だけを相手にするならば、それで充分な対応と言える。
だが司馬懿の耳に、伝令からの妙な情報が入ってきた。
この討伐の機に乗じて、将の命を狙っている輩が存在する、と。
それも、この国の人間ではないのだと。
ならば考えられる可能性はひとつだけだ。
拠点とした邸の2階に上がり、討伐に出発しようとする夏侯淵と張コウの姿を
司馬懿が複雑な目で見送っていた。
何事も無ければ、良いのだが。
「あの一件から、司馬懿殿も妙に慎重になってきましたねぇ…」
「まぁ…気持ちも解らんでもないんだがなぁ。
もう少し、俺らの事も信用してくれたっていいだろうが、なぁ」
「でも、少しひっかかりますね。
伏兵……と、申しましたか、司馬懿殿は」
馬を進めながら張コウと夏侯淵が呑気に会話を進めている。
己の実力を知っているからこそ、の余裕だ。
拠点とした邸を出てから二里と少し。
山賊の拠点ももうすぐだ。
「………煮えきらねぇな」
「そうですね」
顔を顰めたままで夏侯淵が唸るのに、張コウが途方に暮れたような表情を見せる。
「夏侯淵殿」
「あん?」
「早く仲直りして下さいよ」
「別に喧嘩なんかしてねェよ」
避けたいわけじゃない。避けられたいわけなんかじゃない。
「………さて、とりあえず話はこの辺にして、気持ちを切り替えましょうか」
「そうだな。
お前等も準備はいいか!?」
山賊の拠点となっている屋敷の少し手前の茂みで馬を止め、夏侯淵は後続の
部下を振り向いた。
武器を携えた若者達が、大きく頷く。
「よっしゃ、さっさと終わらせて帰ろうぜ」
剣を持った腕を軽く振って、夏侯淵が笑みを浮かべた。
山賊の根城へ赴く魏軍の部隊を葉の生い茂る木の上で眺めながら、
男達が顔を見合わせ頷く。
暫くして響き出した剣戟の音を合図に、その男達を始め無数の兵士が
次々と姿を現した。
全てが地に降り立ち隊列を組むと、少人数の部隊が3つ、出来上がった。
それらを率いているらしい3人の男達が、集まって言葉を交わしている。
「…………マダ、カ」
「もう少しですよ。
機会は一度きりですから、隙を見極めなければ……」
「でもよ、早いことやっちまわねぇと向こうの戦闘が終わっちまったら
元も子もねぇだろ?」
「ええ。静かに前進しましょう。
彼らに隙ができた時を、決して見逃してはなりませんからね」
元々、魏国に属していた自分には彼らの行動は手に取るように想像できる。
にこりと笑みを浮かべて、男がもう一度念を押すように言った。
「決して、悟られないように。
迅速に……そしてなるべく自然に、彼らの軍に合流します。
あとは、流れに従って下さい。
お願いしますね、魏延殿」
「………任セロ」
「では張飛殿、後の事は頼みます」
「おう、お前等もしくじってんじゃねぇぞ?」
にっと笑みを見せて、張飛が2人の肩を軽く叩いて踵を返した。
山賊の根城とは別の方向へと張飛の跨る馬が走り、それに続くように一部隊。
それを見送ってから、残りの二部隊が山賊の住まう場所へと向かって
進み出した。
魏兵の纏う鎧を身に付け、蒼い軍旗を掲げて。
狙うは、魏将・夏侯淵と張コウの命。
帰りを待つしかない、この時間が孫権にとって一番の苦痛を伴う時間である。
ただピリピリした空気を身に纏い、司馬懿は邸から見える山賊の根城を
睨みつけるように見据えていた。
彼には一体何が見えているのだろうか。
自分などより二手も三手も先を見るこの男の考えは、ちょっと頭を悩ませただけでは
到底計り知る事はできなかった。
「………あの、司馬懿殿」
「何だ?」
思い切って声をかけてみれば存外落ち着いた声で返答があって、ホッとしたように
孫権は口を開いた。
「お聞きしても宜しいですか?」
「………何が知りたい?」
「司馬懿殿が先程から気にしておられる、伏兵とは一体、何なのです?」
「ああ………そうだな」
外の景色から視線を外し、司馬懿が孫権の方を振り向いた。
「貴方には話しておいても良いだろう」
「何か……不安に思われる事でもあるのですか?」
「不安…か、」
孫権の問いに何処か自嘲じみた笑みを見せ、司馬懿が答える。
「今回の戦、裏で蜀が一枚噛んでいるらしい」
「蜀が……!?」
眉を顰めて孫権が問い返すと、司馬懿が小さく頷く。
「正直……どこまで本当か解らない。
確証は、無い。
だが………恐らく奴らは来るであろう」
「根拠はあるのですか?」
孫権の質問にちらりと一瞥をくれた後、司馬懿が再び外に目を向けた。
ぽつりと呟くような、返事。
「………勘だ」
普段冷静に状況を見て判断する男とは思えない程の、投げやりな答え。
それに些か驚きを隠す事が出来ず、孫権が目を丸くして見遣った。
「そんな……それじゃ、その情報自体が虚偽かもしれないという可能性も……」
「もちろん、充分に有り得る。だから彼らには何も言わなかった。
だが……今はそれを少し後悔している」
言っておけば、忠告しておけば良かった、と。
伝令から受け取った書類には、一人の男の名が記されていた。
それが司馬懿の不安をより一層掻き立てた。
「…………孫権殿が此処へ来るよりも、もっと以前の話だが、」
「はい?」
外に目を向けたままで、司馬懿がゆっくりと言葉を紡ぐ。
それを妨げる事も無く孫権は次の言葉を待った。
「我々の国に属していた者が一人、蜀へと降った」
「………?」
「正確には、私が逃がしたようなものだが」
「…………一体、何を………」
「昔話だ」
司馬懿の声音には抑揚が無い。
背中を向けている彼の表情は窺い知ることはできないけれど。
「その者の名は…、姜伯約という」
何処か感情を必死に押し殺しているような、そんな気が、して。
<続>
第2戦がスタートです。
とはいえ、今回は長引かせるつもりはありません。
書きたい事は決まってるし、目的も決まってるし。
やっと姜維が出せたよ〜〜〜魏延も出せたよ〜〜〜!!
良かった………!!(ホッ)