<道標・未来>
「張遼、起きてるか」
乱暴に扉を開けて、夏侯淵が顔を覗かせる。
それにあからさまに眉を顰めて、見舞いに訪れていた夏侯惇が声を上げた。
「淵、お前もう少し静かに……」
「ありゃ、惇兄来てたのか。
張遼は?」
「……見ての通りだ」
そうして寝台を目で指すと、そこではまた眠っているのだろう、
目を閉じた張遼の姿があった。
「惇兄は何してんだ?」
「俺か?さっきまで孫権がずっと看病してくれてたんだが、
少しくたびれていたようだったからな、暫く休ませてやろうと
思って交代したんだが」
「侍女に看病させねぇのか?」
「この傷は…さすがに女には酷だろう。
まぁ、そんな入り口に突っ立っていないで、入ってきたらどうだ」
「おう………って、こら仲達!!逃げるな!!」
ぐるりと首を廊下の方に向けてなにやらばたばたしている夏侯淵を珍しそうに見遣り、
夏侯惇は傍らの張遼に視線を戻した。
「文遠、騒がしいのがやっと来たぞ」
眠ったままの張遼の顔から、苦笑が零れたような気が、した。
無理矢理引き摺るかのように連れて来られて、目の前に張遼の姿があって。
少し眉を顰めたまま、司馬懿はただ、そこに佇んでいた。
確かに夏侯淵の言う通りなのだと、頭の片隅で解りかけてはいるのだ。
己を責めるなと、皆が言うのも同情などではないのだと、そのぐらいは
感じ取る事はできる。
何が自分をこうまでさせるのか。
もう少しで手が届きそうなのに、それを拒絶している自分が居る。
「…………悔しいのか」
突如聞こえた声に、司馬懿が身を固くして目の前を見遣った。
いつの間に目が覚めていたのか、張遼が薄く目を開いて自分を見ている。
「……張遼殿……」
「何もできなかった己が、そんなに悔しいか」
「な、何を……」
唐突すぎるその言葉に返答する術も見つからないままで、司馬懿が唇を結んだ。
「張遼……良かった、思ったより元気そうじゃねぇか」
目を開くなり饒舌に話し出した張遼に、夏侯淵が少しホッとした笑みを浮かべる。
それに目元だけで微笑んでみせて、張遼は視線を司馬懿に戻した。
「過去の事など振り返るだけ時間の無駄だ。
それで私の怪我が治るわけでもないしな。
ならば、これから先このような事が起こらないような
策を練ってもらえた方がまだマシだ」
「………」
何も答えない司馬懿に、張遼が。
睨むような、挑むような、そんな視線で。
「自惚れるなよ、司馬仲達。
自分の命の使い道ぐらい、自分で決める」
畳み掛けるように言うと、唇を噛み締めたまま暫し俯いていた司馬懿が、
急に踵を返して部屋を出て行った。
それを呆然と見ていた夏侯惇が、苦笑を浮かべて張遼を見遣る。
そして、同じく困ったような表情の、夏侯淵。
「………言い過ぎじゃないか、文遠?」
「と、俺も今ちょっとそう思った」
夏侯惇の言葉に続けて、夏侯淵も苦笑を滲ませて言うと張遼を見た。
「まぁ、間違った事は言ってねぇけどさ。
あれじゃあ、仲達の立場がないだろ」
「そういう割には、後を追わないのだな、夏侯淵殿」
「……アンタが正しいと、思っちまったからな。
それに………俺が追って行っても、何言ってやれば良いか解んねぇし…」
そう言っていると、扉が叩かれ一人の男が顔を覗かせた。
「あの……」
「お、孫権!」
「先程、廊下で司馬懿殿を見かけましたが……何かあったのですか?」
「…………ふむ、」
髭を弄りつつひとつ頷くと、夏侯惇が入り口に立って孫権の肩を叩いた。
「やはり、軍師の思う事は、同じ軍師でしか分かり合う事などできんのかもしれん」
「………はい?」
夏侯惇の言う事がいまいち掴めず、孫権は不思議そうに首を傾げた。
城内に姿が見えなくて敷地の外に出ると、すぐに司馬懿の姿は見つかった。
川のせせらぎを見つめ、ただじっとそこに立ち尽くす司馬懿の背に、
孫権はそっと、声をかけた。
「司馬懿殿、捜しましたよ」
「……何か用でも?」
また黙られるかと思っていたが、意外としっかりした口調で返事は返ってくる。
ただ、明らかにその声音は、何者をも拒絶していた。
「司馬懿殿、もうじき日も暮れます。
この季節、夜は結構冷えますから……。
風邪などを召される前に、城内にお戻り下さい」
「………もう少し、したらな」
素っ気無い言葉に困ったような笑みを浮かべると、孫権は司馬懿の隣に立ち
川の流れに視線を向けた。
この川は、どこに続いているのだろうか。
自分の、故郷だろうか?
そう思いながら見ていると、隣に立つ司馬懿がゆっくりと口を開いた。
「……私は時に、この国の軍師で居る事が、この上もなく嫌になる時がある」
何も答えず、ただ頷いて孫権は次の言葉を待つ。
「皆、生きる事と勝利する事を同列には考えていない。
この国の未来を考えて、皆、生きる事には無頓着になる」
「それは……」
「いや、きっと死ぬつもりはないだろう。
そんなつもりで戦場に立っているわけではないだろう。
だが、ああして簡単に命を懸けられる彼らが……、
少しだけ、羨ましいと思った」
「………」
「私も剣を振るって戦える身ならば、彼らと共に並ぶ事ができただろうか」
「司馬懿殿……」
大体の話は全て、夏侯惇から聞いてきた。
本来は自分が口を挟むべきでないとは思っていた。
それでも、もし司馬懿の悩む先が過去ではなく未来に向けられているのなら。
「司馬懿殿……未来の戦場を恐れているのですか?」
「……孫権殿…?」
「これから先の戦争で、誰かを失う事を恐れているのですか?」
「………」
「ならば、貴方が守れば良い。
誰も死なないような、傷つかずに済むような、そして勝てるような。
そんな策を立てれば良い。
もしそれでも誰かが傷つくのならば、貴方が命を賭して救えば良い。
…………そう、私は思うのです」
「途方も無い事を、簡単に言ってくれるな」
思わず笑みが零れ出て、司馬懿が空を見上げた。
東から少しずつ、夜に侵食されていく。
司馬懿の言葉に笑ったのは、孫権だった。
「その途方も無い事でお迷いなのは、貴方でしょう?」
司馬懿が視線を動かして、孫権の顔を見遣る。
彼の持つ蒼い双眸が、真っ直ぐ自分を見ていた。
この目は、人を動かす目だ。
「………孫仲謀……か」
「はい?」
「いや、何でもない。
そろそろ冷えてきたな。戻るか」
「そうですね」
踵を返して城門に向かって歩き出す司馬懿の後ろから、
どこか安堵したような笑みで、孫権もついて歩く。
「……孫権殿」
「はい?」
「すまないな」
「………いいえ」
にこりと微笑んで、孫権が答えた。
城門で、徐晃が2人を待っていたようで、姿を見るや否や慌てたように
走って来た。
「徐晃殿、どうされた?」
「司馬懿殿、すぐに謁見の間へ。
急いで下され」
「………?」
それ以上の説明も無く先に立って歩く徐晃の背を眺め、
司馬懿と孫権は顔を見合わせると、不思議そうに首を傾げた。
<続>
何だか微妙に消化不良。
その内書き直すかもしれませんが…。(汗)
今はこれが精一杯かも。文才ナッシングですな。