<道標・降将と、次男坊>
初めて孫権の顔を見たのは謁見室での事だった。
降将として孫策に連れられて挨拶に回り、最後に立ち寄ったこの場所で、
孫権の顔を初めて見たのだ。
「お、仲謀!何だ、こんな所に居たのか。
捜したんだぜ〜?」
「………兄上、ご無事で戻られて何よりです」
ホッとした笑みを浮かべて孫権が言うと、その頭をぐりぐりと撫でてやりながら
孫策が笑う。
それから、ふと気が付いたように、自分の方を見て。
「そうだそうだ、仲謀。
新顔が入ったから、紹介して回ってたんだ。
お前も名前ぐらいは知ってるだろ、甘興覇だ。
興覇、コイツ、俺の弟の孫権だ。孫仲謀。
ちょっと引っ込み思案な所があるヤツだが……仲良くしてやってくれな」
そう言われて、孫権がじっと甘寧を見遣る。
探るように、測るように。
その視線が、ふいに和らいだ。
「……孫仲謀だ。これから、この国のために尽力してくれ。
頼りにしているぞ?」
「…………っ、は、はい。それはもちろんです。
こちらこそ、世話になります」
そう言って一礼するのが甘寧にとってはやっとだった。
彼の瞳から、目が離せなかった。
空の蒼よりは、もっともっと深い、青。
自分の愛する、河の色。
そんな不思議な目を、孫権は持っていた。
この目は、捕われそうになる。
「おい、興覇。何ボーっとしてんだ?
挨拶回りが済んでもまだまだするコトがあるんだからな。
お前の部屋の事だとか、兵の事だとか。
次行くぞ、次!!」
それに漸く我に返って、甘寧が慌てて孫策の後を追う。
廊下を歩きつつ甘寧が振り返るようにちら、と視線を後ろに向ける。
その耳に、孫策の声が聞こえた。
「仲謀が気に入ったか?」
「え、あ、いや……そういうんじゃ……」
「アイツは、難しいぞ」
「は……?」
言ってる事の意味を理解できず、甘寧が眉を顰める。
謁見室からだいぶ離れた所で孫策が足を止め、甘寧を振り返った。
「アイツは、人の痛みをモノにする」
「………」
どう反応して良いか解らず、少し困った顔で甘寧が黙った。
「敏感だ、と言っちまえばそれまでなんだけどな、
人の傷ついているところを見る度に…酷く悲しんで、
それから自分を責めやがる。追い詰める。
勿論、仲謀のせいなんかじゃないのに、だ。
でもアイツには、どう言ったって駄目なんだな、コレが」
そう言って軽く肩を竦めて孫策は苦笑した。
「全く……困った弟だろ?」
と、一言漏らして。
「そんなもんだから、最近は戦場にも連れて行けねェんだ」
「……ああ、だから、」
甘寧は、孫権の姿を見た事がなかった。
戦場をいくつも渡り歩いて、孫堅や孫策、あまつさえ孫尚香の姿まで見られたのに。
次男の孫権の姿は、どこにも見られなかった。
「だけど、戦場で剣振るうより、内側で書類と格闘してる方がアイツらしいからな、
別にそんな事は問題じゃねェ」
孫策は手摺に凭れると遥か頭上の空を見上げる。
蒼は、いつも弟を連想させた。
「……ここに居る連中は、みんな仲謀を大切にしてくれる。
兄弟って贔屓目抜きにしても……アイツは、優しすぎるぐらいに優しいヤツだから。
だから……仲謀に近付きたいなら別に止める気はねぇが……ひとつだけ、
条件がある」
「…………」
「アイツの前では決して争うな。そして、傷つくな」
何も答えられないまま、ただ黙って…半ば呆然としたまま、甘寧は孫策の顔を見遣った。
「それさえ守れるなら、あとはお前と仲謀の問題だから、好きにしていい」
最後にそう言って締め括って、孫策は人好きのする笑みを浮かべた。
廊下を涼しい風が吹き抜ける。
だが、甘寧の握り締めた拳の内側は、とても熱かった。
「俺は………」
惚れたとか、そういうのでは無いと思う。
そもそも自分は孫権の事を殆ど知らないのだから。
だけど、願わくば。叶うならば。
「俺は、争う気はないし、傷つくつもりもない」
願わくば、もう一度あの瞳を見てみたい、と。
「………そうか」
そうとだけ答えて、孫策は満足そうに笑みを浮かべた。
大河のほとりで仲間達を集め、甘寧は自分の考えている事を口にした。
流石に突拍子もない事に、仲間内でどよめきが起こる。
「……俺が勝手に決めた事だ。ついて来いとは言わねぇ。
後の事は周泰に頼んであるから、残りたい奴はそうしてくれ。
ただ……俺は、一人でも行く。それはもう決めた」
さほど多くはない仲間達に向かって、甘寧はそうきっぱりと言い放った。
それに、意気込んだ仲間の声が、聞こえた。
「俺は、兄貴について行くぜ!」
「そうだな、俺も行くぞ」
「俺達は兄貴の部下なんだ。
兄貴について行かなくてどうすんだ、なァ?」
次々と聞こえた声が、甘寧の胸に揺さぶりをかける。
「兄貴が何処に行こうと、俺達は兄貴についてくぜ!!」
大きな歓声になり、そこにいた全員が両腕を上げた。
甘寧の顔にも笑みが宿る。
「すまねぇな、恩に着る」
「出発は?」
「すぐにでもだ、準備を急げ!!」
「へいっ!!」
元気よく返事をして、仲間達は右へ左へ忙しく動き始める。
その様子を陸で眺めて、満足そうに頷いた。
これでいい。
これで、いいんだ。
言い聞かせるかのように胸の内でそう唱えて、甘寧は船に乗り込んだ。
<続>
これでオチが読めちゃった人は何人ぐらいいるんだろう。(笑)
甘寧と孫権の出会いを書いてみました。
その後ラブになるまでにはまだちょっと間があるんで、
その辺りの話は番外編っぽく、また50のお題とか使って
書いていきたいと思います。
次からはまた、舞台は少し魏に戻ります。
あっち側でもまだまだ波乱は盛り沢山です。(ニヤリ)