<道標・妹の手紙>
妹から、手紙が届いた。
それは、弟が居なくなって半年ほど経った、ある日の事だった。
「………伯符、」
縁側に面した自分の部屋で寝転がっていると、戸口から声がかかった。
「おう、公謹か。入れよ」
その言葉に素直に周瑜が従う。
妹からの書簡を机の上に無造作に放って、大の字に寝そべった孫策は
何をするでもなくただぼんやりと天井を見上げていた。
「伯符、尚香の手紙は読んだのか?」
「……まぁ、途中までな」
手紙と呼ぶには随分と長いそれに目を通すことを途中で断念した孫策に、
周瑜は軽い吐息を漏らす。
「まぁ、時間がかかっても良いから、最後まで読む事だ」
「………ああ、気が向いたらな」
乗り気でないその様子に、周瑜が僅かに眉を顰める。
こんな時の孫策の考えている事は、今ひとつ掴めない。
「伯符、どうするんだ?」
「何がだよ」
「仲謀の事だ」
「………」
単刀直入に問われれば、上手く誤魔化す事ができない。
仕方なく身を起こすと孫策は外の景色に目をやった。
「………わかんねぇ」
「伯符、」
「なぁ、公謹」
頭の高いところで結わえた髪が、風に吹かれて緩くなびく。
「仲謀は、帰って来ると思うか?」
「伯符!!」
「俺の顔見たら……また、逃げるんじゃないか?」
記憶を無くしているとは書いてあった。
だけど、それだけでは納得のいかない何かを、あの時振り払われた手と
孫権の瞳に感じていた。
あれは、明らかな拒絶であったと。
例えば助けに行ったとして、孫権が自分の顔を見たらどんな……どんな、表情をするか。
「結構傷ついたんだぜ、これでもさ」
「だが…」
周瑜が緩く笑みを浮かべる。
「それでも、助けるんだろう?」
「……モチロンだ」
勢いづいて立ち上がると、孫策が軽く跳ねて縁側へと飛び出す。
「俺の大事な弟だからな」
振り返って、周瑜に笑いかける。
苦笑を浮かべて周瑜は縁側に近付いた。
強調するように、言い直す。
「俺の、じゃなくて、俺たちの、だ」
一瞬、きょとんとした視線を向けて、それから笑みを浮かべて孫策は答えた。
その笑みは、とても嬉しそうで。
「ああ、そうだった……悪い!!」
周瑜にとって、それから、皆にとって大切な人だから。
「何処へ行くんだ?」
歩き去ろうとする孫策の背へかけられた周瑜の言葉に、孫策は走り出しそうに
なりながら答えた。
「興覇んトコだ!!」
「呂蒙殿、尚香殿からの手紙は読まれましたか?」
「ああ、孫策殿から回ってきた」
息せき切って飛び込んできた陸遜に、呂蒙が竹簡に筆を走らせる手を止めて
そう頷いた。
「上手く説明できなかったのだろうな、だが手紙を回し読みさせるとは、
また孫策殿も困ったことを」
「まさか……孫権殿が、魏に居るとは……思いませんでした」
「全くだ。道理で領内のどこを捜しても見つからない筈だ」
苦笑を浮かべて呂蒙が竹簡に紐を結ぶ。
それを傍らに置いて、呂蒙は机に肩肘をついた。
「あの単細胞馬鹿が、どう出るかが心配でならん」
「甘寧殿も、当然読まれてるはずですよね」
「何か突拍子もない事を始めそうな気がするのだが……」
「まさか、単身で魏に攻め入ったり、とか」
「はっはっはっは、まさか、」
陸遜の言葉を冗談と取って、呂蒙は大きく笑い声を上げた。
だが、そんな事を簡単にやってしまいそうな要素を、あの男は持ち過ぎている。
「……………まさか、そんな……なぁ」
最後には引きつり笑いになって、呂蒙は頭の中の嫌な想像を吹き飛ばした。
主の居なくなって随分経つその部屋は、それでも清掃は毎日されているようで、
それが更に一層この部屋を寒々しいものへと変えていた。
机に置かれた竹簡と、書棚に山積みの書物は相変わらずだ。
それらをぐるりと見回していたら、後ろから声がかかった。
「…………甘寧、」
「おわっ、吃驚したっ!!
……なんだ、周泰かよ。驚かせんなよなぁ……」
振り返ってホッと息をついた甘寧に薄く笑みを浮かべて、周泰も室内に入って来る。
「また、ここに居たか」
「…なんだよ、悪ィかよ」
周泰の言葉に苦笑を浮かべて、甘寧が答える。
もともと甘寧と周泰の接点は殆ど無かった。
孫権という媒体がなければ、今も恐らくこんな風に言葉を交わす事は無かっただろう。
守りたい、と思う気持ちが、同調を生んだ。
それで今は何気なくお互い声を掛け合う間柄だ。
「アンタ、気配が無いから気付き辛ぇんだよな」
「………それは済まん」
床にどっかり座り込んだ甘寧の向かいに、周泰も座る。
おもむろに、甘寧が切り出した。
「なぁ、仲謀が魏に居るって話は、聞いたか」
「ああ」
「この国は……どう出るつもりだ」
「……さぁ、な」
目を伏せて周泰が答えた。そして。
「……だが、」
「ぁン?」
「甘寧、お前は自由だ」
「…………」
じっと鋭い視線を向けてくる周泰に、絶句したまま甘寧が見返す。
もう一度、周泰が言った。
「好きにすれば良い」
「……許されねェよ、そんな事」
孫尚香からの手紙が回ってきて目を通した時、
甘寧の脳裏を過ぎった思いは。
「もう、本当にどうしようもねェ事考えちまったからなぁ、俺」
「………俺は、」
何かを思案するかのように視線を泳がせ、それから周泰が言った言葉に
甘寧は正直、驚いた。
「お前の忠誠の向く先を知っている」
「…………」
「だから、好きにすれば良いと」
膝の上で作られた拳が、僅かに震えた。
「……良いと思うのか、アンタは」
「少なくとも、俺は」
そう言って微笑を浮かべる周泰に、そうかと小さく呟いて甘寧が立ち上がった。
「………考えておくよ」
だが、そう告げた甘寧の目は決意に満ちている。
腹は決まったか。
ひとつ頷くと、周泰も同じように立ち上がった。
取り戻すために、今できる事を。
<続>
漸く呉メンバー再登場と、いうか。
長かったなぁ……ホロリ。
ここから更に事態はややこしく。(笑)