<道標・最後の策>

 

 

 

 

既にお互いの馬は潰れた。
何度も武器を打ち合い、その度に鈍い痺れが互いの腕に響く。
関羽も張遼も、どちらも優れた戦士であった。
「流石に……一筋縄ではいきませんな……」
「張遼殿こそ、着実に力を上げておられる。
 いや、見事だ」
荒い呼吸も流れ落ちる汗もそのままに、関羽と張遼は間合いを取って笑いあった。
どちらも体力は限界にきている。
周囲では魏軍兵と蜀軍兵が乱戦しているが、その2人の間だけ別世界のように
感じられた。
その空気を破ったのは一人の男。
周囲に居た蜀軍兵達が皆一様に、胴から地飛沫を上げて宙を舞ったのだ。
驚いたような視線を向ける関羽と、目を細めて動向を見遣る張遼。
その人の群れの中から現れた男に張遼は苦笑した。
「張コウ殿」
「助太刀に来ましたよ。
 徐晃殿が、あんまりにも貴方を心配するものですから」
「なんだ、妬いているのか?」
「少しね、」
照れたような表情を見せて笑うその優男が今の行動をしてみせたのかと思うと、
関羽には二の句が告げられなかった。
その優男が、関羽の方を向いた。
射貫かれるような、まさに鷹の目。
ぞくりとした悪寒を感じて、関羽が一歩後ろに下がる。
「本陣に、可愛らしいお嬢さんがいらっしゃいましたよ」
「……尚香殿か」
眉を顰めて関羽が答える。
それに頷いて、張コウが言った。
「丁重にお引取りは願いましたけれどもね。
 貴方も今回は大人しく退いて下さいませんか?」
「尚香殿はどうされた…?」
「解放致しましたよ。大人しく軍を下げて下さいましたから」
「そうか……尚香殿は、失敗したのか」
言葉とは裏腹に、関羽はホッとしたような安堵の笑みを零した。
そもそもこの奇襲作戦に孫尚香を使う事は反対だったのだ。
こんな任務は女の行う事ではない。
劉備にも反対意見を告げたが、彼は苦笑を浮かべただけだった。
孫尚香自身が願い出た事なのだと。
あの戦乙女は、戦う事が好きで好きで仕方がない。
いつだったか自分と手合わせとどっちが好きなのかと訊ねたら大いに悩まれたのだと。

 

だから、彼女を止める事は誰にもできないのだ、と。

 

彼女を止められるだろう唯一の男がそう言ったのだ。
諦めて、この作戦の成功を、そしてもし失敗したとしても……彼女が無事であったのなら。

 

 

 

 

 

関羽の口元が、笑みに象られた。
「そうか……では、この戦は我々の負け、という事になるな」
「では、」
「それではここに居ても仕方がない。
 我等は撤退させて頂く」
手近にいた兵士から馬を受け取り、関羽がそれに跨った。
その態度に一瞬、張遼が視線を険しくさせる。
まだ、何かあるのではないか、と。
だがそれは何の根拠もない事なので、敢えて口には出さなかった。
それに、余計な刃も交えたくはない。
このまま戦い続けていたら、間違いなく敗れていたのは張遼の方だっただろう。
そういう意味では、張コウの出現には感謝しなくてはならない。
「では、またいずれお会いする事となろう。
 ………ああ、そうだ」
馬を走らせ去ろうとする関羽が一度だけ、振り返った。
どこかその目は曇っていて。

 

「お2方、頭上には充分注意されるが良い」

 

不思議そうな視線を返してくる2人に、だが関羽はそれ以上何も言わずに
周囲の兵に指令を出した。
「撤退の鐘を鳴らせ!!」
狂ったように打ち鳴らされる鐘の音に、蜀の軍勢は波が引くかのように撤退を始めた。

 

 

 

 

 

 

「頭上…?」
不思議そうに空を見上げる張コウに、張遼は落ち着かない様子で周囲を見回していた。
これはもう、杞憂などではない。
確実に何かが。
「張コウ殿、我等も早くこの場を離れた方が良い」
「ええ、ですが……」
まだ納得いかない様子で張コウが首を捻る。
その時、思いがけない事が起こった。
関羽の馬が蜀軍に紛れ見えなくなった頃、一度だけ大きく銅鑼が打ち鳴らされた。
それが、最後の合図だった。

 

「な……っ!?」

 

落とされた柵の更に内側に、もうひとつ柵が落ちてきたのだ。
その向こうでは、蜀軍の掛け声と共に上げられる柵が見える。
恐らく関羽はそこから撤収するのだろう。
「こ、これは、どういう……」
「我等を逃がさぬ気か……!!」
しくじったとばかりに小さく舌打ちすると、張遼は頭上を……正しくは周囲の崖の上を見回した。
崖の上には一人の少女。
じっと睨みつけるように、こちらを見ている。
張コウも少女に目をやり、驚いたように声を上げた。
「貴方は先程の……」
孫尚香は激昂するでもなく泣き喚くわけでもなく、ただ静かに、淡々と告げた。
その声は妙にはっきりと、2人の耳に響いてきた。

 

「お返しは、きっちりとさせてもらうわ」

 

孫尚香が右手を上げると、その周囲に数十人の男達。
皆、分厚い服装に顔面にまで布を被り保護をしていて、物々しい雰囲気があった。
「投爆兵、前へ!!」
その言葉と同時に、男達が一歩前に出る。
その全員が、手に何かを持っていた。
張遼の表情が険しくなる。
「いかん!!」

 

だが既に退路は、無い。

 

 

 

 

 

本陣の中、司馬懿は椅子に腰掛け前線の部隊の帰還を待っている。
「………遅い」
その声音には、どこか苛立ちが感じられた。
外の様子をじっと伺っていた孫権も、不安そうな声を出した。
「余りにも、静かすぎます。
 何だか………」
この拭いきれない不安を何と言い表せば良いのか解らず、孫権は語尾を濁したままで押し黙った。
「孫権殿、」
「はい」
司馬懿に呼ばれ、孫権が振り返った。
「もしも、あと一刻待っても何の伝令も来なければ…、」
その時、孫権の背後で何かが光った。
「………ど、どけ!!」
慌てて司馬懿が立ち上がって、孫権を押し退け前に出る。

 

轟く爆音、そして立ち上る火の手、黒煙。

爆炎に舞った軍旗は、蒼かった。

 

爆発による轟音の為に響く振動が、まるで緩い地震のように本陣へ揺さぶりをかける。
司馬懿の後ろから、震える孫権の声が聞こえた。
「う、嘘だ………」
だがその声も、司馬懿の耳には入らなかった。
ただ真っ直ぐ爆発の起こった方向を見据え、ギリ、と唇を噛む。
切れたのか、唇の端からは血が零れていた。
「………孫権殿、馬の用意だ。
 皆の無事を確認しに行く!!」
「は、はいっ!!」
その言葉に慌てて孫権が外に向かって駆け出していく。
孫権の姿が廊下の角に消えたところで、司馬懿が床に膝をついた。
身体を支える腕が、足が、震えている。

 

もしかしたら、全員。

 

最悪の結果を想定して、でも認めたくなくて。
最初から感じていた不安はこのことだったのだろうか。
「彼等に何かがあれば……軽視した私の責任だ」
そんな筈は無いと、生きている筈だ、と。
そう信じようとはしているけれども。
「皆……無事でいてくれ。頼む……!!」
祈るような呟きは、誰の耳にも入る事はなかった。

 

胸を打つ鼓動が、やけに早い。

 

 

 

 

 

<続>

 

 

 

漸くこの戦も終わりが見えてきました。

ちなみに無双2ベースで進めているため、無双3で初登場の投爆兵を

新兵器、といったカタチで登場させてみました。

諸葛亮サンったら、策がえげつないです。(書いたのはお前だ)