これは、長江を越えた向こうにある国の話。

 

 

 

<道標・歩きたくない道を>

 

 

 

一人の青年が君主の座を譲られた。
まだ、父や兄は健在する。
そこそこに年老いた父が兄に王位を譲ったのだが、兄はそれを拒否した。

 

「自分には向いていない」

 

ただ、そうとだけ答え、彼はあっさりと弟にそれを譲り渡そうとした。
「俺はな、戦場で先頭を駆けて斬り込むのが向いてるんだ。
 だから俺はお前に誓う。お前が君主になったら、俺はお前の手足となって
 戦場を駆けてやる。王になる器は俺じゃなくて、お前だ」
最初は当然、驚いたし戸惑った。
物事には順番というものがある。
それらを全て飛ばして自分が君主になどなれる筈が。
何とか思い直してもらおうと説得したが、兄の決意は固いものだった。
それどころか。
「お前なら安心だ。お前の器は俺なんかより数倍もでかいんだ。
 大丈夫、お前なら誰も反対はしない。むしろ皆忠誠を誓うさ」
しないではなくて、させないの間違いではないのか?
頭が疼くように痛むのを抑えながらそう言い返すと、兄はただ黙って笑みを浮かべた。

 

「私は父上や兄上とは違う、異端児です。
 到底、2人のようにはなれっこない!!」

 

感じる劣等感はこの髪や瞳の色。
幼い頃から周囲に色々言われ続け、いつしか自分と2人は違うものなのだと、
血の繋がりはあるかもしれないが、ただそれだけなのだと。
そう思うようになって、幾年月。
血を吐くような思いでそう口にすると、なんだそんな事、と兄はまた笑った。
「確かにな、お前は親父とも俺とも違う。
 戦場では生き残れない種類の生きモンだと思う。
 だけどな、お前には俺達にないものを持っていた。
 考えようによっちゃ、最高の武器ともなるものをな」
「………」
兄の言わんとしている事が解らなくて、青年は首を傾げる。
その肩を労うように軽く叩いて、兄はにっこりと笑った。
いつか解るから。そうとだけ言われて。
困ったように眉を顰めると、兄が勢い良く背中を叩いてきた。

 

「大丈夫、皆お前の味方だ。
 お前はお前の思うように国を造れ、仲謀」

 

 

 

 

鈴の音が聞こえて、孫権は振り返った。
そこには、何か物言いたげな顔をした男が立っていた。
きっと話は聞いているのだろうその男は、ただ黙って立ち尽くしていた。

 

この髪と瞳のせいで皆遠巻きだった中、ただ一人対等に接してくれた相手。
それがこの男だった。
元々性格も考え方も違う2人だったが、正反対な2人だったからこそ
惹かれたのかもしれない。
孫権は彼が好きだったし、彼も孫権の事を好きだと言った。

 

だが。

 

彼は、孫権の前で跪いて、忠誠を誓った。
勿論それは間違った事ではなかったし、本来ならばその忠義を評価すべきところなのだが。

 

「……どうして、」
出てきた言葉は、それだけだった。
どうしてそんな遠くへ行ってしまうのか。
「どうしてなんだ……興覇」
「俺は、お前の手となり足となる。
 お前の望むままに、戦場を駆ける」
「……どうして、」
今度は、嘆息交じりに言葉が出た。
どうして、同じ目線で居てくれないのだろうか。
どうして、いつものように笑ってくれないのだろうか。

どうして、自分はこの場から逃げ出したい衝動に駆られているのだろうか。

 

ただ、そんな彼の姿を見ているのは苦痛だった。

辛くて悲しくて胸が潰れそうなのに、不思議と涙は出なかった。

 

 

それが、始まり。

 

 

 

<続>

 

 

 

かなり思い切りました。

どうしようかずっとずっと悩んでいたのですが、書き始めようと思います。

前回の「道程」ほど、まだ話の土台は自分の中では固まっていないのですが。

書きたいシーンが次から次へと溢れてきて、脳内パンク寸前だったので。

 

また長い話が始まりますが、どうぞお付き合い下さいませ。