【この道の上に立つ】

→ 切り取られた風景。

 

 

 

 

 

目が覚めると、そこは布団の上だった。
ゆっくり体を起こすと、脇腹が鋭い痛みに悲鳴を上げる。
それらを堪えて上半身だけ何とか起こすと、辺りに視線を巡らせた。
結び目を解かれた髪が、少しばかり視界を悪くさせる。
いつもはそれでも自慢の髪なのだが、今日はそれが非常に煩わしい。
「…………」
布団の上で、膝を抱えた。
どうしてもどうしても、込み上げてくる想いに。

「………徐晃殿……」

少しだけ、泣いた。

 

 

 

 

 

 

「そこで何をしておられる?」
ふいに背中にかけられた声に、張コウはゆっくりと振り返った。
「…張遼殿、こんにちは」
「挨拶などどうでも良い。
 こんな所で如何された?」
「何って……景色を、眺めていたのですよ」
顔を顰めて近付いてくる張遼に、張コウは苦笑を浮かべる。
城の一番高い場所。
屋根の上で、張コウはぼんやりと空を見つめていた。
「張コウ殿、貴殿は自分が怪我人だというのを解っておられるのか?」
「ええ、勿論。
 お陰でここまで登ってくるのに少々骨が折れました」
「まったく……つい一昨日までは高熱にうなされていたというのに」
張コウの隣に腰掛け、張遼も遠くを見つめるように目をこらす。
方角は合っているが、流石にあの国は見えそうにもない。
「私は…そんなに長いこと気を失っていたのですか?」
「そうだな……それなりに。
 傷が思ったよりも深かったのと…、夏候淵殿が一度落としたと言っていたから、
 それも原因なのだろうな」
「落とした、ですか?」
「後ろに乗せて走ったは良いが、途中で貴方が意識を失われて
 落馬されたと聞いたが」
「あぁ……道理で」
どこかにぶつけたような頭痛がしていたのか。
そう呟いて、小さく笑う。
どこか本調子でない張コウの様子に、張遼が遠慮がちに言葉をかけた。
「やはり、まだ具合が良くないのではないか?」
「いえ……この程度の痛み、どうって事はありませんよ」

この疼くような、胸の痛みに比べたら。

「全く……ここ最近の私は、本当に醜い」
「は?」
訝しげに眉を顰めて、張遼は横目で張コウの顔を見た。
「この自分の……情けないことといったら……」
目を伏せて、それでも静かに張コウは笑う。
その真意を量りかねて張遼は黙ったままで張コウを見つめていた。
おもむろに、張コウは立ち上がる。
まだ戻っていない体力のせいでぐらつく身体も余所に、ゆっくりと
屋根の縁に向かって歩みを進める。
ぎりぎりの所で立ち止まって、張コウは空を見上げて両手を広げた。

 

「いっそ、この空を抱いてここから落ちていった方がマシだと…思えました」

 

「張コウ殿!」
思わず、張遼の口から咎めるような声が上がる。
それに口元だけ薄い笑みを浮かべて、張コウが振り返った。
「…ですが…それも張遼殿に邪魔をされてしまいましたが」
「生憎だが、張コウ殿」
勢い良く立ち上がって足早に張コウの傍まで歩み寄ると、その腕を強く掴んで
引き寄せた。
「私は貴殿を死なせるつもりはない」
「何故ですか?」
見上げてくるのは、虚ろげな瞳。
それにいよいよ苛ついた表情を見せて、張遼が怒鳴った。

 

「なんて顔だ、張コウ!!」

 

荒々しい声音に、一瞬張コウが驚いたような表情を見せる。
だがそれはすぐに苦渋の顔に歪んで、小さくかぶりを振った。
「私には……何の力もありませんから。
 人一人…連れ戻す事すらできませんでしたから」
「私は、貴殿が居なくなると泣く人間を一人だけ知っている」
「…………」
「貴殿を、死なせるわけにはいかんのだ」
「この私に、それだけの価値があるとお思いなのですか?」
「貴殿に価値を見出した人間は、私ではない」
ふと表情を和らげて、張遼が答えた。
「私個人の問題だったなら、今すぐお前をここから突き落としていた」
「……手厳しいですねぇ」
やれやれと肩を竦めて、張コウが苦笑を浮かべる。
張遼に促されるままに屋根をまた登って、張コウがはて、と首を傾げた。
「そういえば、私がここに居る事が良く解りましたね。
 屋根裏へ続く回廊に、何かご用事でもあったのですか?」
そうでなければ、まずこの場所は目に入る事はない。
外から見上げたぐらいでは、この場所は見えない筈なのに。
「気になるのか?」
「…少しぐらいは」
どこか含みのある言い方に、困ったように張コウはそう答えた。
「先程、夏候淵殿と司馬懿殿に会ってな。
 何か焦っている風だったから問うてみれば…部屋に張コウ殿が
 居ないのだ、と」
「………あの2人が?」
「随分必死になって捜していたみたいだったのでな、私も少し力になろうと
 思ったのだ。
 2人より先に、私が貴殿を見つけてしまったが」
「…そう…ですか」
小さく頷きながら張コウが何かを思案するかのように目を伏せる。
その張コウの肩を軽く叩いて、張遼が笑みを浮かべた。

 

「どうやら貴殿に価値を見出したのは、一人ではなかったようだ」

 

なんて、なんて自分は愚かだったのだろうか。
たった一人の事しか目に入っていなくて、頭になくて。
彼は全てを大切にしていた。自分はそれに憧れた筈だったのに。

全く、恋というものは人を狂わせ……愚かにさせるものだと。

 

 

ぱん!と強い音を立て、張コウは両の手で自らの頬を打つ。
そうして、いつも通りの変わらぬ微笑で、張遼を見た。
「目が覚めました、張遼殿」
「そうか、どうする?」
「戻ります。
 それから、淵将軍と、司馬懿殿に会わないと」
「2人に?」
「ええ、伝えないといけませんからね。まだ言えていないので。
 謝罪と………それから、お礼を」
「そうか」
短く答えて、張遼も笑みを浮かべる。
張コウを助けながら窓から屋根裏に移って、張遼は一度、空を見上げた。
屋根の上から見た広大な空も、今はその屋根自身が邪魔をして、ほんの少ししか
見る事ができない。
それに喉元でくっと笑って、張遼が張コウを見た。
「張コウ殿、」
「何でしょう?」
「屋根の上の空は広すぎて、抱く事など到底無理だろう。
 ……この程度にしておいてはどうだ?」
その言葉に張コウも窓から見える空に視線を移す。
暫し考えるようにして、そして。

 

 

「……それもそうですね」

 

 

そう答えて。
2人は顔を見合わせると、同時に吹き出した。

 

 

 

 

 

<終>

 

 

 

2009年1月 再アップ。

元は自作の配布お題に挑戦していた時に書いたもの。微妙に改編アリ。

 

張遼さんと張コウさん。

別に仲良しという程でもない2人の微妙な接点、みたいな。(笑)