「…ちょっと待ってくれ、徐晃殿」
「え?」
馬超に声をかけられ、徐晃は走る足を止めた。
一緒に立ち止まった馬超が、上を見遣る。
「恐らくまだ待ち伏せがあるだろうとは思っていたが……」
家屋の屋根に潜むのは、弓部隊。
通りの左右から、十数人の弓兵が皆こちらへ狙いを定めている。
その中心に立つ男に、馬超は眉を顰めた。

 

「まさか……諸葛亮殿が出てくるとはな……」

 

 

 

 

<道程>

 

 

 

 

 

 

「全く……おいたが過ぎますよ、馬超殿」
名を呼ばれ、馬超が一瞬身を固くする。
「バレてたか……」
ギリ、と歯を食い縛って、この状況をどうするべきか必死で頭を巡らせる。
元々考える事が苦手な馬超にとって、この状況は決して喜べるものではなかったが。
「余り私を困らせないで下さい。
 例え馬超殿とはいえ、この件は見逃すわけにはいかないのですよ」

 

 

あぁ、子龍。

胸の内で、名を呼ぶ。

 

 

「……俺は、考えるのは本当に苦手なんだ……」
頭脳戦で諸葛亮に勝てるなど、はなから考えてなどいないが。
そうなると方法はひとつしかない。
「徐晃殿、屈する気は?」
「ありませんな」

 

即答。

 

フッと笑みを浮かべて、馬超は徐晃の肩を叩いた。
「ならば突っ込もう。
 矢の一本や二本は覚悟の上で」
「……覚悟なら、とうの昔にできております」
それに益々気を良くしたように口元に笑みを乗せて、馬超が叫んだ。
「走れっ!!」
同時に二人が走り出す。
諸葛亮の号令が飛んで、一斉に矢が放たれた。
「……っ!!」
一本が、馬超の肩口に。
もう一本が、徐晃の足に。
深く突き刺さるがものともせずに、二人は真っ直ぐ走り抜けた。
「そこを曲がれば後は門まで一本道だ!!」
馬超の指差す角を曲がり、一気に駆け抜けようとしたその時。

 

 

「……知略のみではないのですよ…?
 私を余り侮らない事ですね……」

 

 

何時の間に先回りをしたのか、道の真ん中に佇む諸葛亮が居た。
怒りを顕にするわけでも、笑みを浮かべるでもなく、ただ無表情で
見つめてくる。
その視線は射貫かれそうな程鋭くて。
「………拙者が!!」
徐晃が走る速度を上げた。
今の諸葛亮は本気で馬超をも仕留めようとしている、そんな気がしたのだ。
戦わせてはならないと。
「徐晃殿!!」
「貴殿はいけません……仲間なのでござろう!?
 ここは、拙者の役目です!!」
「………解った、じゃあ俺は門を!!」
その言葉に頷くと徐晃は得物を振りかざした。

 

「……っ!?」

 

流れるような動作で、とても静かに。
まさか受け流されるとは思ってもみず、驚いて徐晃が武器を引く。
それを返すと叩きつけるように柄を諸葛亮に向けて打ち込むが、それもまた。
「なんだと……!?」
持っていた羽扇の柄で易々と受け止められて、一瞬徐晃がたじろぐ。
「驚きましたか。
 防御が甘くなってますよ」
「ぐ…っ」
焼けるような痛みに視線を向けると、腹部に短刀が突き立てられていた。
全く気付けない程の静かな動作。
「ここに残るか、さもなくば、死か。
 選択肢はそれだけです。
 貴方を帰すのは余りにも危険なのですよ……」
「そ…そんな、事…っ」
痛みが酷い。
だが傷自体は浅く、急所も外れている。
まだ間に合う。

 

「徐晃殿!!」

 

名前を呼ばれて弾かれたように視線を向けると、重い門を少し開いた馬超が
自分の方に視線を向けていた。
今しかないのだと。
「諸葛亮殿、申し訳ない!!」
渾身の力を振り絞って、斧の柄で思い切り突き飛ばすように押し返す。
よろめいた時を見計らって、徐晃は諸葛亮の脇をすり抜けて馬超の元へと
全速力で走った。
刺さった短刀を引き抜いて、投げ捨てる。
肌を血が流れる嫌な感触がしたが、それには全く構わず。
馬超の元へ辿り着くと、背中を押された。
「早く!出ろ!!」
「馬超殿は…」
「大丈夫だ!後は俺が何とかするから!!」
「だ、だが…」
「徐晃殿、」
門を挟んだ状態で、内と外。
馬超と徐晃が向かい合う。

 

「あの時、助けてくれて有り難う。
 貴殿が無事に帰り着ける事を祈っている。
 後は……貴殿の運次第だ」

 

門が閉じられる様を、半ば呆然と見つめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…やれやれ、やはり基礎体力が違うのでしょうか。
 生粋の武人の力には敵いませんよ」
苦笑を浮かべつつ、諸葛亮が馬超に近づく。
馬超は門を背に、ただ真っ直ぐ睨み付けるように諸葛亮を見遣る。
それに、また笑いが込み上げてきて。
「…どうしたのですか、そんな怖い顔をして」
「此処は決して通しはしませんぞ」
「…どうして、」
羽扇を揺らし、諸葛亮は涼やかな視線を馬超に投げた。
「どうして、徐晃殿を逃がそうと思ったのですか?
 貴方も彼を気に入っていたでしょうに」
「それは……」

 

 

 

 

 

 

馬超が徐晃を逃がそうと決意するまで、それなりの時間を要した。
危険が大きいし、何より彼は手放すには惜しい存在だったから。
だが、その思いを後押ししたのが、趙雲だった。

 

 

「そうか……それで、か…」
一通りの事情を聞き終えた趙雲が、小さく嘆息を漏らす。
「俺は、あの人を帰してやりたいと……そう、思ったんだ。
 ……蜀を不利な状況に陥れる事は、解っているつもりだ」
「それでも…やるんだろう?」
「ああ…。
 でないと彼は…きっと、」
言わなくても解るのだろう、趙雲が小さく笑みを浮かべた。

 

彼はきっと、いつか心の内側から崩壊を起こす。

 

「よし決まりだ。
 やるなら早い方が良いな。
 まだ徐晃殿も牢に入ったばかりだ、皆の油断も残っているだろう。
 時間が経てば経つほど、恐らく警戒も厳しくなる」
「……済まん」
いつか一人で事を起こそうと思ったのだが、結局趙雲も巻き込んでしまった。
その事を少なからず申し訳なく思い頭を下げて詫びると、趙雲が馬超の頬に
手を触れて、静かに微笑む。
「謝るな、孟起」
「ああ……有り難う」
その手の温もりに、馬超は目を閉じた。

 

この温もりを、彼も欲しているのだろうか。

 

覚悟など、必要ない。
子龍と一緒だから。
きっと、上手くいく。

 

 

 

 

 

 

「人の想いは、時に思いも寄らない方向へと事態を動かす」

 

馬超は静かに、諸葛亮の目を見ながら答える。
背後から徐晃の気配が消えたから、恐らくは行ったのだろう。
余りにも忙しない別れだったが、こういう状況なのだから仕方がない。
「…それが理由ですか?」
器用に片眉だけ動かして、諸葛亮は馬超に問う。
「それが…理由の半分、だ」
苦笑を浮かべて馬超は言った。
「彼に、もう一度巡り逢わせてやりたい奴が居た」
その言葉に興味深げに諸葛亮が目を細める。
「それは…貴方が命を賭してでも為し遂げたい事でしたか」
「…まぁ、な」

 

 

行く末を見たかった。
彼らの辿り着く先を。
例え、敵味方に別れてしまったとしても。

 

 

唇の端を小さく持ち上げて、馬超は口元で笑った。

「惜しくない…とは、思ったな」

 

 

 

 

 

 

<続>