<道程>

 

 

 

 

牢の中は、時間感覚をより一層鈍らせる。
今、何刻程なのか…昼なのか夜なのかも、窓のないこの場所では確かめる術がない。
徐晃は息を潜めて耳を澄ませた。
音だけが唯一の手掛かりなのだ。
外では、見張りの番兵の話し声が聞こえる。
他に何の物音もしない所から思うと、今は夜なのだろう。
張飛が酒を片手に現れでもしてくれれば、もう少し簡単に時間も計れるのだが。
そこへ違う足音が聞こえてきて、徐晃は眉をひそめた。
何かが、来る。
その足音は入り口あたりで止まった。
何かを小声で話し、続いて鈍い音。
それから、また交わされる言葉。
「何事か…?」
徐晃は入り口を覗くように見遣る。
すると、そこから2人の男が走り込んできた。
2人とも笠を目深に被っていて顔を確認する事ができない。
そして1人は、牢の鍵を手にしていた。
「徐晃殿、出て下さい」
鍵を持った男が、そう声をかけて手早く牢を開ける。
「な…貴殿らは一体…」
「話は、後にしましょう」
声を上げる徐晃の口を押さえて相手が小さく告げる。
男に引っ張りだされるように牢から出て、徐晃は戸惑いを露にした。
「荷物がどこかはわからなかったが、得物だけ見つけてきた。
 持っておられた方が良い」
「な、何故、拙者を…?」
「貴殿は、」
武器を渡した片割れが、笠を少し手で上げる。
見知った顔を見て、徐晃は言葉を失った。
「貴殿は、帰られた方が良いと思うのだ」
「馬超、殿…!?
 で、では、まさかこちらは…」
自分の腕を掴んでいる男に視線を向けると、男も馬超に習い笠を上げた。
「はい、私です」
「…趙雲殿まで…」
困ったような顔で、徐晃はため息をついた。
「このことは他の方々は……」
「知りません。
 我々の単独行動です」
「ば、馬鹿な……!!
 罪を犯すおつもりか!?」
驚いて思わず大声を出してしまい、慌てた趙雲にまた口を塞がれる。
「ちゃんと、それも承知しています。
 承知の上で、貴方を逃がすと言っているのです。
 さ、ついてきて下さい」
また深く笠を被った2人は、先導して慎重に歩みを進めた。
「………どうして、こう」
小さな声で徐晃が呟く。
どうして、こう、蜀にはお人好しが多いのか。

 

だが正直、逃がして貰えるのは有り難い。

 

そう思い直して、徐晃は武器を握ると2人に続いて牢から出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こっちだ」
細い路地を抜け、3人は走る。
「……来たぞ、孟起」
しんがりを走っていた趙雲が背後を振り返る。
ちらちらと、明かりが見え始めていた。
「追手か……思ったより早かったな」
小さく呟いて馬超は『手加減せずに殴ればよかったな』と言いながら
肩を竦める。
それに徐晃が少し笑みを浮かべた。
「孟起、そこの角を右だ」
「右だな」
趙雲の言葉に頷いて、馬超が角を曲がる。
と、そこで。
「わ…っ!?」
急に立ち止まった馬超の背中に、徐晃が思いきりぶつかった。
「やられた……」
馬超が悔しげに唇を噛む。
衛兵達による包囲網が、その先に広がっていた。

 

「そこまでだ」

 

言いながら衛兵たちの間を抜けて現れたのは、関羽だった。
「か、関羽殿……」
徐晃が声を上げると、関羽がちらりと視線を向ける。
「困りますな、徐晃殿。
 その賊共に何を言われたかは知りませんが、このような真似をされては」
「賊…?」
「我々の事に、気づいていないのでしょう」
徐晃の後ろで小さく趙雲が呟く。
それに徐晃も頷いた。
「さぁ、徐晃殿。
 大人しく戻って下さいますな?」
「………いや、それはもう御免被ります」
苦笑を浮かべて、関羽の問いに徐晃は首を横に振りながら答えた。
「誰が何と言おうと、拙者はこの国の人間にはなれませぬ。
 どうしても引き止めようと言うのであれば……」
覚悟を決めたように表情を引き締めて、徐晃は武器を掲げた。

 

「全力で、お相手するのみです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

睨み合いが続く。
そんな中で徐晃にだけ聞こえるように小声で趙雲が話しかけた。
「徐晃殿、突破しましょう」
「何を…?」
「後ろからも追手が来ているのを忘れてはなりません」
ちら、と背後を見遣れば先刻よりも近くに明かりが見える。
追いつかれるのも、このままでは時間の問題だ。
「……行くか」
趙雲に視線を投げかけて、馬超が頷く。
徐晃も斧を握ると、趙雲が咆えた。

 

「突っ込め!!」

 

馬超が関羽の横を擦り抜け、壁となる衛兵に体当たりをする。
揺らいだ包囲網を徐晃が馬超を助けつつ、当身を食らわせながら
前進していく。
その後ろから、趙雲が。
「……貸りるぞ!」
槍を構える衛兵の鳩尾に一発拳を入れて、槍を掠め取った。
包囲を破って飛び出すと、趙雲は叫ぶ。
「走れ!!」
言葉と同時に馬超と徐晃が動く。
その後ろを、関羽の動きに警戒しながら趙雲も続いた。
だが。
「逃がすな!!追えぃ!!」
「やはり関羽殿。……しつこいな」
時間稼ぎが必要か。
手にした槍を見つめてそう決めると、趙雲は前を走る2人に声をかけた。
「俺が後ろを食い止める。
 2人は先に行ってくれ!!」
「……しかし!!」
声を上げたのは徐晃の方だった。
「しかし、貴殿を1人にするわけには!!」
「大丈夫です。
 私の力を認めて下さるなら、信用して下さい」
「危険だ!!」
「承知の上だと言ったでしょう」
微笑んで、趙雲は徐晃の背中を押した。
「徐晃殿が無事に此処を出られる事を祈っております。
 さぁ、孟起について行って下さい」
「………趙雲殿」
「孟起、後は任せたぞ」
「ああ……できるだけ早く戻るから」
馬超が徐晃の腕を引っ張って促すと、徐晃は趙雲に向かって深く一礼した。
「趙雲殿………この恩は忘れませぬ」
「さようなら、徐晃殿。
 どうか、お気をつけて」

 

 

 

 

2人が走り去るの少しだけ見送って、趙雲は振り返った。
「さて……」
衛兵達と関羽が追ってくる。
一人立ち止まった男に、関羽も足を止めた。
「時間稼ぎのつもりか?
 この人数相手にどれだけ稼げるか見物だな」
「そうですか…?」
被っていた笠を少し上げて、趙雲は顔を関羽へ向けた。
瞬間、関羽の表情が強張る。
「どれだけ稼げるか、試してみましょうか」
「……趙雲、お前……」
驚きを露にする関羽に、趙雲は笑みを見せて槍を構えた。

 

「趙子龍の槍捌き、御覧になるが良い!!」

 

 

 

 

 

 

<続>