<道程>

 

 

 

 

それは昼下がりの事。
たまには部屋のんびり休養でもと思っていた矢先に、急に誰かの大声が聞こえてきて
外が騒がしくなった。
「何だ…?」
気になって様子を見に行こうと思った所で、廊下を慌ただしく走る足音と、それから。
「孟起!!」
ひどく慌てた様子で扉を叩く事もせずに飛び込んで来たのは、趙雲だった。
「さっきから騒がしいが、一体何が…」
「大変だ、徐晃殿が…!!」
弾む息を整えながら、趙雲が言う。

 

「徐晃殿が、投獄された…!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

牢のある所は既に落ち着きを取り戻したようで、入り口に見張りの兵がいる他は、
辺りに静けさが漂っていた。
趙雲と馬超は衛兵に軽く挨拶をして中に入る。
鉄格子の向こうに、彼は居た。
「徐晃殿…?」
声をかけると気が付いたようで、徐晃は2人を認めると小さく苦笑を浮かべた。
「趙雲殿…それに、馬超殿まで」
「どうして…どうして、逃げようなどと馬鹿な真似を…。
 捕まればこうなる事など分かり切った事でしょうに…」
「先刻は関羽殿と張飛殿がお見えになった。
 皆、口を揃えて同じ事を仰るのですな」
少し口元に笑みを浮かべて徐晃が言う。
捕まる時に抵抗したのか、傷つけられた跡があった。
肩口から胸にかけて白い包帯が覗いている。

 

 

「そろそろ、お暇をさせて頂こうかと思いました」

 

 

ぽつりと呟くように徐晃が言うのを聞いて、趙雲が困ったように顔を顰めた。
「それで逃げ出そうとして、捕まったのですか?」
「言って素直に帰してもらえるとは、到底思えませんでしたからな」
肩を竦めてそう答え、徐晃は苦笑を浮かべる。
「しかし…!!」
尚も言い募ろうとする趙雲の肩を押さえて、馬超が止めた。
「もう、いい」
「……孟起…?」
「徐晃殿、我らには貴殿をここから出してやれる程の力が無い。
 …許して下さい」
「そんな……拙者がしくじっただけですぞ、お気になさるな」
困ったような笑みを浮かべて徐晃が答えると、馬超は一瞬だけ
泣き出しそうな表情を見せる。
だが、次にはいつもの顔に戻って、彼は一礼すると趙雲の腕を引っ張って
その場を後にした。

 

 

 

 

「も、孟起…!?」
引っ張られるままに歩きながら、趙雲が小さく声をかける。
だが、返事を得る事はできなかった。
戦の後から様子がおかしくなった事にはとうに気づいてる。
恐らくあの時に何かあったのだろう。
馬超と、そして徐晃の間で。
だが本人は何も言わないので、自分から訊ねる事はどこか躊躇われていた。
馬超は時々考え込んだり、不機嫌になる事が多くなった。
「お前、本当にどうしたんだ……?」
「……どうして、」
恐る恐る声をかけると、馬超はぽつりと呟くように吐き出した。
「どうして、そう急がれるのだ……」
それ以上声をかける事ができず、趙雲はひとつ吐息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

牢に入れられたとはいえ、待遇自体は悪くなかった。
ちゃんと暖も取ってもらえているし、食事も与えられている。
ただ、自由がきかないだけだ。
話し相手になってくれるかの様に、忙しい仕事の合間をみては
誰かしらが訪れてくれていた。
全く、蜀の人間はどうしてこうもお人好しなのかと思わず笑みが
零れてしまう。
「なぁ、いい加減こっち側につくって言っちまえよ。
 そしたらこんなトコ、すぐに出してやるのによ」
今、鉄格子を挟んで向こうには、酒を片手に張飛が座りこんでいた。
そんな姿が夏候淵にそっくりだと思い、自国を思い出す自分に
まだ諦めていないのだと妙に納得して。
「……それは、できない相談ですな」
「アンタも大概に強情だよなぁ」
「…行動はどうあれ、気持ちだけは裏切れませぬ。
 貴殿もいい加減、諦められたら宜しいものを…」
鉄柵の向こうから差し出される盃を受け取って、徐晃が苦笑を浮かべながら
答えると、張飛は豪快に笑い声を上げた。
「はっはっは!!お互い様だってか!!」
「まぁ、そういう事ですな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

徐晃の元を訪れてから、馬超の様子がまた変わったような気がする。
それが、どうしようもない不安に駆られてしまう。
一緒に居て喋っていても、酒を酌み交わしても、身体を重ねても。
どこか上の空だった馬超が、情事にの後の浅いまどろみの中で漸く口を開いた。
「…な、俺がもし、敵に捕まったら……お前、どうする?」
「え…?」
問い掛けられた言葉を理解するのに、少し時間がかかった。
「…なぁ、」
そう、もう一度声かけられて趙雲は戸惑いながらも答える。
「そんなの…決まってるだろ。
 何が何でも助けに行くさ」
「何が何でも…か」
馬超が薄く笑みを浮かべる。
「そうだよな…あぁ、そうなんだ。
 俺だって…きっとそうする」
趙雲の頬に手を添えて、馬超は穏やかにそう言った。
「きっと、奴もそうだったんだろう」
でなければ、彼のあの態度の説明が自分自身に対してする事ができない。
そう一人頷く馬超に、痺れを切らしたのか趙雲が口を開いた。
「…そろそろ、俺にも教えてくれたって良いんじゃないのか?」
「うん?」
「最近のお前は、ずっと心がどこか違うものを見ている」
「ああ…」
やっと『馬超』が『趙雲』を見た。
真っ直ぐ、射抜くような目で。
「よし…決めた」
「ん?」
むくりと寝台から上半身を起こして、馬超は大きく頷いた。
それを趙雲が不思議そうに見遣る。
「全部話す代わりに、ひとつ頼みがある」
「…何だ?」
寝転がっている趙雲に目を向けて、馬超はやけに神妙な顔で言った。

 

「俺と、罪を犯してくれないか」

 

 

 

 

 

 

<続>