<道程>

 

 

 

 

ガサガサと茂みを掻き分け、一人の男が草葉の陰から顔を覗かせる。
その目が軽く見張られ、男は飛び出した。
「居た!!妙才殿!!
 張コウ殿を見つけた!!」
後方にそう声をかけ、男は一際大きな木の下へと走り出す。
張コウはぐったりと木に凭れたまま、それでも顔に笑顔を張り付かせて
ヒラヒラと手を振っていた。
「司馬懿殿〜、漸く見つけてもらえましたね。
 もう駄目かと思いましたよ」
「く……この、馬鹿めが!!!」
張コウの元へと走り寄ると、開口一番そう怒鳴り散らす。
軽く肩を竦めて張コウはため息をついた。
「嫌ですねぇ…いきなりお説教ですか?
 止めて下さいよ……」
うんざりした口調でそう言うと、司馬懿が怒りに身を震わせる。
「どれだけ皆が心配したか解っておるのか!?」
「おや、司馬懿殿も心配して下さったのですか?」
「フン…誰が貴様なぞ!!」
「冷たいですねぇ…」
そんなやりとりをしている内に、夏候淵が追いついてきて張コウを覗き込んだ。
「おう、生きてるみてぇだな」
「おかげさまで」
その言葉ににっこり笑みを浮かべてきり返す。
「とりあえず、皆撤退したからな。
 俺らもすぐに戻るぞ」
そう言って、夏候淵は張コウを荷物のように担ぎ上げた。
恐らく今の張コウでは、立って歩くのもままならないだろう。
自分の後ろに張コウを乗せ、夏候淵は馬を出発させる。
その後ろから、司馬懿の操る馬もついてくる。
司馬懿の方に視線を泳がせて、張コウは笑った。
「司馬懿殿、聞いて下さい」
「……………なんだ」
どこか上機嫌な張コウに不快感を露にして、だが司馬懿は耳を傾けようと
声をかけた。

 

 

「実はですね、徐晃殿と会ったのです」

 

 

「ほう、そうか。
 徐晃殿と………………なに?」
「お元気そうで、何よりでしたよ」
「………それで徐晃殿はどうした?」
「何でも今は帰って来れないとかで、戻って行かれました」
「な……!?」
平然と言う張コウに、司馬懿はあからさまに眉根を寄せる。
「戻っただと!?……蜀にか??」
「はい。
 でも、必ず帰ると約束して下さいました」
その言葉に黙って聞いていた夏候淵の表情から苦笑が漏れる。
後ろを向かなくても、司馬懿と張コウがどんな顔をしているのかが
手に取るように想像できるから。
「貴様…折角会えたというのに取り返す事もできず……、
 しかも敵軍に返したというのか……?
 全く……どこまで馬鹿なのだ!!」
怒ったような、呆れたような、そんな声を上げて司馬懿は視線を
空へと向けた。

 

 

 

 

 

 

「………どう、どうっ!」
手綱を引っ張り馬を止める。
蜀の陣は皆、無事に帰還していた。
「徐晃殿!!」
関羽に呼ばれて徐晃が声のした方へと目を向ける。
そこには関羽と、その隣に諸葛亮が微笑みを浮かべて佇んでいた。
「徐晃殿……大儀、ご苦労様でした」
諸葛亮がそう言って徐晃に向かって一礼する。
少し驚いたような表情を浮かべて、それから苦笑を浮かべる。
「魏軍は撤退していったようですな。
 我々も退きましょう」
その言葉に、諸葛亮も満足そうに頷く。
「孟起!!無事だったか!!」
徐晃の手を借りて馬超が馬から降りたところで、趙雲が駆け寄ってきた。
「ああ…子龍。
 心配かけたみたいだな」
「馬鹿!!そんな事はどうだって良いんだ!!
 とにかく…無事で良かった……」
安堵のため息を漏らして、趙雲は徐晃に向き直った。
「徐晃殿、ありがとうございます」
「……いや、大した事ではありませぬ。
 しかし危ない所でした。
 間に合って良かった」
趙雲に言って表情を綻ばせ、徐晃は馬を繋いでくると行って歩いていった。
その後ろを物言いたげな表情で馬超が見送っていると、趙雲が首を傾げる。
「…孟起、どうしたんだ?」
「いや……」
徐晃の背から視線を外すと、馬超は静かに首を左右に振った。

 

「……いや、何でもない」

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

 

 

夢を見た。
それは宴の最中で、皆大いに騒いでいた。
程よく酒に酔った夏候惇が朗々と唄い出し、それにあわせて
曹操や夏候淵、典韋らが楽しそうに踊り出す。
酒を口元に運びつつ司馬懿はそれらを呆れ半分に見遣り、
許チョはわき目も振らず、とりあえず目の前にある料理を口に
放り込んでいる。
どこから調達してきたのか、張遼は楽器を手に抱え夏候惇の唄に
あわせて奏で出した。
自分もその楽しそうな雰囲気と酒に酔いながらそれを眺めていると、
後ろから肩を叩かれた。
振り向くと、銚子を片手に張コウが微笑んでいる。
自分もつられて微笑んで、彼に促されるままに猪口を差し出した。

 

勝ち戦の後に必ず行われていた、何でもない風景。

 

 

 

 

 

 

ふと目を覚ますと、辺りは闇に彩られていた。
体を起こし周りを見回して、漸く我に返る。
此処は、自分の居るべき場所ではない。

 

 

あの戦の後から、よく向こうでの懐かしい夢を見るようになった。
目を覚ませばいつも、帰りたくて帰りたくて仕方のない自分が居る。
ふと、自分の頬が涙で濡れている事に気がついて、慌てて服の袖で拭った。
夢を見て泣くなど、何年振りだろうか。

 

 

帰りたい、と。
ただ、逢いたい、と。
皆に……あの人に。

 

 

 

徐晃が脱走を試みたのは、その翌日の事であった。

 

 

 

 

 

 

<続>