<道程>

 

 

 

 

蜀の本陣が目前に広がる。
その前に布陣を敷き待つ人物を認め、司馬懿は馬を止めた。

 

「諸葛亮……!!」

 

憎々しげに言葉を吐く。
「お久し振りですね、司馬懿殿」
「私は貴様なんぞに会いたくもなかったがな」
「つれないですねぇ」
その言葉を全く気にせず、諸葛亮は笑みを浮かべた。
「私がここまで来た理由は、言わなくても解るだろう」
「さて…何の事やら?」
「徐晃殿は何処だ」
「残念ながら、こちらにはいらっしゃいませんよ」
声を上げて、諸葛亮は笑った。
それに気を害したのか、司馬懿が黒扇を振り上げる。
「ならば、ここを制圧して捜し出すのみだ!!」

 

司馬懿の号令の下、兵士達が一斉に動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暫く、睨み合ったまま動く事ができなかった。
お互いがお互いの隙を見出そうと。
夏候淵も張飛も、お互いの力量は既に把握してある。
まだ、夏候淵は力において張飛には遠く及ばない。
それ以前に、夏候淵には気持ちの上での余裕がなかった。
ああ言って司馬懿を前に進ませたとはいえ、気が気では
なかったのだ。
彼には、いくらなんでもまだ実践経験がなさすぎる。
そこへ夏候淵にとって救いの手が現れた。

 

「淵〜〜将軍〜〜〜!!!」

 

銅鑼のように響く大声に、夏候淵が振り返った。
後ろからついてきていた許チョの軍が追いついたのだ。
人数の上でも押されていた夏候淵の軍が、味方の到着に
一気に士気を上げる。
「許チョか!!助かった!!」
ホッと息をつくと、夏候淵は馬を張飛に向かって走らせた。
「うおっ!?」
横薙ぎに振られた剣をどうにか躱すと、張飛は慌てて後ろを振り返る。
「てめェ!!
 逃げんのか!?」
「逃げるんじゃねェ!!
 代わるだけだ!!」
「…っざけんなっ!!」
「心配するな!
 許チョは俺より強いからな!!」
わき目も振らずに全速力で走り去る夏候淵を半ば呆然と見送って、
張飛は仕方なく前を向いた。
「…あの野郎より、強いってか……?」
どこか田舎じみた雰囲気の消し切れていない、やたら図体のでかい男に、
張飛は小さくため息をついた。

 

「……ま、いっか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはり片目というのは非常に見難い。
張遼は苦笑して眼帯を取り外した。
夏候惇の視界は、常にこのような状態なのか。
それでもなお鬼人のような強さを誇る夏候惇が、この上もなく
尊い男に思えた。
やっと開けた視界に息をついて、張遼は笑った。
「さてと…関羽殿、諸事情は大体ご理解頂けていると推察する。
 徐晃殿を返しては頂けぬだろうか?」
単刀直入な物言いに、関羽の顔から思わず笑みが漏れた。
「もちろん、今回の戦の目的はそれだけだ。
 返して頂けるのなら、我々は速やかに撤退しよう」
「それは…残念ながら出来かねますな」
「…そうですか、それでは仕方がない」
眼帯を手の中で弄びながら、張遼は答えた。
武器を握る手に力が篭る。
「……それでは始めようか」
その眼帯を投げ、張遼は馬に鞭を入れた。
関羽も赤兎を走らせる。
2人の武器がぶつかりあい、火花が飛び散る。

 

投げられた眼帯が吹き上げる風に乗り、宙を舞った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次々と、伝令が戦況を伝えにくる。
普段は戦場で剣を奮っているので解らないが、本陣で待つ者の気持ちは
こうなのかと夏候惇は軽いため息をついた。
「どうした元譲、退屈か?」
「いや…そういうわけではないのだが…な」

 

伝令が来た。
張コウの軍が西の森に布陣、馬超軍が森に侵入した。

伝令が来た。
司馬懿の軍が蜀本陣に到達。

伝令が来た。
夏候淵の軍が張飛軍と衝突。

伝令が来た。
許チョと于禁の軍が本陣付近に到達。

伝令が来た。
夏候淵軍が蜀本陣に到達。
許チョと于禁の軍が張飛軍と交戦中。

伝令が来た。
張遼と楽進の軍が姜維軍を包囲。
関羽が救援に出て来た。

伝令が来た。
張遼軍が関羽軍と交戦中。

 

そこまで聞いて、漸く曹操は立ち上がった。
「元譲よ、お前は本陣の加勢に行け」
「それは構わんが……落とすのか?」
「いや……撤退だ」
「…あ?」
今まさに攻略できそうな戦況を破棄しようと言い出した曹操に、
夏候惇は目を丸くして声を上げた。
「何故いきなり撤退なんだ?」
「……気付かんか?」
「何が……」

 

「張コウ軍からの、伝達が途絶えた」

 

その言葉に夏候惇が微かに表情を険しくさせる。
「潰れたか……?」
「解らん。
 だが…嫌な予感がする」
夏候惇と視線を合わせ、曹操は首を振った。
「ここは撤退するぞ。
 元譲は真っ直ぐ本陣に向かい、淵と司馬懿を呼び戻せ。
 儂は東を連れ戻してくる」
「張コウは、」
「それからだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「仲達!!仲達、どこだ!?」
馬を駆けさせながら、夏候淵は声を張り上げ周囲を見回す。
辿り着いた時には既に敵軍とぶつかっていた。
辺りから襲い掛かってくる兵士を切り払いながら、夏候淵は前方を見遣る。
見慣れた背中を漸く見つけた。

 

「……っ、いかん!!」

 

相手は諸葛亮と、もう一人。
趙雲子龍。
今、司馬懿は2人の人間相手に立ち回っていた。
「…クソ!間に合わねぇか!!」
いつも背中にある弓矢を手にして、夏候淵は諸葛亮に狙いを定める。
「くらっとけ!」
引き絞って、放った。
それに気がついたのは趙雲の方であった。
「諸葛亮殿!!」
馬上から諸葛亮の方へ飛び移り、彼ごと地面へと転落する。
そのすぐ傍を矢が掠めていった。
「ああ…驚いた」
ゆっくり体を起こし、諸葛亮は体についた土を払いのける。
司馬懿は特に表情も変えず、むしろそこに夏候淵がいるのは当たり前かと
言うかのように振り返った。
「妙才殿」
「悪い、遅くなったな。
 怪我はねぇか?」
「私は平気だ。
 だが、張飛はどうした?」
「ああ…許チョに代わってきた、問題ない」
「そうか」
司馬懿も許チョの実力は認めているようで、それ以上は何も言わない。
彼の隣に並んで、夏候淵は言った。
「なぁ、軍師さんよ。
 仲達も聞いたかもしれないが、徐晃はどこだ?」
「……ここには居ませんよ」
「何処にいる?」
「ここより西の、苦戦している軍の救出に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ〜〜…ハラへったなぁ〜〜〜……」
大鎚を振り回しながら、緊迫感の欠片もなく許チョが嘆く。
「…ケッ、俺だって酒が呑みてェやっ!!」
それらを上手く避けつつ、張飛も負けじと矛を繰り出す。
全く、調子が狂って仕方が無い。
矛の切っ先を柄で受け止め、許チョはまたため息をついた。
「早く終わらせて飯が食いてぇ〜〜」

 

「だったら、遊んでないで、さっさと終わらせろ」

 

突然、真横から風がきた。
慌てて張飛が矛をそっちの方に向ける。
剣の切っ先が激突した。
「あ…っ、危ねっ!!」
肩で大きく息をしながら、張飛が目を見開く。
「あ〜、元譲殿〜〜〜〜〜」
眼帯はしていなかったが、馬に跨りそこに佇むのは
夏候元譲、其の人であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気合を込めて、打ち合う。
改めて張遼は関羽の強さを知った。
一撃一撃が、酷く重く感じる。
「やはり、お強いな。貴殿は」
「張遼殿こそ、なかなかの腕前よ」
生死を分けた戦い、という雰囲気はなかった。
むしろお互いそれを楽しんでいるかのような。
「関羽殿、徐晃殿を返して頂けない理由は、何です?」
「これは奇な事をお尋ねになるな」
鍔競り合いになり、お互いが力を込める。
「敵軍の武将が手の内に入ったというのは、この国にとって
 大きな事だ。
 おいそれと返すわけにはいきませんでしょう」
「いや…貴殿を見ているとな、」
圧倒的に力では負けている筈なのに、それでも笑みを見せて
張遼が言った。
「どうも、それだけではないような気がするのだ」
瞬間、関羽の腕の力が緩んだ。
「図星か!!」
そのタイミングを逃す筈がなく、張遼が矛を振り下ろす。
関羽の肩を掠めて、血飛沫が飛んだ。
「く…っ」
肩口を押さえて、関羽が一歩後ろに下がった。
それ以上攻撃しようとはせず、張遼は構えを解く。
「関羽殿、もう一度頼みます」
「……?」
「徐晃殿を、返しては頂けませんか?」
「……張遼殿こそ」
「は…?」
訝しげに眉を顰めて、張遼は関羽を見遣った。
「張遼殿こそ、何故そこまで彼に拘られる?」
「拘っているのは、私だけではありません」

 

「その通りだ」

 

突如背後から聞こえた声に、驚いて張遼が振り返った。
関羽も、すっかり言葉をなくして立ち尽くしている。
本陣に居るはずの彼が、何故。
思わず張遼が声を上げた。
「と…殿!?」
颯爽と馬を駆けさせこちらへ向かってくる男は。

 

曹孟徳、其の人であった。

 

 

 

 

 

 

<続>