<道程>

 

 

 

 

森の中の殆ど道とは言えない道を、徐晃は慎重に馬を進ませた。
風に乗って聞こえる剣戟の音に、戦いの場が近いのだと知る。
後ろから着いてきていた兵士の方を振り返り、指示を出した。
「目的は敵の殲滅ではなく馬超軍の救出である。
 各々それを念頭に入れ、戦え」
そう告げ前方を斧で差すと、兵士たちは声を上げ走り出した。
その後ろを、徐晃は再び馬をゆっくりと進める。
少し道から外れた所から打ち合う別の音が聞こえてきて、
徐晃は馬首をそちらへ向けた。
誰かが戦っているだろうその音が、どこか気になってしまって。
兵士達が先へ進むのを見届けてから、徐晃は道無き道へ馬を導いた。

 

 

 

 

歩みを進めて程なく、徐晃は慌てて馬を止めた。
今居る位置から馬超の鎧が見えたのだ。
それと、馬超が戦っている相手も。
「な……!!」
張遼でも、于禁でもなく。
傷だらけになりながらも戦うのは、とても懐かしい友であった。
「張コウ……殿……」
暫く視線を外す事ができず、呆然と眺める。
無意識に絞り出した声は掠れ、体は震えていた。
馬超を助けに行かねばならない。
だが。

 

 

『貴方は仲間が斬れると仰るのですか?』

『……必要とあらば』

 

 

諸葛亮と交わした会話が脳裏をよぎる。
馬超を助けに行かねばならない、それはまず大前提にある。
だが、最悪の事態に自分は張コウを斬れるだろうか。
斧を持つ手に汗が浮いた。
「考えても…仕方ないか」
それで馬超の戦う相手が変わるわけではないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

凍てつくような、突き刺すような。
そんな視線を真っ向から受け止めて、馬超は唇を噛んだ。
傷を負っているというのに、張コウの動きは一向に鈍らない。
むしろ重い鎧を着込んでいる分、こういった場所での戦いは
馬超の方が分が悪い。
槍を繰り出し、それが掠めいくつ傷を負っても怯む事のない張コウに、
馬超はいつしか焦りと恐怖を感じていた。

 

この男は、強い、のではなくて。

 

一歩、後退った。
指先が白くなるほど馬超は柄を握り締める。
こんな時に、あいつが居れば。
願ってもどうしようもない事が頭に浮かんだ。
一人だと、どうしても弱気になってしまう。
次がきっと最後の一勝負だ。
「負けたら済まんな……子龍」
ぼそりとそう呟いて、馬超は大きく息を吸った。

 

生きるか、死ぬか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぽたり、と血が地面に落ちて、吸い込まれていった。
それを張コウはじっと見遣る。
顔には出さないものの、張コウの体力は限界にきていた。
馬超という男は、とんでもなく強い。
錦馬超と呼ばれていたぐらいであるから、それぐらいは予想
していたのだけれど。
今の張コウを動かしているのは、負けられないという
プレッシャーと、もうひとつ。
「……負けられないんですよ。
 どうしても、ね……」
ただ、徐晃に逢いたかった。
その気持ちだけが、張コウに再び立ち上がる力を与えた。
次が最後の一勝負となるだろう。

 

生きるか、死ぬか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先に動いたのは張コウだった。
上から振り下ろされる鉤爪を、馬超は槍の柄で真正面から受ける。
力を込めてそれを押し返し、槍を横に払うと張コウは後ろへ飛んだ。
それを追うように、馬超が一気に間合いを詰める。
取った、と思った。
しかし。
突き出された槍は空を斬り、そして張コウの髪を払っただけで。
どこへ避けたかと視線を巡らし、そして彼を捉える前に。
「う…っ」
腕を掴まれた。
驚きと焦りで馬超が声を上げる。
「は、離せっ!!」
「…もう、止めにしませんか」
突き飛ばすように、張コウが馬超の腕を離した。
衝撃で後ろによろめく。
踏み止まろうとした時、地面に落ちていた石に足を奪われた。
「くっ…」
尻餅をついて、馬超が見上げるように目の前の男を睨みつける。
「…もう、止めましょう」
一瞬、張コウの表情に笑みが宿る。
思わず見惚れてしまうような、そんな綺麗な。
首に鉤爪を突き付けられて馬超は我に返った。
「今、楽にして差し上げますから。
 苦しませるのは私の美意識に反しますからね、一瞬で」
「……ここまでか」
観念したのか、馬超はゆっくりと目を閉じる。
小さく吐息を漏らして、張コウは腕を振り上げた。

 

「そこまでです、張コウ殿!!」

 

何が起こったのか、即座に理解するのが難しかった。
今まさに馬超の首を討ち取ろうとした所を遮る者が現れたのだ。
自分が振り下ろした爪は、相手の武器の柄でしっかりと受け止められていた。
「勝負はつきました。
 武器を引いて下され……張コウ殿」
聞き覚えのある、まだ心の中に残っている、懐かしい声。
目の前に立つ男は幻なんかじゃない。

 

「………徐晃、殿……」

 

やっと出せた言葉は、どこか頼りなげに震えていた。
「じ、徐晃殿……?」
庇うように立つ徐晃に、馬超が声をかける。
振り向かず、張コウに視線を向けたまま徐晃は答えた。
「馬超殿の軍が苦戦していると聞き、救出に参りました」
「え……」
想像もしなかった答えに馬超が目を丸くする。
張コウが構えを解いたのを見届けてから、徐晃は馬超の方に
向き直った。
「動けますか?馬超殿」
「ああ…済まない」
転んだ時に捻ったのか軽く足首が痛むが、動けない程ではない。
それを確認して、徐晃は安心したように息を吐いた。
「あそこに私が乗ってきた馬が居ります。
 そこで待っていて下され」
「………だが、」
慌てて馬超が徐晃の腕を掴む。
このまま、向こうへ戻ってしまうのではないのかと思って。
その視線を理解したのか、徐晃は苦笑を浮かべて言った。
「大丈夫です。ご安心なされよ」
やんわりと馬超の手を外して、その肩に手を置く。
「拙者は貴殿を連れ戻しに来ただけでござる」
「ならば、」
「ですが」
馬超の言葉を手で遮って、徐晃は張コウの方を振り返った。

 

「少しだけ…少しだけで良いのです。
 彼と、話をさせて下さい」

 

 

 

 

 

 

ゆっくりと腕から鉤爪を外し、地に投げ捨てる。
どこかまだ信じられないで居る。
目の前に、彼が居る事に。
「ああ…徐晃殿、やっと逢えましたね」
「このような事態になってしまい…本当に申し訳無い」
一歩、徐晃が近付いた。
手を伸ばせば、届く距離。
「そんな事…どうだって良いのです」
自然と、手が動く。
強く抱きしめた。

 

「帰りましょう、徐晃殿」

 

 

 

 

 

 

<続>