思い出した。
馬超は、張コウの続け様の攻撃を紙一重でかわしながら
小さく舌打ちを零した。
潼関での曹操軍との戦の時に、彼を見た事がある。
あの時は会話はおろか、こんな風に打ち合うことすらなかったので
印象に残らなかったのだ。
戦わなかった理由は、馬超にとっては非常に不可解な事だった。
自軍の矢が張コウの頬をかすめ、小さな傷を与えた。
瞬間、彼の態度が豹変したのだ。

 

「自分の体に傷を作るのは、趣味ではないのですよ」

 

にっこり笑ってそう言うと、いとも簡単に張コウ軍は撤退を始めたのだ。
あの時は呆然と見送っていたが、すぐに曹操軍とぶつかったので、
彼の事はすぐに忘れてしまっていた。
馬超にとって、その程度の筈だったのだ。
ならば。

 

 

 

 

 

 

張コウの動きは、馬超が思っていたよりもずっと素早かった。
長身でずっとしっかりした体躯のどこに、その軽さがあるのか。
動きについていくことがやっとで、知らず馬超は防戦一方になっていたが、
その中でも彼は張コウの動きをじっと観察するように見続けていた。
どこかに必ず隙はできる筈だ。
「そろそろ終わりにしましょう。
 私も少し急いでいるのですよ」
どこか苛立った声音に、馬超は小さく笑った。
どうやら、余裕がないらしい。
「くらえっ!」
馬超は地の砂を掴むと、張コウの顔面目掛けて投げつけた。
それを避けようと腕で顔を庇った瞬間に生まれた隙を、馬超が見逃す
筈がなかった。
「ぅあ…っ!!」
張コウの間合いに飛びこんだ馬超が、素早く槍でその体を貫く。
しかし手応えは浅く、致命傷にまでは至らない。
「く…っ!」
何とか体を捩らせギリギリまでダメージを落とした張コウが、間合いにいる
馬超の鳩尾に思い切り膝を叩き込む。
「ぐあ…っ!!」
入れられた部分を手で押さえて、馬超が大きく後ろに飛んだ。
だが思ったよりそのダメージは大きく、着地した所で馬超は片膝をついた。
張コウの体も、槍で貫かれた脇腹から血が溢れ出している。
その傷を物ともせず、張コウは再び構えをとった。

 

確かに、手応えは浅かった。
だが傷はそんな軽いものではない筈だ。

 

半ば信じられない気持ちで、馬超はゆっくり立ち上がりながら
目の前の張コウを見据えた。
「……何故だ」
「何がです?」
「何故、ここまでする?」
それでも微笑みを絶やさない張コウに、馬超は聞かずにいられなかった。
自分の知っている彼は、こんな男ではなかった筈だ。
「返して頂きたい方が居るのですよ」
「……何の事だ?」
「しらばっくれても駄目ですよ。
 五虎大将の一人で名高い貴方が知らない筈がないでしょう?」
「あの御仁は、」
思わず、口をついて声が出た。
張コウの鋭い視線に、知らず馬超の槍を握る手が強くなる。

 

 

「あの御仁は、魏などには渡さん!!」

「……では、今ここで貴方を殺して先へと進むだけです」

 

 

張コウの表情から、笑みが消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだ…隻眼の、と聞いたから出てきてみれば……」
関羽は大仰なため息をついた。
伝令も随分間の抜けた失態をしたものだ。
夏候惇と決着をつけられるかと思い出てきてみれば、そこで武器を振るっていたのは
また懐かしい顔。
しかも、夏候惇のように眼帯をその目に当てていた。

 

 

「夏候惇殿ではなく、張遼殿でしたか」

「関羽殿!久し振りだな!!」

 

 

敵同士だというのに、何とも緊張感の欠片もなく軽く挨拶を交わした。
「張遼殿、その眼帯は一体?」
「これか?これは殿の入れ知恵でな」
苦笑を浮かべて張遼は頭を掻いた。
「こうしておけば、必ず貴殿は出てくるであろうと」
「ははは!!曹操殿らしいな!!」
「全く…殿には参る。
 しかし、ホラ、」
笑顔を向けたまま、張遼は関羽を指差した。

 

「実際に、出てこられたではないか。
 なかなかどうして、この作戦も使えるものだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「報告!!
 夏候淵、司馬懿の両軍が、猛烈な勢いで本陣に接近中!!
 張飛軍は苦戦している模様です!!」

 

飛び込んできた伝令の言葉に、諸葛亮は苦笑を浮かべた。
「やれやれ…司馬懿殿は本気で怒っているようですね…。
 少々、遊びが過ぎたかもしれません」
「…諸葛亮殿?」
不思議そうに見遣る趙雲に笑ってみせて、諸葛亮は言った。
「夏候淵・司馬懿両軍の後ろには、もう一部隊いるようですね。
 とりあえず…抑えに出ましょう」
「諸葛亮殿が出られるのですか?」
「でないと、司馬懿殿はここまで突っ込んできそうですからね」
白扇を揺らしながら、諸葛亮はため息をついた。
「ともかく、殿の所に行かせるわけにはいきません。
 趙雲殿にも一緒に来て頂きますよ」
そう告げて、諸葛亮は兵士の待機している陣の奥へと歩いて行った。

 

 

 

 

本陣に近付こうとすればする程、敵軍の攻撃は激しさを増してくる。
近くにいた蜀の兵士を一撃の元に切り捨てて、夏候淵は後ろを振り返った。
「仲達!!生きてるか!?」
「当然だ!!」
司馬懿も果敢に戦いながら声を張り上げる。
それにホッと息を漏らして夏候淵は苦笑を浮かべた。

 

仲達も、なかなかよく戦う。

 

戦う事を生業とする武将には遠く及ばないかもしれないが、それでも
その武将に遅れずついてこれるだけでも大したものだと。
「妙才殿!!」
突然、司馬懿が前方を指差し叫んだ。
前方からの前触れの無い殺気に、半ば反射的に夏候淵は剣を頭上に構える。
瞬間、上から衝撃が降ってきた。
農民出の兵士などからは考えられない、力が。
「ヘェ、なかなかやるじゃねェか。
 余所見してても俺の攻撃が受け止められるってか」
「いやいや、これは偶然だ。
 そんな大したモンじゃねェよ」
その言葉に笑みを浮かべ、力を込めて相手を押し返す。
そこで改めて相手の顔を見た。

 

張飛益徳。

 

背筋にぞくりとしたものが走った。
「…俺は、とんでもねェ奴と会っちまったんじゃねェか?」
「いやいや、そんな大したモンじゃねェよ」
苦笑いと共に零した夏候淵の呟きに、張飛は彼と同じ台詞で切り返した。
「妙才殿!!」
後ろから司馬懿が追ってきて、夏候淵の隣に並ぶ。
「さすがは本陣だ。
 優秀な者が残っているようだな…」
「仲達よォ」
「何だ?」
「お前、先に行け」
「…何?」
訝しげに眉を顰めて司馬懿は聞き返した。
「…何を、」
「アイツは俺がやるって言ってんだよ。
 お前は先に行って本陣を叩いて来い」
「な…」
「大丈夫だ。
 お前、結構強いからな」
畳み掛けるように言って、夏候淵は笑った。
仕方なさそうにため息をつくと、司馬懿は馬に鞭を入れる。
その後ろを、司馬懿軍に就く兵士達が続いて走っていった。

 

「俺の横を通り抜けるってか!?
 できると思うな!!」

 

ニヤリと深い笑みを浮かべて、張飛は武器を振り翳し司馬懿の元へと
馬を突っ込ませていく。
だが、それよりも早く夏候淵は動いていた。
「させるかってんだ!!」
張飛と司馬懿の間に馬を割り込ませ、夏候淵は剣で相手の攻撃を受け止めた。
「妙才殿っ!?」
「いいから行け!!
 諸葛亮はお前が叩くんだろうが!!」
その言葉に弾かれた様に司馬懿は動いた。
ちらと張飛の方を一瞥すると、司馬懿は馬を真っ直ぐ走らせる。

 

 

「…豹変したな、今」

「まぁな、今のアイツはそっちの軍師さんを殺る事しか考えてねェからな」

 

 

張飛の呟きを、夏候淵は豪快に笑い飛ばす。
そして馬を一歩引かせて剣を構えた。
「おかげで、俺はアンタを殺る事だけ考えれば良い」
同じように馬を一歩引かせて、張飛も笑った。
「諸葛亮を殺るより難しいぜ?」
「…だろうな。
 だから、それは俺の役目なんだよ」
低く呟いて、夏候淵は真っ直ぐ張飛を見据えた。

 

 

 

 

 

 

<続>