友と大事な約束をした。
破る筈がないと信じていた。
自分には待つ事しかできない事も解っていた。
だから…ただ自分は待ち続けている。
<道程>
時間の感覚がなくなっていくような気がする。
最後の書簡が届いて、一体どれぐらいの時間が経ったのか。
秋が訪れようとしていた。
さすがに深夜ともなると肌寒さがついて回ってくる。
去年の今頃に彼と出会って、その時に言われた事があった。
「いつまでもそんな格好をしていると、風邪をひきますぞ?」
そう言われて、思わず苦笑を漏らしてしまった。
だが自分は武官の装束がどうしても気に入らなくて、結果、選んだのは
文官の装束だった。
武将なのに変ですか?と尋ねたら、
「そんな事はありません。よくお似合いだ」
そう言って、彼は微笑んだ。
思い出すのは、そんな他愛も無い事ばかり。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
今夜は満月だった。
雲一つ無い夜空に、丸い月が映える。
ここは月が一番良く見える場所。
司馬懿は嫌いと言っていたけれど、自分と彼のお気に入りの場所。
「良い夜だな」
その声に気がついて、張コウが振り返った。
「……夏候惇殿」
ふわりと微笑みを浮かべる。
「お、ここはよく月が見えるんだな」
張コウの隣に立って、夏候惇は月を見上げる。
「ええ。ですが本当は、司馬懿殿の部屋の前が一番良く
見えるのですよ」
「そうなのか?」
「怒られるので行きません」
苦笑して張コウが言う。
「夏候惇殿は、何故ここへ?」
「ああ…ちょっと酔い冷ましにな。
そこらを散歩してたんだ」
穏やかに答えて夏候惇は池の辺に座り込んだ。
無言で張コウに視線を向けると、それに気付いたのか張コウも隣に
腰を下ろす。
暫く、二人は言葉を交わす事無く月を眺めていた。
「……なぁ、張コウ」
ぼんやりと空を見上げたまま、夏候惇が呼びかける。
「はい、何でしょう?」
「徐晃は今頃……どうしてるんだろうなぁ……」
「……どうして私に尋ねるのでしょう?」
やんわりと、微笑みを浮かべて張コウが問い返した。
「う〜ん……」
曖昧な笑みを交えて、夏候惇は視線を張コウに向けた。
「お前に聞くのが一番だと思ったからさ」
その言葉に、一瞬張コウが目を丸くする。
が、それはすぐに微笑みに変わった。
「…さぁ、どうされているのでしょうね。
無事でいらっしゃれば良いのですが……」
「やっぱり、心配か?」
「それは勿論」
「何故だ?」
夏候惇の質問攻めに、張コウは苦笑した。
どうも自分はこの男に弱いらしい。
彼に似た真っ直ぐな目で見られると、偽りは全て剥がされそうな気がして。
「仲間であり、大切な友人でもありますから。
心配に思い不安に駆られるのは、仕方ないと思うのですが」
「…それだけか?」
「は…?」
「それだけなのか?」
「…仰っている事の意味が、よく解りませんが」
「言いたくないのか」
その言葉には、ただ笑う事で返事をする。
すると、夏候惇がゆっくりと立ち上がった。
「ああ解った。もう聞かん事にしよう」
両手を軽く上げ、降参のポーズを取って夏候惇も笑い返した。
そして、まだ座ったままの張コウの頭をポンポンと軽く叩く。
「これ以上聞かんが、ひとつだけ言わせろ」
「…なんでしょう?」
「あんまり無理ばかりしてるんじゃないぞ?
お前の事を心配してる奴を何人か知っててな」
「ああ、だからですか」
酔い冷ましとか言っていた癖に、全く酒の臭いをさせずに現われたのは。
嘘を見抜くのは上手いくせに嘘を吐くのは下手なのだ。
声を上げて笑うと、張コウも立ち上がった。
「ご心配なさらないで下さい。
私は、そんなにヤワではありませんよ。
ですが…夏候惇殿」
「お?」
「ずっと考えていたのですが、」
何を言い返されるのやらと、目を細めて夏候惇は見返す。
「徐晃殿が戻って来られないのが、やはり気になります」
「だろうな」
「生きてらっしゃると思いますか?」
「そうだな……」
首を捻って夏候惇は唸りを上げた。
「生きていると信じてはいるが、この状況では正直何とも言えんな…」
視界に翳りを感じて二人は月を見上げる。
月は薄雲がかかって、暗く鈍い光を発していた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「あ〜、司馬懿さん見つけた〜」
大きな足音とどこか間延びする声。
脱力感を感じ、ため息をついて司馬懿は振り返った。
「何用ですかな?許チョ殿」
「お届けものだよ〜」
「…届けもの?」
「そう。諸葛亮さんって人からだって。はい!」
差し出されたので思わず受け取ってしまい、困ったように手元を見つめる。
大きいわけではないが、小さくもない木箱。
白い布で覆われている。
「じゃあね〜」
用は済んだと、許チョはまた大きな足音を立てて去って言った。
「…諸葛亮、だと?」
余り良い予感はしない。
廊下に立ち尽くしたまま司馬懿は暫くその箱の対処に悩む。
そして、おもむろに会議室へと向かった。
「なんだ、どうしたよ仲達!」
「良いから少し付き合ってくれ」
そう言って司馬懿は夏候淵を引っ張りながら、箱を置いてきた会議室へと入る。
しかしそこには、既に先客があった。
「…これは、」
誰の物かと暗に尋ねるように指差しながら、そこに居たのは張遼。
それには司馬懿が無言で頷く事で答えた。
「すまん、ここを使うのか?」
「夏候惇殿が見えられていないので、今はまだ」
場所を変えようかとも思ったが、張遼はどうやらまだ会議室を使用しないらしい。
というわけで張遼をも巻き込む事に決めた。
簡単に事情を説明する。
「…なるほど、じゃあコレがその諸葛亮ってヤツから送られてきたもんなんだな?」
「ああ。中はまだ見ていない」
「…怪しいな」
腕を組んで考え込むように聞いていた張遼も、唸りを上げる。
「何が入っているのか皆目見当がつかん。
それで、ここで開けてみようと思ってな」
「なるほど。
じゃ、これは開けても良いのか?」
夏候淵の言葉に司馬懿は頷いた。
<続>