<道程>

 

 

 

 

「……何故、」
「関羽殿」
静かに、抑えるような声音で徐晃は言った。
「貴殿は、拙者が簡単に口を割る人間だとお思いか?」
「いや」
「ならば、解って下され。
 助けて頂いた恩は感じておりますが、それでも話す訳には
 いかないのです」
穏かに笑って徐晃はきっぱりと告げた。
覚悟はできていた。
この先、投獄されようとも、処刑されようとも。

 

「…おや、それは立派な心がけですね」

 

突如、部屋の入り口から声がして、2人は驚いて戸口に目をやる。
関羽にとっては見知った顔が、徐晃にとっては初めて見る顔があった。
「諸葛亮殿」
「え…」
関羽の言葉に、徐晃は改めてその男を見た。
顔を見るのは初めてである。
「主に断りもなく、私邸に上がるとは……」
「おや、それは申し訳ありません……が」
飄々とした顔で諸葛亮が笑みを浮かべる。
「許可なら彼から頂きましてね」
背中をみせていた張飛の襟首を掴むと、諸葛亮は前を向かせた。
「……益徳」
「すまん、関兄」
「…まぁ良い」
口止めしていなかったのは自分のミスだと、関羽はため息をついた。
「貴方が、徐晃殿ですか」
興味深げに諸葛亮は徐晃に近寄ると、その顔を覗き込む。
「…いかにも」
「噂は常々、関羽殿から拝聴しておりましたよ。
 義を重んじ武を貫かれる方だと」
にこやかに笑みを浮かべる諸葛亮に、徐晃は背筋が凍る感覚を味わった。
見た目友好的に振舞っていようとも、滲み出る殺気だけは消えない。
少しでも妙な動きを見せたら、その場で殺されてしまうだろう。
このような軍師など見た事がない。
黙ってしまった徐晃に、諸葛亮が苦笑を浮かべて肩を竦めた。
「そんなに構えなくても、取って喰いやしませんよ。
 ただ……」
「ただ?」
「こちらの質問に素直にお答え願えれば、の話ですが」
「それは…先程、関羽殿にお答えしたところだ。
 答える気は、毛頭ござらん」
「そうですか」
満足そうに頷くと、諸葛亮は言った。
「まぁ、こうなれば持久戦ですね。
 この国で、存分に身体を休めて下さいませ」
解り易く言えば『この国から出られると思うな』という事だろう。
諦めたような笑いを見せ、徐晃は頷いた。
持久戦なら、自分も得意だ。

 

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

「関羽殿、聞いて下され」
「…何か?」
ひとしきり諸葛亮との会話が続き、彼はその場を立ち去った。
後には寝台の上の徐晃と、関羽、張飛の3人が残っている。
関羽、と名を呼びはしたが、実際は誰でも良かったのかもしれない。
誰に言うともなく、ただ微笑みを浮かべたままで徐晃は言った。
「本当は、拙者はここで死ぬべきなのかもしれぬ」
「何を…」
「理由は話せぬとあれば殺されても仕方ないとは思っていたが
 そうなる訳ではないようだ。諸葛亮殿の話を深読みすれば、
 逃げられそうにもない状態な上に、彼は何かしらを企てているでしょう。
 下手に駒として扱われるよりは……自害した方が良いのかもしれない」
ぽつりぽつりと、確認するように言葉を紡ぐ。
「以前の拙者なら……関羽殿の知る拙者なら、それも出来たであろう…と
 そう思う」
諸葛亮との問答の合間に3度、死ぬべきだと思った。
だか、その度に思い出す約束があった。
必ず戻ると、そう約束した筈だった。

 

「でも…できないのです。
 今の拙者には、それができないのです」

 

何を犠牲にしてもこの約束は守り通したいと、そう思った。
「拙者は、生きたいのです」
「徐晃殿」
暫く何かを思案するようにしていた関羽が、ゆっくりと口を開いた。
「蜀へ降る気はありませぬか?」
「関兄!?」
驚いて張飛が声を上げる。
徐晃自身も、大きく目を見開いて関羽を凝視していた。
「大人しく投降されるとあれば、諸葛亮殿も下手な真似はせんでしょう。
 私も、貴方が仲間に加わるとあれば、これほど心強い事はない」
「………それは……」
宙に視線をさ迷わせて、徐晃が迷いを露にする。
確かに、それが確実に生き残る道だろう。
ただ、徐晃はそれで魏に戻る事ができないという事実を許せる男でも、
一度降った身を再び裏切らせる事ができる男でもなかった。
「……関羽殿」
困ったような笑みを浮かべて、徐晃は答える。
「それは貴殿自身に義兄弟も蜀も全て捨てて魏に投降せよと
 言っている事と同じですぞ?」
「…貴方にも大事な方がいらっしゃるのか?」
「約束を…したのです」
照れた様に頬を染めて徐晃は苦笑を浮かべた。
「どうしても破れない、約束があるのです」
「そうか…ならば、仕方ないな」
そう答えて、関羽も笑みを浮かべた。
「…ですが」
徐晃が関羽と張飛の2人を見て言う。
「投獄されず、この屋敷に逗留するよう計らって頂けたのは、
 関羽殿と張飛殿のおかげです」
牢に入れようかと言う諸葛亮に『怪我を負わせたのは自分だから』
『逃げるような男じゃないから』と真っ向から止めてくれたのは
2人であり、だからこそ今現在もこの場にいる事ができるわけで。
「いやァ…ほら、やっぱ怪我させちまったのは俺だからよ…」
困った様に頬を掻く張飛に、徐晃は笑って言った。

 

「この恩には、必ず報いようと思っております」

 

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

関羽の私邸を出た所で、姜維が控えていた。
「丞相、彼をどうなさるのですか?」
「我が国の来賓として、丁重におもてなし致しますよ。
 彼は…大事な『道具』となり得ますからね…。
 それはそうと…荷物の方は如何でしたか?」
そう尋ねられて、姜維は静かに首を横へ振った。
「そうですか…つまり、証拠は全て送られた後と考えた方が良いですね…。
 ま、それはそれで良いでしょう」
「敵に塩を送る事になりはしませんか?」
「何をちまちま調べていたか知りませんが…構わないでしょう。
 その代わりに、こちらは最高の駒を手に入れたのですから…ね」
うっすら笑みを浮かべると、白扇を揺らしながら諸葛亮は答える。
だが、何か思いついた様子で道を歩いていた足を止め、姜維に声をかけた。
「そうだ姜維」
「…はい?」
「魏国の士気を下げてやるには、やはりこうするのが一番かもしれません」
前を歩いていた姜維が、その声に立ち止まって振り返る。
満面の笑みを見せて諸葛亮は佇んでいた。

 

「やっぱり、徐晃殿を殺しましょう」

 

「…え?」
言われた事の意味が解らず、姜維はただ呆然と立ち尽くしていた。

 

 

 

<続>