洞窟の外にルーラの気配があったので、てっきりいつものように手のかかる
弟子がやってきたのかと思った。
しかしそこに現われたのは予想を裏切る存在で、だが、いつかは必ず
やってくるであろう存在でもあった。
「………よォ、遅かったな」
「あなたが無茶言うからですよ、マトリフ」
ベッドの上に半身を起こした状態で笑う老人に、かつて勇者だった男は
困ったような笑いを零したのだった。

 

 

 

 

<We are such a relationship.>

 

 

 

 

 

 

傍らにあった椅子に腰をかけると、物言いたげに見てくるマトリフへ向かって
アバンは肩を竦めた。
「はいはい、大丈夫ですよ。
 ブロキーナとは大戦の時に挨拶してましたし、レイラにも会ってきました。
 ロカの墓参りも済ませてありますよ。
 ……あなたで最後ですから」
どこか他人を優先させようというか、自分は最後で良いと思っているフシのある
大魔道士は、大戦の後ポップを通じてアバンにこう伝えていた。
『他の奴らに怒られてからでないとオレは会わねぇからな』と。
だから、時間の出来た少しの合間を縫ってあちこちに顔を出し、漸く今になって
この場所に訪れることができたのだ。
言った事は本当にやる男なので、そうでなければベギラゴンの一発でも食らって
追い返されているところだっただろう。
「なら良い。で、今日は何の用だ?」
「何の用って……お見舞いに来たんですけど」
「それだけじゃねぇクセによ」
「あらら、バレてました?
 じゃあ単刀直入に言いましょうか。
 あなたをね、お迎えに上がったのですよ」
「は?………何処へだよ」
「もちろん、カールにですよ」
朗らかな笑みを浮かべて言うアバンに、やや胡散臭げな視線を向けてマトリフが
表情を歪める。
他意が無いように見せかけて、下心があったりもする食えない男だ。
言葉通りに受け止めて良いものなのかどうか。
「断る。」
「ちょ…ッ、ちょっとぐらい考えてから答えて下さいよ!!」
「冗談じゃねぇ、オレは一国に収まろうなんて気はさらさらねぇんでな。
 ちょっとも考える必要なんざコレっぽっちもありゃしねーよ」
「………パプニカでの事は、色々と聞きましたよ。
 それが原因で嫌気が差しているんだろうなぁって事も、分かります。
 でもですね、」
「分かってねーよ、お前は」
ふと自嘲の入り混じった笑みを零して、マトリフはアバンの言葉を遮った。
あの頃のパプニカ宮中での確執は、今思い出しても反吐が出るような話だ。
けれど、アバンはきっと知らないだろう。
かつての時代、自分の胸中を占めていたのはそんな事では無かったことを。
マトリフが極大消滅呪文を編み出したのは、パプニカを出て此処に移住してからだ。
「ま、どうしても連れて行きてぇってんなら、久々に勝負と行こうや」
「勝負って………」
「昔よくやったろ?
 お前とオレで、魔法勝負」
ああそういえば、とアバンも思い出したようで懐かしそうに目を細める。
まだ彼と旅をしていた頃、全てが順調に進んでいたというわけでもなく、
時には仲間内で意見が分かれて揉めるという事だってあった。
そんな時、よく2つに分かれた意見を纏めるのに使う手が、この魔法勝負だ。
マトリフは魔法使いなので剣は使えないし、かといってアバンは魔法を使うが
彼ほど多岐に渡って使いこなせるわけではない。
だから、いくつかのルールを2人で決めていた。
「ルールは昔と同じだ。
 お前は、剣の使用は一切禁止。
 オレは、お前の使えねぇ呪文の使用禁止。
 単純な魔法力同士の勝負だ、悪かねぇ条件だろ?」
それで勝てるというのであれば、連れて行くなり何なり好きにすれば良い。
ニヤリと笑みを浮かべて言うマトリフに、アバンは諦めの混じった吐息を零した。
どう考えてもこれは、人の弱みに付け込んでいる。
「相変わらず……考える事が姑息ですよ、あなたは」
「そうかい?
 褒め言葉として受け取っとくぜ」
少しも悪びれもせず飄々と言うこの年寄りが恨めしくなって、じとっとアバンが
目を据わらせて睨みつけた。
「勝負を持ちかけるのは構いませんが、もう少し自分の状況を知ってから
 言ってもらえませんかねぇ?」
ベッドに縛り付けられるように寝たきりになっている男が魔法勝負など、馬鹿げている。
以前にポップが言っていたのは、師匠である彼の体調が芳しくないという事だった。
相当な高齢であるにも関わらず大呪文を平気で使おうとするのだ、これでは治るものも
治らないとぼやいていたアバンの弟子でもあるポップは、もはや自分の手では
どうにもならないとアバンに相談に寄っていた。
要するに、人の言う事をちっとも聞かずに無茶ばかりをするということらしい。
「冗談じゃありませんよ。
 ロクにベッドから出れもしない年寄りと勝負して何が楽しいんですか。
 仕方ないので今日は諦めます」
「……今日は、ね」
アバンの言葉に肩を竦めると、マトリフは大仰なため息をこれ見よがしに
落としてみせる。
本当は自分がそうしてやりたがったが、先を越されてはどうしようもなく、
少し乾いた笑いを零してアバンは椅子から立ち上がった。
「また来ますよ。
 その時には一緒にカールに来てもらいたいものですね」
「やなこった。
 次来る時は酒持ってこいよ、酒!」
「……ほんっと、腹の立つ年寄りですねぇ……」
呆れた吐息と共にアバンがそう吐き捨て、何かを思い出したようにマトリフへと
視線を向ける。
「そういえば、ひとつ伺いたかったんですが」
「なんだよ」
「どうして、ポップにあんな伝言を頼んだんです?」
「………ああ、」
最初は今一つピンと来ない様子だったが、思い当たるものがあったのかマトリフが
ヒヒヒ、と意地の悪そうな笑い声を零した。
アバンの言っているのは、『他の奴らに怒られてからでないと』という、あれだ。
「でねぇとなんか、お前は真っ先にこっちへ来そうだったからな」
「いやまぁ、それは否定しませんけど…」
「やっぱ怒られたか?」
「ええ、レイラには特にね。
 この歳になって、床に正座させられて一時間説教を受けることになるとは
 思いませんでした」
流石マァムの母親、といったところだろうか。
元勇者を正座させられる人物など、レイラとカールの女王ぐらいだ。
「やっぱ怒られたか。
 ま、フラフラしてたお前にゃ丁度いい薬だ」
「……で、どうしてなんです?」
体調が悪いことは割と早い段階でポップから聞いていたので知っていた。
本当はもっと早くに見舞いたかったのだが、この伝言のせいで随分な時間を
取られてしまったのだ。
腰に手を当てて見下ろしてくるアバンに視線だけをチラリと送って、マトリフは
ベッドに寝そべるとバサリと布団を被ってしまった。
「ちょっと!返事ぐらいしたらどうなんですか!!」
「うるせぇな、早く帰れよ」
「あのねぇ……」
いい加減にしろと怒鳴りつけてやろうかとしたアバンの耳に、小さく、それでも
ハッキリとした声が届く。

 

「オレが、お前を怒れるわけがねぇだろう」

 

だから、先にあちこちを回らせて別の奴らに怒ってもらったのだ。
突然姿を消して、勝手気儘にしているこの男を。
特にマトリフは彼の弟子達から死亡したという話を聞いていたので、実は生きていたと
知った時にはそれはもう驚いたものだ。
驚きの次に表れた感情は、激しい怒りだったのだけれど。
けれど、どれだけ内心に怒りがあったとしても、マトリフにアバンを怒ることは
どうしてもできなかった。
叱ることならできるのだが、純粋に怒りをぶつける対象にはできないのだ。
戦いの最中であれば攻撃呪文に怒りを上乗せしてぶつけることもできるだろうが、
こんな時にはどうして良いか分からなくなる。
常にクールに生きてきた、これがツケみたいなものだ。
「……マトリフも大概、私には甘いですよねぇ」
「自分で言うんじゃねぇよ、ムカつくから。
 つーか、さっさと帰れ」
完全に拗ねたような声で言う老齢の仲間に、アバンはくすりと笑みを零した。

 

 

「また来ますよ。その時は極上のワインでも手土産にしますから、ね」

 

 

ぽんぽん、と子供にするように布団を軽く叩いてから、アバンは踵を返して
洞窟の外へと向かっていく。
その、離れていく気配を感じながら、マトリフの口から漏れたのは小さな舌打ちだった。

 

 

 

 

 

 

<終>

 

 

長編を書いている内に、なんだか無性に先生と師匠の話が

書きたくなってしまいました。で、できたのがコレ。(笑)

しょうがないジジイだなと思いながらも先生は師匠を大事にしてればいいし、

口汚く罵りながらも師匠は先生に対して絶対的に甘いといい。

 

……そんな妄想ですが。(汗)