教会の鐘の音が高く鳴り響いて、街中に朝が訪れたことを知らせている。
朝日が窓から差し込んでくる室内、机に山積みにされた書類の隙間で
突っ伏している男が一人。
無情にも聞こえる鐘の音に反抗するかのように、男は大声で叫びを上げた。



「や…やってられっかァァァァ!!!」



パプニカ宮廷魔道士ポップ、完徹にて3日目が訪れていた。







< The saga that a heart is excited. −1− >







やめよう。
もうやめよう。
絶対にやめよう。
何が何でもやめよう。



期日の迫りくる書類達と格闘しながら、ポップはずっとそんな事を考えていた。
とにかく、レオナという名の暴君のせいで自分はこんな目に合ってるのだ。
最初はレオナに拝み倒されて安請け合いしてしまったが、まさかこんな重労働
だとは思わなかった。
休む暇なく書類と向き合い、場合によっては査察という名で現地に赴き、
戻ってきたら報告書という名の書類がまた待っている。
魔法を使える、しかもジャンル問わずでオールマイティーにどんなものでも
使ってしまえるポップは、力仕事でさえなければ大体どんな職務でもこなして
しまうので、レオナにしてみれば使い勝手が良いのだろう。
しかしポップにしてみれば、たまったものではない。
「ちくしょう……絶対姫さんにハメられたんだオレ……。
 もうコレ以上付き合ってられるか、オレはもっと自由でいたいんだ…!!」
窓から差し込む朝日が目に沁みる。
ポップはもう決めていた、今手元にある書類が片付いたら此処から逃げ出そうと。
もちろん、提出なんてしに行ったらその場で次の仕事が言い渡されるに決まっている、
そんな馬鹿な事をするわけがない。
逃げ出すなら誰にも言わずにこっそりと、がセオリーだろう。
「うっし、あとコレとコレだけだな。
 もう少しだ……頑張れオレ!!」
実は逃げ出そうという計画は少し前から立てていて、今はその為の準備といった
ところだろうか。
3日の徹夜もこのためだ。
逃げるためなら何だってする。手段なんて選んでいられない。
本当は眠たくて眠たくて仕方が無いのだが、こんな場所で安眠なんてできやしない。
いつ誰が訪れるか分からないからだ。
侮ってはいけないのが、ダイだろう。
逃げ出すにしたって、ポップにダイを連れて行こうという気はない。
というよりは、レオナから逃げ出すのにダイを連れて行っては全く意味が無いのだ。
自分だけならまだ何とか逃げ切れるかもしれないし、レオナもある程度は目を瞑って
くれるかもしれないが、そこにダイがついてくるとなれば話は別だ。
きっとどんな手を使ってでも彼女は地の果てまで追いかけてくるだろう。
だからこそ、ポップはダイを見捨てる気でいる。
一時で良いから自由に時間を使える期間が欲しいだけだ、ダイと決別するとか
そんなつもりは毛頭ない。
ただ、自由を得るためにダイは邪魔なだけなのだ。
酷いかもしれないが、これも事実。
「悪ィなダイ、これもオレの自由を取り戻すためだ、諦めてくれ」
最後の書類にサインを記して、ポップは羽ペンを放り投げた。
これで全行程終了だ。
机の下に隠してあった旅支度を纏めた皮袋を取り出すと、ポップはマントを羽織って
さっそく窓を開け放す。
早くしなければ、朝食の時間になってしまったらきっとダイがやってくる。
それまでに自分は逃げなければならなかった。
「よし、取り敢えずはベンガーナ辺りにでも逃げるかな」
うんと頷いて、ポップは瞬間移動呪文を口にする。
住人の居なくなった部屋には、きちんと纏められた書類の束と、机に一枚のメモ。



『旅に出ます、捜さないで下さい。』




















ベンガーナの街から少し離れたところにある小さな村で、ポップはひとまず宿を取った。
今日だけは何もせずに一日寝て過ごすつもりだ。
とにかく精神的にも体力的にも疲労困憊している自分は、限りなく睡眠を欲している。
ベンガーナのど真ん中で宿でも取ろうものなら、寝ている間に見つかってしまう
可能性もあるが、離れたこの場所ならすぐに見つかることもないだろう。
パプニカの城のものよりは明らかに質素なベッドではあるが、今のポップには
超高級な天蓋付きのベッドよりも豪華なものに見える。
荷物を置いて迷わずにベッドに飛び込むと、眠りに落ちるのは簡単だった。





そして翌日。
すっかり回復したポップは、宿の主人に挨拶をしてそこを出た。
近くに広場があったので其処で一旦腰を落ち着けて、荷物の中から一枚の
紙切れを取り出す。
ポップは何も無目的で城を飛び出したわけではない。
彼なりにやりたい事はある。
その為に、宮廷魔道士の地位を利用してパプニカの資料室に入り浸ったりもした。
「さぁて、どいつからやっつけてやろうかなァ…」
紙に書かれているのはいくつかの地名と、遺跡の名前。
それらは全て、発見はされたものの何らかの事情で発掘を断念されたものや
調査自体なされていないものばかりだ。
これらの遺跡を回って、探検をしてみたいというのがポップの目的だった。
幸い、使う暇もくれなかったのに妙に給金だけは良かったので、懐は充分過ぎるほど
潤っている。軍資金は問題ない。
とはいえ、一人で行くには少々勇気が必要であった。
未知の場所にはどんなモンスターがいるかも分からない。
もちろん魔法の使い手であるポップにとって、多少の敵には動じないし倒してみせる
だけの自信もあるが、洞窟や遺跡の中では派手な魔法は使えないし、何より接近戦は
どう考えても不利なのだ。
本当のことを言えば、剣士タイプの仲間でも一人は欲しいところだが。
「……ん?」
ざわざわと急に広場が騒がしくなった事に気がついて、ポップは紙切れから
視線を上げた。
キョロキョロを周囲を見回してみると、主に女性達がある一点に目をやり黄色い声を
上げている。
「なんだァ…?」
カッコイイだの渋いだのステキだの、とにかくそういった主旨の会話を始めている
女性陣の視線を追って目を向ければ。
「え……アレ!?」
驚いて、ポップはその場から立ち上がった。
「なんでアイツがこんなトコに居るんだ!?」
見間違えるハズもない、あの短めの銀髪に紫のマント。
そうだ、あの後ろ姿は。
ぐっと紙切れを握り締めて、ポップはにやりと口元を歪めた。
これはラッキーだと思うべきだ、剣士が欲しいと願った自分の目の前に、
自分の中で思い描く最強の剣士が現れたのだから。



「よっしゃ、一丁行きますか!!」



考える理由など何処にもない。
ポップは彼へと向かって一目散に駆け出したのだった。




















ベンガーナに滞在していたヒュンケルの元へ、パプニカから急使が訪れていた。
なんでも、パプニカの宮廷魔道士が突然出奔してしまったらしい。
レオナの勅命で、国を挙げての捜索を行うというのだ。
ベンガーナにいた自分には関係の無い話なのではと考えたが、よくよく話を
聞いてみて、それは非常に頭の痛いことなのだと知った。



逃げ出したのは、手のかかる弟弟子らしい。



『こぉんな紙切れ一枚で、このあたしから逃げられると思わないことね…!!』
なんて、ポップの出奔を知った直後、レオナはポップの残したメモを破り捨てて
そんな事を口にしていたとか。
パプニカの人間だけでなく、彼に関わる全ての者を彼の捜索に駆り立てようと
しているらしい。
なので、兄弟子であるヒュンケルにも当然この話が寄せられたのだ。
彼だけでなく、マァムやクロコダイン、果てはカールのアバンにまで
ポップが行方不明との情報は流されているだろう。
決して手段を選ぶことなく、使えるものは何でも使う、これがレオナだ。
パプニカからの情報を得て、ヒュンケルは乗り気では無かったものの、
一応の顔を立てるためにベンガーナ周辺ぐらいは捜してみるかと、ベンガーナ市街を
捜した翌日、少し離れたこの村にやってきていた。
まさかヒュンケル本人も、こんな所に本当に居るなどとは露ほどにも思っちゃいなかった。
だが。



「ヒュンケル!!いい所にいてくれたァァァ!!!」



背後からの叫びと共に背中に当たったタックルで、ヒュンケルは思わず前のめりに
よろめく。
何事かと視線を向けて、思わず目を瞠った。
「お、お前……ポップ!!」
「お前が此処にいるってことは、きっと暇してたって事だよな!?
 そしてこのオレ様に手を貸してくれるって事だよな!?
 よしよし、それじゃあ行こう、張り切って行こう!!」
「ちょッ、何勝手なことを……!!」
止める暇もあったもんじゃない。
後ろからヒュンケルの身体に腕を回したポップは、そのまま瞬間移動呪文を
口にしていた。



行き先など、ヒュンケルが知る筈なかった。










<続>



※ノリとイキオイだけで書き始めてみました。
 問題は、私がどこまでヒュンケルという人間を理解しているかということですな!
 楽しいハナシが書ければ良いのですが。