マトリフ本人に肯定されはしたけれど、アバンの中では未だに半信半疑だった。
今の彼の姿は、自分が見知っているものとは全く違う。
有体に云えば『若返っている』のだ。
それも、自分と然程変わらない年齢まで。
「あの……モシャスとかじゃないんですか?」
「馬鹿言え、それならオレはボインでナイスバディなねーちゃんに変身する」
「…………。」
それもそうだと納得しかけて、アバンは慌てて首を左右に振った。
言い包められている場合ではない。

 

 

 

 

<High & Low −時の砂−>

 

 

 

 

 

 

「これだ。」
マトリフがアバンを伴ってやってきたのは、色々な実験器具や魔法道具、古文書などで
埋め尽くされた部屋だった。
部屋の中央に置いてある少し大きめのテーブルの上には、直前まで何かの実験をして
いたのだろう、いくつかの器具とアイテム、そして内容を書き留めた羊皮紙と羽ペンが
無造作に置かれている。
だが、マトリフが指差したのはそこではなく、その足元だった。
よく分からないとアバンが眉を潜めていると、マトリフはその場所に膝を付く。
何か粉のようなものを指先で摘むようにしながら、彼は言った。
「こいつは『時の砂』だ。
 お前も名前ぐらいは聞いた事があんだろ?」
「時の砂って………時間を逆行させる、アレですか?」
「そうさ」
「伝説級のシロモノだと思っていたんですが……本当にあったんですね」
「少し前にな、ポップのやつが持ってきたんだ。
 破邪の洞窟の奥底で見つけてきたって言ってな」
ポップにもそれが時の砂だという事は分かっていたようだった。
もしかしたら試しに使ってみたのかもしれない。
結局、ポップの手には余るものだったようで、自分には必要ないからと彼は
マトリフに託して行ったのだ。
「………で?
 私としては、それがどうしてこんな無惨なことになっているのかの方が
 知りたいんですけどね」
マトリフの隣に同じように膝を付くと、アバンは傍に転がっていた硝子の欠片を
指先でちょいと突いた。
砂時計の形を取っていたのだろうそれは、今やバラバラに砕け散っている。
呆れ顔で問えば、少し言い難そうにしながらもマトリフは渋々と口を開いた。

 

 

事の顛末はこうだ。
時の砂を託されたマトリフは、その仕組みを少しでも解析したくて色々と
調べていた。
ああでもないこうでもないと調査をしながら、テーブルに置いた羊皮紙に実験の
結果を書き留める。
その最中、テーブルに置いた羽ペンが転がり下へと落ちてしまったのだ。
拾うために彼はテーブルの下へと潜り、ペンを手にするとうっかりとそのまま
立ち上がろうとして、テーブルにしこたま頭をぶつけてしまった。
打ったところを擦りながらやっとこ這い出してきたその頭上に、頭をぶつけた拍子に
テーブル上で倒れてしまった砂時計が転がり落ちてきて。

 

 

「で、こういう状況になっちまった、と。
 砂を被っちまうと、テメェ自身の身体が時間を逆行しちまうみたいだな」
「……………。」
「おい、何とか言えよ」
「…………いえ、あんまりにもベタな展開だったものですから。
 あなたって本当に、時々ビックリするぐらい間抜けですよねぇ」
「うるせぇ」
苦虫を噛み潰したような表情でマトリフが唸るのを見遣りながら、アバンはやれやれと
肩を竦めた。
そういうことならば、自分を連れて来たのはきっと知恵を貸せということなのだろう。
何とかして逆行してしまった身体を元に戻すために。
けれど、とアバンは思う。
「いっそのこと、諦めたらどうなんですか」
「あ?」
「別に魔法が使えなくなったわけでも、中身まで逆行してしまったわけでも
 ないのでしょう?
 砂を被った肉体だけの話なのなら、いっそラッキーだと思った方が」
「馬鹿言え、オレにこれから追加で何十年も生きろって言うのかよ。
 もう100年近く生きてたってのに、うんざりする」
「そうですか?
 私は嬉しいですけどねぇ」
何気なくぽつりと呟かれたアバンの言葉に、マトリフが少し訝しげな表情で彼を見る。
割れた砂時計の破片を纏めながら、アバンはふふっと微笑みを零した。
「これであなたが先に逝くことも、子供扱いされることも無くなりますし。
 私からしてみれば、良いことづくめなんですけど?」
「…………馬鹿が」
短く吐き捨てるように返せば、酷いですねぇ、と嘆息混じりの声。
それでも顔が笑っているのでマトリフはそれ以上何も言えなかった。
初めて鏡で自分の姿を見た時、脳裏を過ったのは何とかして元に戻らなければという
気持ちだった。
なのに、アバンはその気持ちすら一蹴してしまったのだ。
戻る必要がどこにあるのだと、そう言われてしまえば返す言葉が見つからない。
理由は簡単、何も困る事が無いからだ。
別に生命の危険に晒されているわけではなし、魔法力は多少落ちてはいるかもしれないが、
精度と威力、そして種類は若返る前と何も変わっていない。
「どうしろってんだ、オレに」
「別にどうもしませんよ。
 面白いからそのまま生きてみればどうですかと私は提言しているんです。
 そもそも、時の砂がこの状態では……」
掌サイズの砂時計に収まっていられる量だ。
それはたかが知れているし、今では床にバラ撒かれて集めるだけでも一苦労である。
何とかかんとか集めたとして、それで元に戻れる保証は何処にもない。
考えれば考えるほど、面倒な作業ばかりな上に不確定要素が満載だ。
「まぁ、元に戻る方法を探したいというのであれば協力はしますけどね、
 ………そう簡単にはいかないというのが現状でしょう」
「そうか………いや、そうだろうな」
アバンの言葉にマトリフが頷く。
恐らく破邪の洞窟にもう一度潜り込んだとして、同じものが手に入る可能性は
限りなく低いだろう。
とはいえロクに調査も進められなかった砂をかき集めたとして、戻れる方法を
探し出せる可能性も、これまた低い。
少し考えれば分かることではあるが、どうやら気が動転してしまっていたようだ。
「仕方ねぇな、そう急く必要も無さそうだしゆっくり探るとするか。
 ひとまずオレとしては、身体が変わっちまったことで他に変化がねぇかを
 確認しておきたいところだ。
 まだアレコレ魔法を試してみたわけじゃねーしな、付き合えよ」
「え…ま、魔法を試すって………まさかッ!?」
「魔法をぶつける実験台とすりゃ申し分ねぇな」
「え、えええええッ!?
 ちょ……ちょっと待って下さいよ、どうして私が…ッ!!」
腕を引いて立ち上がったマトリフに、アバンが慌てて首を左右に振る。
彼の魔法の威力を知っているアバンからしてみれば、実験台なんて言ってはいるが
要するに体の好い的にさせられるだけだ。
「大丈夫大丈夫、死なねぇ程度に加減はしてやっから」
「そういう問題じゃありません!!」
「なんだ、じゃあ手加減ナシの方が良いってのか?」
「そんな事を言ってるのでもありませんからァァァ!!」
ずるずると引き摺られるように洞窟の外へと向かいながら、アバンは己の身に
降りかかった災難を嘆く以外に無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、何十発めかの魔法が炸裂した頃。

(死ぬ……このままでは本気で死にそうです、私……!)

嬉々として次々と呪文を唱えるマトリフを眺めながら、アバンは息も絶え絶えに
そんな事を考え出していた。
ダイのように呪文に耐え抜く方法があるわけでなし、かといって次々と飛んでくる
火の玉やら氷の刃やらを避け続けるほど体力に満ち溢れているわけでなし。
できる事といえば、放たれた魔法と同等のものを自分も唱えてぶつけ、相殺させる
以外に無かった。
かといって、元の魔法力はマトリフの方が断然上なのだから、先に尽きるのは
自分の方だ。
一旦はルーラで逃げる事も考えたが、恐ろしい事に自分のルーラよりマトリフの
トベルーラの方がスピードが速く、追いかけられるか回り込まれるかするのがオチだ。
逃げられないなんて、一体どこのボス戦なのか。
「あ、あの、マトリフ、とりあえず一回休憩入れませんか?」
「なんの、まだまだこれからよ!」
「私がしんどいんですってば!!」
「こんなモンじゃオレは満足しちゃァ………ん?」
「………おや?」
魔法力の固まりが此処へと向かって飛んでくるのを察知した2人が、言葉を止めて
揃って空を見上げる。
キラリと太陽の光を反射させながら飛んできたそれは、ドォンと派手な音を立てて
2人の近くに着地した。
いや、正確には着地ではない、墜落だ。
訝しげに眉根を寄せるアバンとマトリフの目の前で、2人の子供が頭を押さえて
のたうち回っている。

 

「い…ッ、いったァァァ!!!
 今までで一番痛かったよ、ポップ!!」
「バカ、いてぇのはオレもだってんだよ!!
 ちっくしょー……やっぱぶっつけ本番はつれぇな…」
「ぶっつけ本番ッ!?そんなのにオレも巻き込んだのかよッ!!」
「しゃあねぇだろ、詠唱ナシじゃ速度も位置もコントロールが
 まるで効かなかったんだから!
 けどオレだけが痛ぇのも癪じゃねぇか!!」
「ひどいッ!ひどいやポップ!!」

 

飛んでくるなりわあわあと言い合いを始める弟子2人を眺め、アバンとマトリフは
驚いたように顔を見合わせたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

<続>

 

 

 

 

ダイとポップもしっかり巻き込まれる方向で。(笑)