静かに部屋の扉を閉めて、ダイが顔を上げる。
ずっとそこで待っていたのだろう、アバンが廊下の脇で立っていた。
「先生……」
「その顔じゃあ、どうやらダイ君でも説得できなかったみたいですねぇ」
「アバン先生、オレ…ッ」
ぼろぼろと、次から次へと涙が溢れて止まらない様子の弟子に、アバンは歩み寄ると
よしよしと頭を撫でてやる。
「オレ、どうしたらいいのかなぁ……」
泣きわめくでもなく、ただ涙を流してそう告げてくるダイに、だがアバンには
返せる言葉が見つからなかった。







< Dark End. −終焉の鐘− >







来客用の部屋にダイを連れて行きソファに座らせると、アバンは気分が落ち着くからと
ハーブティーを淹れたティーカップを持って現れた。
ダイの前にそれを置いてやってから、テーブルを挟んだ向かいにアバンも腰を下ろす。
キョロキョロと周囲を見回して、ダイは遠慮がちに口を開いた。
「あの、マトリフさんは……?」
「ああ、彼なら寝込んでますよ」
「えッ!?」
「ポップを助けるためにね、歳も考えずに少々無茶をしてしまったらしくて」
「助ける…ために?」
「ええ、そうです」
自分の分のお茶を一口飲んで、アバンは悲しそうに微笑んだ。
皮肉なものだ、たった一人を助けるのに、別の誰かの犠牲が必要だなんて。
「唯一、ポップの身体を楽にしてあげられる術をマトリフが持っています。
 けれど……それがマトリフ自身の負担になるものですから、ね」
少し休めば治るから、なんて強がりも度を過ぎればいっそ腹立たしい程だ。
ポップを助けるためにマトリフが倒れたなんて、ポップが知ればさぞ悲しむ事だろう。
力量に見合わぬ無茶をするところは、師弟そっくりだと思う。
「オレ……ポップに何もしてあげられないや。
 ちょっとぐらい……死にたくないとか怖いとか思ってれば励ましもできるけど、
 ああまで真正面から死ぬことを受け入れられちゃうと、なんにもできない」
「ダイ君…」
「でも、見てるだけなのも……辛いんだ」
「………ふふっ」
何を思ったのか突然笑みを零したアバンに、ダイが不思議そうな視線を向ける。
それに、ああスイマセン、などと言いながらアバンは僅かに目を細めた。
「本当に、そう思いますか?」
「え…」
「死ぬことなんか怖くないと、本当にそう思ってると思いますか?
 あの臆病な子が……でも誰よりも隠すことが上手くて、強情っぱりの子が」
「……ッ!?」
「キミはまだ、ポップの事を勘違いしていますね。
 いや……近くに居すぎてそれが当たり前になっていたから、
 うっかり忘れちゃいましたか?それとも思い込んでいましたか?
 死をも乗り越える強さを……本当に、持っていると」
いつだって、ポップはどれだけ窮地でもどれだけ逃げ出したい悲惨な状況でも、
震える足のまま踏ん張って立ち続けていた。
そうして、まるで何でもない事のように笑っていた。
当たり前のことのように笑うから、時々周りは忘れてしまうのだ。
その笑顔に辿り着くまでに、一体どれだけのものを堪えてきたのかを。
「オ、オレ…ッ、ポップに………なんてバカな事を……」
たくさんの人を傷つけるし、たくさんの人を悲しませる、それは確かだ。
けれどその前に、ポップ自身がたくさん傷ついたし、いっぱい悲しんだ筈なのだ。
望んでもいないのに自分が置かれてしまったこの理不尽な状況を。
「ポップ…」
怖くないはずがない。
受け入れたいわけでもない。
そうするしか、方法が無かっただけだ。
ならば彼は今、一体どれだけのものと戦っているのだろう。
それも見極めてやることができずに、ただ、己の気持ちだけを押しつけてしまった。
本当に必要なのは、自分の気持ちを相手に投げつけることではない。
ポップの気持ちを丸ごと全部、受け入れてやることだったのに。
それはポップが死を選んだということを認めてやるだけではなくて、その手前に
必ず存在していたであろう、恐怖とか葛藤などを含めて全部だ。
このままでは、ポップはたった一人で死と向き合うことになる。
「オレ、ポップのところに行かなくちゃ…!!」
気づいてしまっては居ても立ってもいられず、ダイは勢いよくソファから
立ち上がる。
急ぎ足で部屋から出て行くのを、アバンは優しい目で見送っていた。

























どうして気づいてやれなかったんだろう。
死ぬ、なんて怖いこと、いつものポップだったら真っ先に逃げ出してる筈なのに。
それなのに逃げずにいるのは、逃げないのではなくて。



逃げられなかっただけなのに。


逃げられないから、受け入れるしかなかっただけなのに。










「ポップ!!」
ノックもせずにさっきまでいた部屋に飛び込んで、ダイは小さく息を呑んだ。
ベッドの隅に小さく丸くなるようにして、ポップが蹲っている。
まるで幼い子供が、ひとりぼっちの不安を堪えるかのように。
「ポップ………この、バカッ!!」
大急ぎで彼の元まで駆けて、きつく肩を掴むとダイは強く叫んだ。
ビクリと肩が揺れて、驚いた表情のポップが顔を上げる。
「な…んだよ、ダイ。
 いきなり現れて言う言葉はソレかよ」
「言わないお前もバカだけど……気付かなかったオレもバカだ。
 ごめん、オレが気づいてあげるべきだったんだよな」
「何の話だ…?」
「誤魔化さなくたっていいよ、もう全部分かってるんだ。
 だから……死にたくないって駄々捏ねて、泣いて構わないんだよ。
 もう……お前から、何もかも取り上げようなんてしないから。
 だからさ、せめてオレには全部、本音で話してよ。
 オレってバカだからさ……隠されると分かんないんだ」
「…………。」
「怖くない筈、ないもんな。
 辛くない筈…ないもんな?」
「ダイ…っ」
じわり、とポップの双眸に涙が滲む。
肩を掴んだ時に伝わってきたのは、微かな震えだった。
彼はまた、たった一人で乗り越えようとしていたのだ。
だけど、そうはさせてやらない。
「ちくしょう……なんで此処にいんのがお前なんだよ、ダイ…」
「あはは」
「笑うトコじゃねぇよ」
「うん」
「くそっ…………なぁ、なんでオレは、死んじまうんだろうなァ……」
「ポップ…」
「なんで……もっと、お前と一緒に歩けなかったんだろうなぁ……」
堪らず抱き寄せれば背中に回された細い腕が、しがみ付くようにぎゅうと服を
握り締める。
その力が、そのまま生への執着なのだ。
本当はまだ生きたいと、本心では強く願っている。
「ダイ……オレはまだ死にたくねぇよ………」
「……ポップ」
「死にたくねぇんだ…ッ!!」
絞り出すような悲痛な声に、ダイの表情が苦しげに歪む。
今の今まで気づいてやれなかった。
これが、本当のポップの心の声だったのに。















<続>